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ニーチェ 「ツァラトゥストラはこう語った」

„War d a s das Leben? Wohlan! Noch Ein Mal!“

「これが人生だったのか、よしもう一度」/ ニーチェ

私が手伝う事業は子供達の心理的社会支援。専門用語で言うとPSSというらしい。カメムシハウスで始めて迎えた夜はなかなかよく眠れて(カメムシちゃん夜静かめだった)、朝9時に監修してくださる精神科の先生がいらっしゃった。

PSSってよくわからないのでほんとに最初から説明してもらった。ざっくりいうとトラウマに対処するための精神治療らしい。医療ではなく、保健。ストレスとトラウマは違う。そして、トラウマは乗り越えるものではなく、飲み込んで強くなるもの。そう先生はおっしゃた。

そして私の心にググッときた言葉、

先生:ニーチェの「これが人生だったのか、よしもう一度」という言葉を知ってるかな?これがPSSの正体、目的、目指すところであると言っても過言ではないよ。人生って嫌なことも辛いこともたくさんあるけど、その起きることに全て意味がある、それを知った上で「よし、もう一度」となる状態が目指すべき姿なんだ。

精神論とかあまり信じない私←
だって辛い時は辛いし、あまり思い出したくない。「よし、もう一度」なんてなる人生、どんだけいいの?

だけど次の言葉でビビッときた。

先生:梨泰院クラス見てた人いる?そこでチョ・イソがこの言葉をもじっていっているんだよね。「哀れなる人生よ、よしもう一度」

「哀れなる人生よ、よしもう一度」そんな強い言葉を言えるものがこの世にどれだけいるだろう。でも、実際被災した方や家族を亡くした方は嫌でもこう思っていないと生きていけない。

そんなことを考えた後に、先生の一言

「哀れなる人生よ、よしもう一度」被災者や心に傷を負った方がこれを言えるようにすることが我々のやるPSSの役割です。

おー。なるほど。それなら精神的な知識がない私にもわかった。梨泰院クラス好きだったので先生、ナイスです。

そこからPSSの療法について詳しく教えてもらった。子供に行うプロセスの例としては

①安全な場所を確保する(余震など続いているとこのステップは達成されない)

②記憶を語る・誰かに聞いてもらう(トラウマの特徴的な症状として、辛い記憶がなくなってしまう、時系列がまばらになってしまう・感情が乖離してしまう←ただ津波の映像を映画で見ているような感覚に襲われる それらを解消するために「語る」)

③その物語を絵や粘土で表す

④みんなに作品の発表をして、社会とつながりを持つ。「語ることは大事なんだ」と経験させる

もっとたくさんのことを教えてもらった。人がショックを受けてトラウマの症状が出ている、または克服している場面も動画で見せていただいた。来ていただいたお医者さんはパレスチナやガザでもPSSを行っているらしく、地域や被害の違いによる差にも詳しく教えていただいた。

午前中はそのような説明に終わり、午後は北上して能登の最先端に行った。正直、悲惨。人が住む場所ではなくなっていた。よくメディアで見るビルが根こそぎいってるのも見た。恐ろしい。

2024/4/2 火災が起きた能登朝一の様子

こんなところは生まれてから見たことも、来たこともない。ありえない。地震。怖い。なんで。この建物にいた人はどこに行ったの。亡くなった。まだ、この跡地から、3名が、見つかっていない。

近くに豚汁を無料で配っているところがあった。温かい。支援者さんに無料で配っているらしい。いただきます。


豚汁いただきました

配っている方は、私と同じくらいの年齢で、大学生かな。被災された方らしい。残りの2人は東京からボランティア。すごい。

近くには自衛隊がお風呂を作っていた。まだ水は復旧していないらしく、大変な思いをされている方も多い。

その後、早速事業を行う先に行くことに。それはまた今度別に書くかな。

「これが人生だったのか、よしもう一度」

とても刺激的な、そして新しいことをたくさん取り入れた1日でした。明日も、頑張ろう。





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