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休職を通じて見えてきたこと

10月の09日からメンタルを崩して休職をし、
もうすぐ10月が終わろうとしている今、

休職を通じて見えてきたことを時系列に沿った感情の変化をまとめておこうと思う。

これから休職を考えている人の一助になれれば嬉しい。

10月09日〜16日

この一週間は、何しろジェットコースターに乗っているような感情の波があった。

仕事から逃れて自分が気の向くままに何をしてもいいという解放感

同時に、こんな無駄な1日を過ごしてて良いのかという不安

何をしても良いんだ!といわれ、朝から優雅にコーヒーを淹れて読書をし、
昼過ぎには再度昼寝をして、夕方美術館やセレクトショップを巡り、
気が向けば知り合いのいる場所で朝まで飲み明かす、みたいな日を送った次の日には、こんな一日の使い方でいいんだろうか、と途端に不安になる。

夕方まで寝て、ピアノの練習に没頭する日もあれば、
朝から活発にヨガと写経をして、映画を見たり、
今まで忙しくて足りなかった「文化的な生活」を送れているはずなのに、

何故か心は一向に落ち着かない

心療内科の医師にその旨を相談すると、

退屈になるのが怖いんだと思う。
だから必死に動きたいんだ。と。

「今はもっと自分を許してあげて。
何もしなくてもいいの」

「そして、本当に退屈に感じたら、
やりたいことをやりなさい」

退屈は、心に余裕ができた証拠だからだ。と。

この「もっと自分を許してあげて」というワードと「退屈は、心に余裕ができた証拠」という言葉が残っていて、そこからの一週間はそれまでとはまた違った様相を呈していた。


10/17〜10/24

「退屈は、心に余裕ができた証拠」というのは、今後自分がそういうフェーズに入った時の一つの指標にしようと思ったのだが、
どうにもこの「もっと自分を許してあげて」という言葉が腑に落ちなかった。

許すとはなんだろうか。今のこの社会に背を向けてる状況を認める?だらしなく律することもできない自分を認めること?

なかなか難しい。

しかし具体的なきっかけがあったわけではないが、ある朝に一つそれらしいことに気が付いた。

それは、「心が弱ってしまっている自分を後ろめたく思わないこと」というものだった。

noteに発信ができることや、友人に当たり前のように「今ヤバくてさ」とか、言えているから自分は弱さを出せている気でいた。

しかし、本当は違った。
「ヤバい」と言えるだけの平常心がある、と余裕を見せたい心がそこにはあったのだ。

この気付きは大きく、そこから少しずつ自分を許せている気がしている。

あまり申し訳ないという気持ちを持つのもやめよう。

今は周りの人にどう思われても、正常な状態じゃないと。
そう自分に言い聞かせた。

ちゃんと元に戻ったら、迷惑をかけた人達に恩返しをしよう。

今はそう思って生きている。

10/25〜現在

自分を許すというフェーズを経て、新たに自分の中に気付けた3つの事柄がある。

それは、
・年齢を重ねると情緒が失われ、思考力が低下すると思っていたがそうではなく、ただ忙殺される日々を送っているとその感情を忘れているだけで、日々の余裕を取り戻せば思考も感情もちゃんと動いてくれるということ。

・好きなことが見当たらないと思う人は多いが、自分のやりたいことや実現したいことは、なかなか会社員をやりながらでは難しく、忙しい中ではそれを探す体力もやろうとする気力も時間もないということ。

・休職とは社会から隔絶され、身分が保障されない分焦りも出るということ。


今、この3つの気づきを経てやはり自分は映像の世界で闘っていきたいと感じたし、自分がやりたいことであるとも再認識できた。

そしてそのやりたいことは、今の会社員では実現できない。
だから独立しかない。

でも急に独立って。そんなの無理だろ、食い扶持がないし・・・

そう思うと、もう我武者羅にやらざるを得ないようになってきた。

この一週間自分でも信じられないほどの集中力が発揮され、映像制作に向き合っている。

焦りとやりたい、頑張りたいのバランスが今とっても良いのだろう。

この感覚は浪人時代のものに近い。

合格するかわからない不安と常に闘いながら、それでも我武者羅に前に進もうとする意志と自信。


死ぬこと以外はかすり傷。死にそうになったから、今こそ腹に落ちて自分を言い聞かせられる言葉だ。

これが感情の波の一波であるならばそれはそれで怖いのだけれど、
今は今を奮闘して生きていきたい。


今心を病んでいる人へ

ここまで僕の心の変化と気づきを記してきました。

僕の場合、強くこうありたいという願望が強いからきっと立ち直りも早かったのだと思う。

今心を病んでいる人たちは、なにもやる気に満ち溢れた日々を模索する必要はない。

ただ、まずは自分を許してあげてください。

お金のこととかいろいろ不安に思うこともあるだろうけど、いったん全部許すんです。

許せたら回復は早い。もし許せてるけど治らないという人は、
本当は自分自身をまだ許せていないのだと思う。

何もしなくていいんです。何かしなくちゃなんて考えなくていい。

逃げたければ何もかも捨てて逃げればいいんです。
一日中寝ればいい。好きなだけ食べればいい。

寝過ぎた!とか食べすぎた!とか、とりあえずどうでもいい。

だらしなくていいんですよ。

そうしてると「退屈」がやってくる。

飽きてくるんです、その生活に。

このフェーズがまだ来ていないのは、きっと許せてないんです。

会社に戻って、とか
どうやったら復帰できるかとか、

社会との関わりをどう持つかなんて本当先の話でいいんです。

飽きたら、まずは自分と対話してください。

幼稚園児に「なにしたいの?」って聞くみたいに。

素直に口を聞いてくれるまで粘ってください。

そこでもまた時間がかかってもいいんです。

焦りは全部、社会からの圧力だと感じてください。

圧力がかかっているうちは、やりたいことも自分自身も出てきません。

自分と向き合って出てきた答えは今までにない強固なものとなって自分を導いてくれます。

それは答えではなくて、指針です。方角を指す程度のもので、なにも目標である必要性はありません。

僕たちは、生まれた時から唯一、生きる意味を与えられていない存在です。

そんな僕らが、生きる意味や目的や目標を探すのなんて難しいに決まってるんです。

まずは許すこと、自らがこの世に生を受けたことを許すのです。

あなたがこの世に生きていることそれだけで一つの幸せなのだから。




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