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僕は君を、許してない。

「過去を変えることはできない、
だけど今をどう生きるかによって、
過去の意味は変わる。」

これは僕が中学の時から
大切にしている言葉だけども、
このマインドが染み付いているせいで、
世の中の大半のことはポジティブに
捉えられる気質が出来上がっている。

自分を死に際まで追いやった奴でさえ、
あいつがいなければ今の自分はいない、
と思える程だ。

しかし、何一つ無駄な出会いなどないし、
全てが自分に必要な経験だったと
盲目的に思い込む精神性は、
少し病的とすら自分で思うことがある。

その盲目さ故に、
時々何か大事なものを落としてきやしないかと
不安になって、
過去に松明を灯して今までの旅程を一つずつ
確認する作業は定期的に行なっているが、
過去の意味が再度ネガティブに転じたことはない。

というより、語られる過去は全てポジティブで
あるという方が正しいかもしれない。

だけど、解釈はポジティブであれど
今までに自分を苦しめてきた人やことが
「許せる」か、と言えばそれはNOになる。

過去に傷つけられた事実、これは揺らがない。
自分に非があろうとなかろうと、傷があることに変わりはないのだ。

失恋、失望、裏切り、反逆…

別に不幸自慢するつもりはないけども、
齢28ともなれば、人並みな経験はしてきたと思う。

過去について意味のない想像の羽根を伸ばし、
人の生き方にまで介入して更に自分の傷を抉る結果になったこともある。

無駄なのだ。全て。

被害者面すれば叩かれ、同胞への共感を求めれば傷の舐め合いに終始する。

ただ時間と労力だけが奪われて、ついでに執着なんていうお土産までついてくる。


だから僕は自分の都合の良いように、
ポジティブに過去を解釈する術を選んだんだと思う。

何一つ無駄なことはないと思い込む、
幼心にそう決意した。

お前らのことを考えて、
時間が取られることが不愉快なのだ。

同じかそれ以下のスピードで
歩むことが嫌なのだ。 

全部が、自分を動かす燃料となると
思えないとやっていけないのだ。

だから、本当のところで言えば
僕は今までに僕自身を傷つけてきた人を
誰一人として許してない。

あの時の過去苦しめられた自分は、
今も同じ地点で膝を抱えて泣いているのだ。

でも、そこでずっと泣いていては、
僕を苦しめてきた人にずっと苦しめられることになる。

だからいつも「迎えに来るからな」と
言い聞かせてまた走るんです。

いつか全てが許せる日が来ることを信じて。






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