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子どもの冒険 子どもの王国 ~ この世の果ての通学路

もう6年以上前になりますが、NHKBSで「この世の果ての通学路」というドキュメンタリー映画を見ました。世界のさまざまな地域で暮らす子どもたちが長時間かけて学校へ通う姿を追った映像記録です。

ケニアのサバンナで、象に襲われる危険を冒しながら片道15km 2時間かけて登校する
11歳の少年ジャクソン(将来の夢はパイロット)と妹
アルゼンチンで、山羊飼いの仕事を終えて、愛馬で片道18km 1時間30分かけて
学校へ向かう11歳の少年カルロス(将来の夢は獣医)と妹
モロッコで、女子に教育は不要とする古い慣習が残る村から片道22km
4時間かけて寄宿学校に通う12歳の少女ザヒラ(将来の夢は医師)と友人
インドで、生まれつき足が不自由で、弟たちに車椅子を押されて片道4km
1時間15分かけて登校する13歳の少年サミュエル(将来の夢は医師)


一体どういう経緯からこのような映像作品を制作することになったのか興味を覚え、ネット公開のオフィシャルサイトを閲覧しました。

原題はフランス語で、その英語訳はとてもシンプルに「On the way to school ~学校へ行く途中」であり、日本語タイトルがちょっと気負い過ぎな抒情を込め過ぎです・・。

監督のパスカル・プリッソン氏はインタビューでこう答えています;

制作動機:
野生動物のロケをしていたら、2時間も走って学校に通う途中だというマサイ族の若者に出会い、とても感動した。その時、命の危険を冒してでも勉強に打ち込む子どもたちを主人公にした企画をひらめいた。

伝えたいこと:
登場する4人の子どもを通して、女子教育の問題、身体的な障害、貧困といったテーマも描きたかった。住まい環境が厳しいほど、学習に対する子どもたちのモチベーションは高くなる。子どもたち自身も親の世代とは違い、勉強できる時代に生まれて幸運だと思っている。私たち大人は彼らをもっとサポートすべきだ。

配役について:
ユネスコ関連の組織から、地理的に特殊な地域で通学に最も苦労している生徒を教えてもらった。その中から選んだのは、通学に苦労しているだけでなく、学問が自分の将来を切り開くと信じている子どもたちだった。・・食事(給食)がもらえるという理由だけで学校に通う子供もいるからね。

撮影について:
まずは、私がひとりでそれぞれのロケ地に10日間滞在し、カメラなしでお互いに夢や希望について語り合ったり遊んだり、一緒に通学した。そうやって信頼関係を築き、それからひとりに12日間ほどかけて撮影した。

この映画への著名人たちのコメント

オフィシャルサイトにはさまざまな分野の著名人がコメントを寄せていますが、一番面白くて納得できたのは、次の方でした:

 五味太郎/絵本作家
「通学」に意味がある。時間がかかるところに意義がある。 簡単じゃダメだね。僕は800mに一時間かけていた。だから立派な人間になった。通う先の学校にたいした価値はないものなのさ。あとでわかることだけど。                                                   


通学路には子どもの冒険がある

私は、この「世界の果ての通学路」を見終わって、自分の小学校時代の登下校のことを思い起こしました。
私の田舎は、まだ田畑や砂利道の多かった時代で、学校まで歩いて40分以上かかっていたと思います。途中、「肥溜め」や「蛇がいる縁側」、「不思議な住人の住む屋敷」、「洞穴のある空き地」などに、勉強嫌いな悪友たちと寄り道することが一番の楽しみでした。ですから、このドキュメントに出てくる子どもたちのように、授業中に目を輝かしていることはほとんどなかったのです。

でも登場する子どもたちは、「通学路でちょっと冒険」をしているようにも見えました。確かに、険しい山道や草原を小さな体で長時間歩いていくのは大変だと思います。でも、そこは「こども」なのです。苦しいだけで済ませているはずがありません、道すがらきっと何か「楽しみ」を見つけているはずです。

子供時代は子ども王国である

19世紀フランスの詩人ボードレールが次のようなことを言っています;

「天才とは意のままに取り戻された幼年期のことである」

この言葉の意味は、いろいろに解釈できると思われますが、多くの人に共有されているのは、「あの頃はよかったな」という郷愁ではないでしょうか。
打算と妥協と挫折を知らないで済んだ、明日を心配するすることなくその日だけに充足できれば幸せだった時代です。自分の才能に天真爛漫でいられることこそ、天才の証でしょうから。

実人生においてほとんどの人は、大人になることは、子どもの部分を無くしてゆく事でもあります。でも、無くしたまま大人となって幸せになっている
のだろうかと、私たち大人はふと心の奥でつぶやくこともあるのです。

まわりに未知の大きな世界があることを漠然と感じながらも、自分だけの小さな世界で驚異の毎日を過ごせる子ども時代、それはまさに「子ども王国」の時だったのではないでしょうか。そこでは宇宙飛行士も図書館も、草花や昆虫や小石と同列なのです。


子供が主人公の映画

少年少女を主人公にした映画は数多くあります。少女が主人公ですぐに思い出すのは、古くはヒッチコック映画のサスペンス「疑惑の影」やスペイン映画でヴィクトル・エリセ監督の「エル・スール」、ギレルモ・デル・トロ監督の「パンズ・ラビリンス」やジャン・レノ出演の「レオン」など。日本映画で大林監督の尾道三部作とりわけ「時をかける少女」は忘れられません。

エル・スール

自分は男性なので、少年に感情移入できる映画がより心に残ります。往年の名画では「禁じられた遊び」や「汚れなき悪戯」、近年では「スタンドバイミー」や「ニューシネマパラダイス」。異色作ではトリュフォーの「思春期」や名子役オスメントの「ペイフォワード」など。日本映画では「三丁目の夕日」ははずせないでしょう。

ペイフォワード
三丁目の夕日

ですがやはり、タルコフスキーの映画「僕の村は戦場だった」のイワンと「鏡」の息子、この二人の少年にまさるイメージ力を持った映像は今のところ他にありません。

ぼくの村は戦場だった


トリュフォーとタルコフスキーの少年たち

先日、TV録画していた、フランソワ・トリュフォーの第1作「大人は判ってくれない」(1959年)をやっと思いついて鑑賞。鑑別所を脱走した主人公の少年ドワネルが、海岸にたどり着き、果てしない海を前にとまどう表情のアップで映画は唐突に終わります。

大人は判ってくれない 1959年

このラストシーンは何かと似ている、そうだ、タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」(1962年)の最後のシーンに似ている、と思いました。
処刑される運命となった主人公イワンが最後に夢見たような光景=果てしなく広がる海岸線に独り取り残されたような少年、やがて少女の姿をとらえると追いかけるように走り続け、最後には追い抜き、そのまま走る姿で唐突に画面が切れ、そこで映画も終わってしまいます。

ぼくの村は戦場だった 1962年


タルコフスキーの作品が3年後の公開なので、ひょっとしてトリュフォーの映画を見ていたのでしょうか? それとも、ふたりの天才監督が夢見た少年の姿は同じだったのでしょうか? 
お二人の子ども時代は決して幸福とは言えなかったようですから・・・。


最後に
齢を重ねた我々おとなたちには、「過去の思い出」が多くありますが、「未来」は少なくなります。では、子供たち(特に小学校まで)には何があるのでしょう?
それは、「今、こうして生きている現在そのもの」、ではないでしょうか。大人の時間は、過去と現在と未来を区別しては往還しつづけます。一方、子供は現在がすべてで、それに過去も未来も含まれていると、私は感じます。