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投資戦略家・瀧本哲史氏の提言は、私の美術活動に生かせるのだろうか?

前置き:
ふと気になって、本棚から瀧本哲史氏の本を久しぶりに取り出してさっと目を通していると、最近の瀧本氏の動向を知りたくなり、ネット検索すると、驚いたことに2019年8月10日に47才の若さで惜しくも亡くなられていました。
たくさんの追悼記事を通して、氏の生前のご活躍ぶりと果たした業績の大きさに感銘を受けるとともに、哀悼の意を捧げます。


瀧本哲史とは、何者なのか?

この方のプロフィールも含め、彼を全く知らない方のために最適と思われる紹介記事をネット上で見つけましたので以下に掲げておきます;

瀧本哲史氏を自社の永久名誉アドバイザーとして迎えられている、クオン株式会社の最高経営責任者である武田隆氏が自社サイトに挙げている追悼文:「瀧本哲史は、私たちに何を届けてくれたのか。

・・もうダメだ、と絶望のふちにいるとき、悔しさや寂しさに打ちひしがれているとき、軍師は横に立ち、必ずこの言葉「起こったことは全て正しい」を発した。そして、すぐに次の戦略の立案と実行を促した・・と記され、追悼文最後に、「平成のマキャベリー。戦友。」と呼びかけておられます。

瀧本哲史氏のプロフィールおよび武田隆氏の追悼文全文は、以下のサイトで:

https://www.q-o-n.com/takimototetsufumi/

ここで改めて、2013年に滝本氏の本を読み、その提言に強い影響を受けた当時の私の心境を思い起こしつつ、10年後の2023年現在の日本と私の状況に対して彼の言葉がまだ何らかの力を持ち得るのか、何よりも「私自身のためになるのか」、今一度、検証してみます;

「君に友だちはいらない」

2013年のある日、博多の紀伊国屋書店新刊コーナーをのぞいていると、目につくタイトルの本がありました、「君に友だちはいらない」。手に取って流し読みすると、話題になったあの本「武器としての決断思考」の瀧本哲史氏の最新刊でした。

馴れ合いのお友だち関係にならず、専門性の高い個人が集まって目標達成する、というチームワーク作りがこの本の趣旨のようで、表紙絵には、優れたリーダー中心にチームワークによる勝利を描いた黒澤映画「七人の侍」が使われています。分厚くて値段も高かったので購入しませんでしたが、代わりに、並べて置いてあった同じ著者の文庫版「僕は君たちに武器を配りたい」も面白そうだったので買いました。

当時、私がこの本を読もうと思った動機は、今の日本、特に若い世代で、ちゃんとお金を得られる職に就いてやりがいを感じることができている人が少ないと言われる状況で、それをどう打開できるのか知りたかったからです。そしてもうひとつは、経営や経済という全く違う分野の人物の考え方でも、
自分の美術活動に何か参考になるヒントがあるのでは思ったからです。

*ちなみに、同じ年の2013年9月、日本ではドコモも加わり、大手3キャリア全てで iphone5c の取り扱いが開始しました。

それでは以下に、2013年発行「僕は君たちに武器を配りたい」を読んで印象深い箇所を要約引用し、2023年の現状と照合して私見も添えます;

個人の心がけでやれること

瀧本氏の提言1
TOEICなどの実用英語、ITスキル、会計知識などの資格ブームはすべて、仕掛け人たちが儲かるビジネスとして起こしたものである。勉強して高スキルや
資格を身につけるということは誰でも思いつけばやれることなので、 もはや何の付加価値も無く、それだけで職に就けて安定収入が期待できる業界などない。そのような状況下でも生き残っていくためには、スペシャリティを身につけた人間、「これなら自分だけ」という人になることである。

私見→ → 医者なら医師免許、建物設計するなら建築士の資格、というような専門技能が必要な職種以外なら、現在も上記の通りと思います。

私見→ → また、「これなら自分だけ」という人になるには、達成目標をどこに定めるかで違うと考えます。身近な例で、たとえば清掃業なら、見た目だけきれいに仕上げる短時間の簡易清掃に目標をおく場合と、目に見えぬ箇所や落ちにくい汚れまで時間をかけた徹底清掃では、対価としての報酬、やる側のモチベーション、依頼する側の満足度など違うでしょう。

私見→ →この note 記事でもよく見かける「アート思考」は、従来の「デザイン思考」だけでは活路を見出せないビジネスシーンの停滞を打ち破るコンサルティングメソッドのような印象しかなく、指南書出版やセミナー開催で収益を得ている方々がおられるのでしょう、・・でも、本来、アーティストが作品を創造する動機の本質部分にそのようなゴールは設定していない、と私は考えます。

瀧本氏の提言2
「ブームとなってから投資すると死ぬ。」というのが、投資の鉄則。誰もが思いつかないし、問題にもしないようなものの中から金の鉱脈を見つけて早期投資して、まわりが儲かると騒ぎ始める前に、実った果実を真っ先に回収するのである。・・・本当の儲け話はメデ ィアには上がってこない。

私見→ →コロナ禍」を事前に予測できて投資していた人などいないでしょう。現状としては、テレワークと宅配の需要増加による収益を上げたのは、
通販業者やIT関連業者( パソコン周辺機器の販売設置、ネット配信等 )ではと思います。骨董品や不動産などの「本当の掘り出し物」は市場に出る前に
情報網を活用できる抜け目ない誰かがすでに買ってしまっているのは昔からのことです。

瀧本氏の提言3
資格や専門知識を身につけることよりも、むしろ自分で仕事を作る、市場を作る、成功報酬ベースの仕事をする、部下は自分で管理する、というところにこそ、その人独自の「付加価値」が生じる。自分で考えて道を切り開かないと、誰かの商売の「カモ」になってしまう。

私見→ → 「コロナ禍」で店内食事だけでは集客が困難になり、持ち帰り・宅配弁当に業態変更した飲食店を何件か目撃しています。あの、有名なシスターも言ってます、「置かれた場所で咲きなさい」。今そこで自分がやれることを何か見つけてやるしかないのでしょう、おそらく・・。

私見→ →「市場を自ら切り開いて作る」は、どんな時代であろうと商売繁盛の鉄則と思います。コロナ禍初期のマスク・除菌剤不足による高額販売は、5類移行の現在、店頭に山積みしてバーゲンセールされています。すると今後、人々が切実に欲しくなるものは何でしょう、それに応えるのが商売に結び付くのでしょう・・。

いずれ傾く会社・ブラック企業の見分け方

瀧本氏の提言4
今流行っている商品やサービスを売り物にしている会社、40代、50代の社員が幸せそうにしている会社はいずれ傾くかもしれないし、大量のコマーシャルを流している会社や顧客を大事にしていない会社はブラック企業になりやすい。

私見→ → ある新聞社の調査によると、ブラック企業では募集要項に「情熱を持とう」「飽くなき挑戦」「フレッシュな職場」など、仕事への情熱やチャレンジ精神、自己成長などの表現が頻繁に使われる傾向があるそうです。また、Webサイトは企業の重要な情報発信とブランディングの手段のはずなのに、ブラック企業のサイトにはそれが顕著に欠如している傾向があるとのことです。

売れる商品とは

瀧本氏の提言5
「高いけど家族みんなで楽しめる」ゲーム機とか、「安いけど合理的で洗練されている」衣類のように、幅広い購買層の感情に訴える「ストーリー」がある商品、一部の人対象も「まさに欲しかった」と思わせる商品、他の競合相手との「差異」を魅力的に演出できた商品が売れていく。

私見→ → 商品に付加される「ストーリー」は、商品開発の「コンセプト」と一体化しており、それが功を奏すればヒット商品になるようです。身近な例では、話題の新規開店「ラーメン屋さん」がよく掲げている口上:天然素材と作り方にこだわる店主の「コンセプト」と、なぜそこまでこだわるかの「ストーリー」が、実際に食べた時の印象に加味されるているのでは、と私には思えます。言うまでもないことですが、一時的な話題のあとにいつのまにか消えてゆく店が多いのも現実です。

瀧本氏の提言6
社会にインパクトを与える商品やサービスを生み出したいとしても、全く新しいものをゼロから作る必要はない。すでにある物の組み合わせや、見方を変えたり、それまでの常識とは全く逆のことをすれば、イノベーション(=新しい価値を生み出すこと)を起こすことができる。

私見→ → 瀧本氏の言う「ストーリーがある商品」の意図することはよく理解できますが、特に、不動産・書画・骨董・健康食品・美容器具等に昔からよくある「詐欺商品」にも素晴らしい「ストーリー」が偽装されていましたので、ご注意ください、です。


以上、印象に残った部分をほんの一部だけ要約引用しましたが、最終章には、こう書いてありました;

「社会に出てからほんとうに意味を持つのは、インターネットにも紙の本にも書いていない、自らが動いて夢中になりながら手に入れた知識だけだ。
自分の力だけでやったことが、本物の自分の武器になるのだ。」 

この著者が信頼できる人だと思えるのは、ひとえにこのような、聞けば当たり前のことと納得できる「生真面目な常識」をきちんと率直に語っているからです。

さて、最後に、私個人にとっての本題です。

この本は、私の美術活動に生かせるのでしょうか?

上に引用した瀧本氏の提言にできるだけ合わせて、商品を作品、仕事を美術活動と置き換えると、以下のようになります;

① 幅広い鑑賞者の感情に訴える「ストーリー」がある作品、一部の人対象でも「まさに見たかった」と思わせる作品、他の作家との「差異」を魅力的に
演出できた作品が売れていく。

② 社会にインパクトを与える作品を生み出したいとしても、全く新しいものをゼロから作る必要はない。すでにある歴史的名画の手法を盗んでは組み合わせや概念を変えたり、それまでの絵画的常識とは全く逆のことをすれば、自分独自のイノベーション(=新しい価値を生み出すこと)を起こすことができる。

③ 自分で作品を作るのは当たり前でも、市場も自分で作り、成功報酬ベースの作品作りを企画してキュレーターなどに売り込むと、その人独自の「付加価値」が生じる。自分で考えて道を切り開かないと、誰も見向きもしてくれない。

④ いま流行の作品を売りにする画廊はいずれ傾き(それだけでは長期経営が成り立たないでしょうから・・)、市民参加を売りにした楽しそうなイベントをたくさん企画して集客力第一で業績評価を気にする美術館は、管理職(行政側)による従業員(企画する学芸員や運営スタッフ)への過剰な成果達成や時間外労働を強いて、ブラック企業になりやすい(ということはな いでしょうか?・・)。

冷静に自らを振り返ると、①②③のうち、完璧に達成できているのはひとつもないので、それなりの「現状」でしかないな、と納得できます。ただ、瀧本哲史氏による、個人がビジネス社会で成功するための戦略をそのまま「美術という業界」に当てはめられるのか、ちょっと釈然としない感じは残ります。
この note 記事でも、「アート思考」と「現代アート」が結び付けられがちです。ただ、欧米における現代アート=Contemporary Art というものは、過去の踏襲ではない「技法」や「コンセプト」、現代社会の抱える問題をテーマにした「ストーリー」があるか否かが、作品評価の最大のポイントになっています。しかし、それはあくまで、西洋美術史の伝統的文脈の流れに沿って思考する西洋人たちの尺度のひとつに過ぎない、と私は考えています。「現代アート」として評価されたいのならそれなりの取り組み方をしなければならないということですが、私は別に「現代アート」を目指してはいないのです。

いつもの結論に戻りますが、「自分のやりたいようにやる」以外に、自分ができそうな方法は今のところないです。何よりもまず、自分自身の問題として「自分のやりたいアート作品を創り続ける」であって、他者がどう評価するかはまた別の話、次の段階の話なのです。

3年に及んだコロナ禍、公での発表の機会はかなり限定されていたので、やっぱり、インターネット利用の方法が一番有効でしょう。blogだけでなく、
youtubeも利用して海外へも作品のアピールと通販を・・・・まあ、こういうことは誰にでもすぐやれる方法ですので、瀧本氏の提言以前のレベルですが・・。
( ほんとは、最も手っ取り早く確実な方法は、その業界で発言力と決定権のある人物に何とか近づき、推されること、・・でしょうネ )

最後に、氏のコトバを引用します

NHK報道番組「クローズアップ現代」2020年8月26日(水)から;

~ 2020年の世界を生きる君たちへ ~
投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”から

“世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です。
今はまだ小さいけれど、志と静かな熱をもった新しいつながり。新しい組織が若い人を中心に、ゲリラ的に次々と生まれています。『君はどうするの』って話です。
主人公は誰か他の人なんかじゃなくて、あなた自身なんだよって話です。”
“必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ。”

雑誌のインタビュー記事から;

聞き手:
巨大資本が、ベンチャー投資も総取りしていく時代になってきていますね。

瀧本哲史氏の返答:
みんなお金の大事さが分かっていません。ほとんどの場合最後は「資本がすべて」なのですが、それを多くの人が忘れていると思います。
であるからこそ、私は学生たちにもよく話しているのですが、「努力が報われること」はコモデティ化する(差異が無くどれも同じになること)ので絶対にやってはいけません。これは「資本がすべて」のゲームになってしまいます。
逆に言うと、「努力が報われるかどうかがわからないこと」をやらなければいけないのです。ところが東大生も「僕はあまり賢くないのですが、人の何倍も努力しました」という人がほとんどです。そういう人はスペシャリティにはなれません。


とりわけ、この箇所;

努力が報われるかどうかがわからないことをやらなければいけないのです

私は、このコトバに、これから何かしようとしている人々へ向けた、滝本氏の熱い想いに満ちたエールを感じ取ります。


「自分の人生は自分で考えて決めていく」って、
なんだ、そんなこと、当たり前のことじゃん、と思ったあなたは、おそらく、いずれ、世間にいつのまにか飲み込まれ、「他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩む」ことになると、危惧した方がよいと思いますよ・・・?!?( souiu wana ni sugu hamatteita hitoyori 忠告!!)