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比べる。その気持ちを捨ててしまったら?

比べる。
もしかすると、これこそが「もやもやした気持ち」の多くを解決する突破口になるのかもしれない。このごろ、そう思う。

ここで言う「比べる」というのは、「あの人のほうが幸せなのに」ということだけではない。これまで私は「人と比べない」という言葉に「人の幸せをうらやんではいけない」というニュアンスを感じていた。

でも、考えてみると、私たちは日常、いろんなところで「比較」をしているのだと気づいた。だから「比べてしまう気持ち」とは何で、どんなものがあるのかをじっくり考えてみることにした。

ここに書くのはその「研究結果」のまとめ。
じゃあ、それぞれの「比べる気持ち」にどうやって向き合っていったらいいのだろう? という話は、別にまとめていく。

比べるの類型パターン

比べてしまう気持ちを類型化してみたら、ざっくり3パターンに分けることができた。

【類型1】自分と「だれか」を比較する

ひとつめは、自分とだれかを比較すること。

ただ、自分とだれかのどちらが”上(と思い込んでいる)”かによって微妙な差がでてくる。

1-1 自分のことがきらいになる「自分と”だれか”の比較」(自分<だれか)

例:
・Aちゃんのほうが私より幸せそう
・Bさんのほうが私よりも美人だ
・Cくんのほうが自分より仕事ができる

この比較パターンで陥るのは「自己嫌悪」。
あるいは「恥ずかしさ」「自信喪失」「停滞」「対象への(自信のなさからの)コミュニケーションの苦手意識」……。

1-2  悔しい気持ちになる「自分と”だれか”の比較」(自分>だれか)

例:
・私はAちゃんよりも幸せなのに
・私はBさんよりも美人なのに
・自分はCくんよりも仕事ができるのに

この比較パターンで陥るのは、あとに続く言葉によって変わる。

たとえば、
「自分はCくんよりも仕事ができるのに」「プロジェクトで選ばられなかった」
だったら?

憤り、悔しさ、不公平感などの気持ちを感じると思う。

でも、次に続く言葉が、
「私はAちゃんよりも幸せなのに」「今の暮らしに満足できていない」
だったら?

つまらさなさ、満ち足りなさ、などの気持ちを感じると思う。

このようにして、自分とだれかを比べると、無意識のうちに「ねたみ」につながってしまうのだと思う。


【類型2】「だれか」と「だれか」を比較する

ふたつめは、「だれか」と「だれか」を比較すること。

これは、相手へのかかわり方を歪めてしまうものだと思う。自分で自分を洗脳しているようなもので、相手をまっすぐに見られなくなる可能性がある、気がする。

2-1 相手のいやなところが見えにくくなる「”だれか”と”だれか”の比較」(~のほうが良い)

例:
AくんよりもBくんのほうが格好いい。
CさんよりもDさんのほうが自分には優しい。

この比較のこわいところは、相手のいやなところが見えにくくなるところだと思う。
たとえば、自分にとって優しい「Dさん」のミスなら許せる、というようなもの。

2-2相手のいやなところが目につくようになる「”だれか”と”だれか”の比較」(~のほうが悪い)

例:
AくんよりもBくんのほうが苦手な顔だ。
CさんよりもDさんのほうが嫌な人だ。

こちらは逆に、相手のいやなところが目につくようになる。
たとえば、自分にとって嫌な人の「Dさん」のミスはたくさん目につく、というように。


【類型3】「自分」と「自分」を比較する

最後は、「自分」と「自分」を比較すること。

これは時間軸によって3パターンに分かれる。

3-1 自分のことがきらいになる「"今"の自分と"過去"の自分の比較」(過去>今)

例:
・昔はもっと肌がきれいだったのに今は…
・昔は痩せていたのに今は…

この比較パターンで陥りやすいのは「自己嫌悪」。
昔できていたことや持っていたものを失ったときに感じるもの。

3-2 元に戻るのが不安になる「"今"の自分と"過去"の自分の比較」(過去<今)

例:
・今は幸せだけど、昔は…
・今は痩せているけど、昔は…

この比較パターンで陥りやすいのは「不安感」。
今持っているものを、なくしてしまったらどうしよう。そんな気持ち。

3-3 焦りでいっぱいになる「"今"の自分と"未来"の自分の比較」(未来>今)

例:
・次の夏までに痩せていたいけれど今は太っている
・試験が近いのになかなか模試の結果が出ない

この比較パターンで陥りやすいのは「焦燥感」。
理想の自分と、今の自分とがかけ離れていることで焦ったり、不安になったりする。


比べる気持ちを手放してしまったら?

ここまで「比べてしまう気持ち」が、いろいろなマイナスの感情につながっていることを分析してきた。でも、比べる気持ちを仮に、すべて手放してしまったらどうなるのだろう?

たぶん「輪郭のない人間」になるのだと思う。

比べてしまう気持ちは、確かに、いろんなマイナスの感情につながっている。人によっては、それを行動に起こしてしまうこともあるかもしれない。

でも、比べてしまう気持ちを受け入れて、それをポジティブ変換したらどうなんだろう? と、思った。

たとえば、美人と自分を比べて打ちのめされてしまったとき。マイナス変換したら

「あの子は美人だから得している」
「失敗してほしい」

など、怖いことを考え初めてしまうかもしれない。

でも、ポジティブ変換することだって、もちろんできる。

自分のできる範囲でメイクやコスメを研究する。ファッション、ヘアスタイル。そういうもので人の印象はまったく変わってくる。生まれつきの美人のなかには、そういうものを学ばずにいる人もいて、おとなになって会ってみると昔のように輝いてみえない、なんてこともあるかもしれない。

逆に、そういうものをすごく研究して美人になった相手だとわかったら、素敵な”師匠”だったり”目指すべき人”になったりすると思う。


比べてしまう気持ちっていうのはたぶん、自分のなかにある「欠けているところ」に気づいたサインなのだと思う。だから、それを補ってあげれば、きっとひとまわり成長できる。

日々、理想の自分と今の自分を比較して落ち込んだり、人にうらやむ気持ちを持ったり、そうして悩んできた私だからこそ、そう信じてがんばっていきたい、と思っている。

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