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死のスイッチを押す人

 今回は世間では求める声が多い安楽死について考えたことを書いていきたいと思う。

安楽死

 安楽死とは、人または動物に苦痛を与えずに死に至らせることである。安楽死に至る方法として、積極的安楽死と、消極的安楽死の二種類がある。世間で求められているのは、医師の助けを得つつ自らの意思で命を絶つ積極的安楽死の方である。
 現在ほとんどの国で積極的安楽死を選ぶことはできないが、アメリカの一部の州・オランダ・ベルギー・スイスなどでは条件を満たせば安楽死することが可能となっている。

死刑執行人

 死刑執行人の精神的苦痛は相当なものであると言われている。日本では負担軽減のために、死刑執行刑務官のスイッチは三つ以上並んでおり、誰が床を開いたか分からないようになっている(死刑執行は原則非公開であるため諸説あり)。さらに受刑者の眼を布で覆う。何故かというと、殺される者の目を見なくてすむようにすることにより、殺される者と殺す者の間に心理的な距離を生み、それによって殺す者が殺す相手の人間性を否定することが容易になるからだ。しかし刑の執行によって精神を病んでしまう者も少なくないという。

死のスイッチを押す人

 もしも積極的安楽死が解禁され、生きづらさを抱える人が自由に安楽死を選べる社会になったとすると、その時「死刑執行人」になるのはおそらく医師や看護師である。おそらくどちらも人の命を助けたいと思い、その職業を選択している。その医師・看護師に安楽死を望むということは、自殺幇助・他殺という行為をさせることでもある。仮に担当した医師や看護師が「死刑執行人」の労働が苦痛だと言うと、それならば辞めろと言われるだろう。しかし誰かが辞めたところで、別の誰かは「死刑執行人」にならざる負えない。
 私も自殺を考えたことはあるが、自分で命を絶つことは非常に大きな恐怖を伴う。できるならば誰か別の人に殺してほしいという気持ちも理解できるが、安楽死制度が整備されたとしても自分が感じるマイナスが他の人に移っただけで、実際には何のメリットもないのではないだろうか。


 生きづらく苦しい社会で安楽死を望む声が多く上がっている。自殺は悪いことなどと綺麗事を言うつもりはない、どうしようもなくなった時の最終手段として持っておくことは有効だと考えている。
 しかしせめて自分の周りの人には、そのカードを切らなくてもいいような働きかけをしたい。誰かの希死念慮を癒せる人間になれたらいいなと思う。ではまた次回。

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