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話すことで世界が生まれるとしたら

『想像ラジオ』 いとうせいこう 読了レビューです。
ネタバレ:あり 文字数:約1,900文字

※ 本作は2011年3月11日に発生した東日本大震災を扱っています。

・あらすじ

 むかしでもなければ、いまともいえない場所で始まった想像ラジオ。

 DJアークという名のラジオ・パーソナリティは、送られてくるリスナーのメールを読み、ときには電話で話し、曲をかける。

 いたって普通な番組に思えるけれど、リスナーの1人となって見聞きしていると、どうやら普通ではないらしい。

 そのへんはまたおいおい話すとしてこの想像ラジオ、スポンサーはないし、それどころかしゃべってもいない。なのになんであなたの耳にこの僕の声が聴こえてるかって言えば、冒頭にお伝えした通り想像力なんですよ。あなたの想像力が電波であり、マイクであり、スタジオであり、電波塔であり、つまり僕の声そのものなんです。

10頁

 なんとも掴みどころのない、ふわふわとした物言い。

 その理由は彼の放送を最後まで聞きば分かる……かもしれない。

・レビュー

『想像ラジオ』とは?

 本作は非常に説明のしづらい作品です。

 謎のラジオ・パーソナリティDJアークによる、まるで押し寄せる津波のような喋りが展開され、リスナーと電話をつないだ中継では、そのリスナーが1ページまるごと喋っていたりします。

 かと思えば、東北の災害支援から東京へと帰る車中に場面が変わったり、ある2人がひたすら言葉を交わすだけの章があったりと、いったい自分が何を読んでいるのか分からなくなりそうでした。

 ただ、DJアークのいる場所が杉の木の上らしく、どうやら彼は生きた人間ではないようです。

 つまり想像ラジオという番組は、死者による死者のための番組であって、メールを送ったり電話で話すのもまた死者であると。

 そんなの関係ねぇとばかりに彼らは喋ります。

 喉が渇かないせいか、それとも色々な意味で自由なためか、DJアーク自身の生い立ちやリスナーの話などが洪水のように次々と語られ、何の話だったかも行方不明になってしまいそうです。

 やがて1人のリスナーと電話がつながり、DJアークこと芥川冬助らしき人の姿を、リスナーもとい中学の同級生が見たと話します。

 そこでやっとDJアークは、どうやら自分が「普通じゃない」と認めるのです。

DJアークは特別な存在ではない

 それなりに長く生きていると親類縁者などとの別れが増え、故人の思い出話をする機会も多くなります。

 例えば、

「〇〇さんは釣りが好きだったから、今日みたいな日は落ち着かないだろうね」

「あのときの××の機転で助かったけど、そうじゃなければどうなっていたか……」

「この前に会った人が△△くんと似てて、思わず声をかけてしまったんだ」

 etc…

 DJアークの想像ラジオは本人が登場しますけれど、先のような話では本人に成り代わって、「あいつならこうする」などと話したりします。

 そうして記憶の中で生きている彼らと語らうのは、まさしく想像ラジオであり、誰しもDJアークに成り得るのです。

それで絶望するとしても

 自らが死んでいるかもと思いつつ、今まさに喋っている勢いに任せているのか、DJアークによる想像ラジオは続きます。

 妻の美里について話した後には、彼の父と兄が現在地である杉の木の根元にやって来ます。そしてラジオをやめて木から下りろと言うのです。

 彼らは死者に向けたラジオを聞いているわけですから、自分たちではDJアークこと冬助を下ろすことができず、呼びかけるだけに終わります。

 おそらくDJアークは想像ラジオを続けることで、妻と息子の声を聞きたいのです。それは2人が自分と同じ存在であると認めることになるのですが、構わず彼は放送を続けます。

 死者のDJアークが2人の安否を知るには、同じ死者からの情報に頼るしかありません。

 リスナーの1人である中学の同級生から、自分が津波に飲まれる様子を見たと聞かされるように、助からないと絶望することになっても呼びかけずにはいられないのでしょう。

死者と共に生きる

 最近では一族の墓に入らず樹木葬や合同葬を選んだり、土地を占有しない海や宇宙への散骨を選ぶ人も増えていると聞きます。

 価値観や合理性で弔いの方法が多様化しても、以降の生涯において故人を思い返す機会は訪れるものです。

 そのとき本作のタイトルでもある想像ラジオや、映像のあるビデオ通話のようなものができたらと思うのは、きっと私だけではないでしょう。

 私たちは遅かれ早かれ死に逝く運命です。

 しかし記憶の中に生きる故人というか先輩たちと、想像という世界で過ごせたなら、大きすぎる悲しみを分け合うこともできる気がします。


2012年 気仙沼にて

 実際に東日本大震災で町が消えた事実を、どうか覚えていてくださればと。



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