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素材を無視しないこと

たとえば、木という素材を用いて鉄のスプーンの形を模倣しようとすることは、センスのないことだなと思う。(情けないけどやったことあるのでわかる..)
金属のスプーンの薄さや、すらりとした輪郭、細かな装飾や刻印などは、主に金属という素材が持つ展性という性質からくるものだろう。そのような性質を持たない木材という素材を用いて金属の物まねをしてみても、金属にかなうわけはない。たとえ金属のスプーンに見紛うほどのものができたとしても、それはおそらく変に薄っぺらくて実用に耐えない模造品に終わるだろう。
木には木という素材が持つ固有の性質がある。それは他の素材と重なる部分があったとしても、やはり全体としては木に固有の性質である。
そして木には木にふさわしい加工の作法がある。さらに言えば、個々の樹種、一本一本の木、一枚一枚の材にはそれにふさわしい加工の作法というものがあるはずである。硬く緻密な黒檀のような材と、柔らかく軽いスプルースとでは求められる加工法や、ふさわしい形のデザインなどが変わってくるはずなのだ。
一方で、素材というものにはある程度の無理を許容する幅もまたある。木材で金属の質感を真似ることも確かに可能である。そのような幅があることによって、新たなデザインの可能性が生まれるということもあるかもしれない。
しかし素材固有の性質に対する行き過ぎた無関心は、恐らくは出来上がってくる作品に不自然さを生むだろう。硬い素材には硬い素材の、伸びる素材には伸びる素材の、それぞれが得意な形というものがあるはずだ。
できることなら、素材がもつ「ありのまま」を無視することなく、自然な形というものを模索していければと思う。
素材に無理を強いる制作、素材を置き去りにしたデザインは、おそらくは醜さを生んでしまうと思うから。

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