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ルイ16世と職業選択

1792年、断頭台の露と化した彼。

手先が器用でいろんな工作に夢中になっていたそうだった。

「人道的な処刑具」としてギロチンの導入が検討された際、その刃の角度を「斜めにするように」と改良の助言を行ったのは彼自身であった。彼の趣味、錠前作りによって、工学的知識、金属器の知識を持っていた。

政治的手腕には疑問符を突きつけられる評価が多々あるものの、人間としては、とても温厚で、彼が死を迎える前日、「自分の死によってみんなが幸せになるのなら」と落ち着き払い、家族との時間を過ごしたと言われている。

387票対334票で死刑と決まった。
処刑当日の彼の言葉。大デュマの記述より
「人民よ、私は無実のうちに死ぬ。」
太鼓の音がその声を閉ざす。
王は傍らの人々にこう言った。
「私は私の死を作り出した者を許す。私の血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい」。
フランスへの思いが込められた一言だった。
しかし、その言葉を聞いてもなお、涙する者はなかった。
ルイ16世 (フランス王) - Wikipediaより抜粋)

彼が考え出したギロチンで、彼自身もその死を迎えることになったとは。

彼が国王ではなく、町の鍛冶屋さんとか、大工さんだったら、彼は彼の人生を全うできただろうに。

歴史に「もしも」はないけれど、彼のことを目にする度に、私はそう思ってきた。

現代、自分で自分の職業を選択出来る環境において、自分の適性を知ることは本当に大切なことだと思う。自殺率が高いと言われている日本において、私は、その職業が大いに関わりがあると、自分の体験から、また自分を取り囲む状況を見てもヒシヒシと感じている。

彼が町の鍛冶屋さんだったら、最高のパフォーマンスを発揮して、多くの人々を喜ばせたに違いない。貧困であえぐ平民であったとしても、自分の職業を心から愛し、多くの人の役に立っていると言うことで、彼はきっと、キラキラしていたことだろう…と勝手に想像してしまう。

そしてこれから未来へ羽ばたいていく特に若者たち、そして若者じゃなくても、仕事をして収入を得て生活していく人たち(自分を含めて)には、自分がどうありたいのかを常に探求し続けてね!と心から伝えたい。

ずっとずっと、長年心に思い続けてきたことをこうしてアウトプット出来る環境に感謝です。

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