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【ショートショート】Emerald Wednesday

『水曜日生まれの子は悲しみに満ち溢れている。』どこかの詩でそんなことを読んだ。では逆に水曜日に星になった子はどうなるのだろうか。

 年季の入った毛玉だらけの青い絨毯に、木目が特徴的な壁。壁の真ん中には四つきちんと並んだ花形のライト。四方八方にウミガメの標本、みた事のない何かの模型、アンティークドール、色の褪せた珊瑚、外国の陶器皿。硝子棚の中には天球儀や錆びついたナイフ、読めない文字で書かれた本がたくさん並んでいる。私は、そんな圧迫感と奇妙なもので息の出来なくなりそうな部屋に一つだけ置いてあるエメラルド色の電話機の前に立ち尽くしていた。
ここは私の部屋ではない。近所に住んでいる巷では少し気味悪がられているが心の優しいお爺さんの家である。お爺さんが若い時から集めている奇妙なコレクションは誰にも理解されることなく、ここで誰かが来るのに待ちぼうけであろう。お爺さんは時々この屋敷前のロッキングチェアで煙草を吸いながら外を眺めている。
私はある時、このロッキングチェアで休むお爺さんの前を、地面にのめり込みそうなぐらいの悲しみを背負いながら通り過ぎようとした。少し前に大切にしていた小鳥が虹の橋を渡っていった悲しみを背負いきれずずるずると体に重石を乗せて、徘徊を繰り返していた。名前を呼べば返事もするし、またねじゃあねと声を掛ければ片足をひょいと持ち上げてクイクイと動かしてバイバイもしてくれる。とても大人しく、あまり手の掛からない子だった。私の辛い時も楽しい時も全部を知っている。
この宝物が欠けてしまった世界でどう生きていこうか、とてもすぐには前を向けなかった。地面にぽろぽろと、悲しみが不規則に落ちていく。

『嬢ちゃん』

お爺さんは掠れた声で私に話しかけた。

『きっと気持ちが安らぐから来週の水曜日に、うちへおいで』

普通の人ならば心臓が跳ねるぐらい怖いだろう。なぜなら近所の人間の間では変な実験をしているだの、奥さんを食べてしまっただの本当かどうかわからない噂だらけの人だ。この聳え立つ屋敷で何をされるんだと思うだろう。でも私は不思議とお爺さんの言葉に少し暖かさを覚えた。薄いけどきっちりと分けられた白髪、第一ボタンまで留めたしわのないシャツ、綺麗に磨かれているブーツ。きっと物をとても大切にしているのであろう。質問をする気力すらなく、その日はこくんと頷いてその場を後にした。
それからの今、そのお爺さんの言っていた『来週の水曜日』が来て、この驚異の部屋に私はいる。

『時間がくれば、勝手にわかるから』

整っているのかごちゃごちゃなのか分からないこの部屋の中。私は、エメラルドの電話機の前に立たされてお爺さんはどこかへ行ってしまった。

圧迫感のすごい部屋の隅にある、まるでそこから生えてきたかのような柱時計の振り子が何度か左右に揺れた後、ボーンボーンと14時を知らせる鐘を鳴らす。エメラルドの電話は鳴ることもなく、ただ窓からの鈍い日光を浴びて光っている。洞窟にいるドラゴンの瞳のような鈍い光。レースのカーテンが曇り空を反射させて少しだけ部屋を明るくしているように感じた。
居なくなったものは、声から忘れる、そして顔、最後に覚えてることが多いのは香りらしい。話しかければ返事をしてくれる可愛い声、丸い頭くりくりした黒い瞳、ちょっと癖になる羽根の香り。君は見たことの無い虹を渡って、見たことない煌めく星になったんだね。帰ってきて欲しかったけれど、帰りの切符を忘れて遊び疲れて眠ってしまったんだよね。
私は締め付けられるような寂しさに駆られ、思わず美しい受話器を取った。


もしもし、久しぶり
そっちは、どんな感じなの?
そんなことして過ごしているのかな。
君がそっちの世界に行ってからさ、本当にいろんなことがあったよ。
なんかさ、いつもの毎日が欠けてしまった見たいで
それを補うために、失敗もしたりさ。結構、泣いちゃった。思わず、話しちゃった。ごめんね。

早く、会いたいよ。本当にそちらがあるのなら
いつか会えることは決まっているよね。
いつになるかな。
いつも、想ってるよ。
大好きだよ。
ありがとう、ありがとう。
またね。
じゃあ、またね。

無音だった受話器からは、遠くの方から昔遊びに行ったことのある遊園地で流れていたのカルーセルの音楽が聞こえた。笑い声や、駆け回る足音、とても懐かしい気持ちに安堵した。あの子の声が聞こえたわけでは無いが、なんだか生きていた頃に交わしていたものを今日改めて久しぶりにしたような気がした。

片手で受話器をゆっくりと置くと、私の横には湯気の出たポットとチョコレートのクッキーが乗ったシルバーのお盆を持つお爺さんがいた。
お爺さんは何も言わずにシワの多い口角を少しあげ、頷いた。


また電話を掛けたくなるような嬉しいことがあったら
この不思議な電話を借りにお爺さんを訪ねようと思う。

絵本の世界へ戻ってしまった君へ。
そちらの世界はどうですか。
水曜日に天使になった君へ。
楽しくやれていますか。




●Wednesday’s child is full of woe. 水曜日生まれの子は悲しみに満ち溢れている。(マザーグースの詩より)
●驚異の部屋(ヴンダーカンマー)→15世紀ごろに広まった珍しいものを分野隔てずに集めたお部屋のことを言います。パンズラビリンスやシェイプオブウォーターなどを制作したギレルモ・デル・トロ監督のお宅はまさに現代のヴンダーカンマーです。いろんなものがあるので画像検索する際は気をつけてください。

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