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青木さんと僕【1ー現場にて】

僕には青木さんという随分と歳上の友人がいる。
青木さんの夢に向かうその絶え間ない努力には頭が下がるし、飽くことのない向上心や枯れることのない好奇心には会う度に驚かされる。そんな青木さんをただ「友人」と呼ぶのは失礼な気もするので「畏友」と呼ぶことにしたい。

SNSなどでは青木さんについて度々話題にしているのだが、以前からそういった仲間内に向けた短い書き込みではなく、まとまったものを書きたいと思っていた。
そういうわけで、せっかくアカウントも作ったのだし、不特定多数が目にする可能性も無いわけではないこの「note」で、畏友青木さんについて、僕との関係を通してどのような人物なのかを知って頂けたらと思う。

予め構成などを頭に入れてという書き物ではないので、いつものようにとっ散らかったものになるだろう。とはいえ、それ程長いものにはならない筈だから、読了までの少々の時間お付き合い頂ければ有難い。

さて、青木さんについて書く前に、まず書き手である「僕」について書いておこう。
僕は、アメリカ、メキシコ、タイ、ドイツで活動した元プロボクサーだ。
19歳で生まれ育った福岡を出てプロデビューしたのがアメリカのラスベガスで、最後の試合となった試合がドイツのハンブルグ、二十歳でプロデビューして三十歳で引退した。

このように書くと何かちょっとしたボクサーだったのではないかと思われるかも知れないが、観客の少ない会場で、殆ど記録にも残らないような試合を十ちょっとやって負け越して終わった平凡なボクサーだった(とはいえ、個人的には自分のキャリアには誇りを持っていると言って良い)。

そのような経歴の中で、恐らく、ただ日本に住んで日本で活動するだけではなかなか見ることの出来ない様々なものを見聞きして、実際に触れて、己の価値観を開拓してきたのだと思う。
人と話していて自分が他人と違った価値観や経験を持っていることに気付き、それを人に知らせること、表現することに興味を持ち、引退前には「物書きになりたい」という目標を持つようになった。

ボクシングキャリア最後の地となったドイツに旅立つ前には、タイで取材をしてくれた記者の方に話して『ワールドボクシング』という専門誌に2度ほどエッセイのようなものを書かせて貰ったこともある。
引退後はスポーツノンフィクションの新人賞に出すなどしていたのだが、どのように書くべきか分からず、悩んでるところ知人に慶應義塾大学の通信教育課程の話を聞いて「物書きの為にも」と決意して、苦学の末に7年掛かって卒業した。

青木さんと出会ったのはある「現場」でのことだった。
僕はまだ大学生で、アルバイトと勉強の両立が難しくなり、福岡市で借りていたアパートを引き払ってから実家に戻ってしばらくした頃、季節は秋口に差し掛かっていたと記憶している。
だとすると大学生活の最後の一年で、卒論の最終仕上げに入っている頃か、或いは書き上げた直後くらいだから、6年近く前になるだろうか。

当時の僕は、土日のアルバイトとは別にして、警備員(交通誘導員)の仕事もやっていた。警備員の仕事は空いている時にいつでも入れたし、以前にも経験があったので(夏暑いのと冬寒いのを我慢すれば)比較的楽なのは分かっていた。
経験があるからと研修無しでいきなり派遣された現場は駅近くの道路拡張工事で、そこに派遣されるようになって数ヶ月経った頃に青木さんとはじめてご一緒した。

第一印象で「現場仕事には珍しいタイプだな」と思った。
青木さんは当時で76歳と言っていたように思う。
日給は安かったが、ほとんどの現場は田舎町で交通量は多くなく、取り立てて難しい仕事ではないし、体力的にも楽な現場が殆どだったから、青木さんと同年代の警備員は何人もいた。
しかしそのような中にあっても、青木さんのような人はとても珍しかった。
優しい声色に丁寧な言葉遣い、そしてすれた感じのない少年のように朗らかで他意を感じさせない笑顔。
そして、如何にも現場慣れしていないその振る舞い。

研修もなくいきなり現場に入らされた僕と違い、青木さんは勿論研修を受けたことだろう。
しかし、20年近く交通誘導をしていない僕に研修を免除するような会社だから、恐らく青木さんが受けた研修もいい加減なものだったに違いない。

それは現場の青木さんの仕事ぶりで見て取れた。
僕が二十歳そこいらで初めて警備員の仕事についた際、3、4日くらい掛けた研修でまず徹底的に叩き込まれたのは「己の身の安全を確保すること」だった。
しかし青木さんは周囲を確認せず、仕事がありそうなところに走って向かう。
そして、赤いカラーコーンと黄色と黒の縞々模様のバーで囲われた作業現場内を注視する。
実際に取り立てて危ないと思える場面は記憶にないが、ある程度現場慣れした者ならば初見で「危ない」と思う筈。

実際に、同じ現場に入った若い女性から「青木さんは危ないから現場に入れて貰えなくなるかもしれないっていう話もあって」と聞かされて、内心『そうだよなあ』と思いつつ、真面目で人当たりがよく、好印象の青木さんが、会社の研修がいい加減なせいで辞めさせられるのは我慢ならなかったので一つ指導をすることにした。

「青木さん。警備員の仕事というのは、現場とその外の関係を調整することです。現場内は基本的に作業員と監督の管轄です。僕らの仕事は一般の人や車両が外から現場に接触しないように安全に誘導すること、そして現場から車両や人が出入りする際に安全に誘導することです。だから基本的には現場の中を見る必要はなく、現場から外を見なければなりません。そして、一番大事なことは、何よりもまず青木さん自身の身の安全を確保することです。周囲の確認は、まず自分の身の安全を確保する為と思ってください」

こういった指導をすると、青木さんは大げさと思うほどに目を輝かせて「あなたは命の恩人だ!」と、言ったことを覚えている。

青木さんによると「現場仕事は初めて」という。
言葉通り全く初めてではないのかも知れないが、しかし青木さんの態度や喋り方を見れば、現場作業、そしてそこで使用される言葉に慣れていないのは明らかだ。
聞くと、元高校の国語教師で元詩人、そして定年後に国立大学で修士号を取得し、現在は小説家を目指しているという。
なるほどと合点がいった。

現場仕事というのは「習うより慣れろ」「考えるな感じろ」の世界だ。そういう現場では言葉そのものは発達せず、全く不統一で機能的でない言葉が一切の遠慮無く放り投げられる。

現場の言葉について、分かり易い例として、所謂「トンカチ」などと呼ばれる道具の呼び方で説明するのが良いだろうか。
これらは、素材や大きさ、用途に応じて様々な呼び方がある。
例えば、金槌、ゲンノウ、ハンマーなどの名称だ。
それらは更に様々に分類されるわけだが、そこに更にボンゴシ、大ハンマーなどと言った俗称が入り乱れており、しかも作業員それぞれによる呼び方が(正誤含んで)統一されていないので、「◯◯持って来い!」と言われた際には作業者それぞれが勝手に呼んでいる呼び名を覚えなければならず、同じ現場で一つの道具をそれぞれの職人が違う名で読んでいることも少なくない。

全く機能的ではなく、なぜこういった言語環境になるのか不思議に思うが、彼らの多くは現場をそれ程機能的に運営しようなどとは考えていないのだろう。
現場仕事ではマウントを取ること、そして日給月給的な発想で自分の稼ぎだけが大事だと思っている人間が多いので、間違っていようが「俺ルール」が適用される。

正直に言って、僕もそういう現場作業における言葉、程度や優先順位や枠組みや機能性などが不透明なままなんとなくの感じで放り投げられる言葉を理解するのは苦手だ。
とは言っても、僕の場合高校を卒業して最初に働き出したのはヤクザがいっぱい居る日雇いの人夫出し(肉体労働専門の人材派遣会社)だ。若い頃からそれなりに現場仕事を経験し、ある一時期にはそういったことを叩き込まれたと言って良い。
だからこそ「そういうもの」として、言葉プラス状況で判断することを一応は知っている(勘が働く)。

教師として詩人として、言葉の世界の住人として生きてきた青木さんが現場の「言葉」をそのまま理解するのは無理があっただろう。
青木さんにとっては、僕は青木さんの暮らしてきた世界と現場の世界を繋ぐ通訳のように見えたのかも知れない。

(【2ー二人の小説家】につづく)




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