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今日もゆりかごの中で揺れる

”自然の懐の中にいる感覚”
いったいどれだけの人に共感してもらえるだろうか。いったいどれだけの人が知っている感覚だろうか。

私は物心ついた時から自然のつくりだすものに魅せられた。

毎年、行く先々で必ずリュックの中を拾い集めた石でいっぱいにしては両親を困らせていた夏休み。その時のことを「まるで石と話をしているみたいだった」と母は言い、父はいつも穏やかに見守っていた。私があまりにも石に興味を持つので、兄と弟のお土産はチョコレートやTシャツなのに私には石を渡してくれるようになった旅好きの祖父。霊感の強い祖母には川の石だけは拾ってはいけないと釘をさされながらも、誰も私の”好き”を否定せず、奪いもしなかった。そのおかげで、今になっても私の生活の中には石がある。

小学生の頃、校庭に生えているもみじの木が大好きだった。雲梯の側にある木で、雲梯の上に座ると視界いっぱいがもみじの葉になる。そこに風が吹き、葉を揺らし、さわさわと音がする。それがたまらなく心地良くて、休み時間にそこに座っては木の側で葉の色を眺めて、音を聴いて、風を感じていた。今思えば、相当な不思議ちゃんだったに違いない。

13歳の時の留学中、オーストラリアで夜に大規模な停電があり、私の兄弟を含めた何人かのホームステイ先の子供達でろうそく片手に外に出ると、空に天の川があった。それは何と形容したらいいのか、はたして言葉におさまりきるのだろうかというほどの眺めだった。子供ながらに目に焼き付けようと何度も何度も空を見上げた。

それから何度も季節が巡り、大学への進学と共に私は上京した。

20歳の冬、私は半ば衝動的に一人で東京から屋久島へ向かった。それが初めての屋久島、初めての九州だった。その年は屋久島に珍しく大雪が降り、私が到着する3日ほど前まで登山口が閉鎖されていた。

往復10時間ほどかかるとされる縄文杉の登山ルート。帰りの飛行機の都合上、朝早くから登り始める必要があった。4時30分に予約していたタクシーに乗り登山口で降ろしてもらうと、そこには誰もおらず、もちろん真っ暗だった。もしその時にタクシーの運転手の方から「危ないからやめておいたら?」の一言がでていたらやめていただろうほどに足がすくんだ。こんなに暗いのにこれから一人でこの森に懐中電灯一つで入らなければならないのかと。

今でも自分の中の”怖かった経験ベスト3”にはいるほどだ。しかし、タクシーの運転手の方からでたのは「いってらっしゃい」の言葉だった。そしてその言葉に背中を押されるように私は森の中へと入っていた。

ガイドブックの登山ルートに”最初はトロッコ道です”と書いてあったと記憶しているが、正直、雪が残っていたのと暗さと恐怖心でどんな道を歩いているのか把握する余裕などなかった。歩きながらに感じる川の流れる音、葉が風で揺れる音、木の匂い、雪の上を歩く感覚、子供の頃に好きで仕方なかったそれらは、その時の私にとって恐怖心を煽るものでしかなくなっていた。少しでも歩く足を止めてしまったら前にも後にも動けなくなってしまいそうなほど恐怖心に追い詰められ、iPodにはいっているアニソンのプレイリストに励まされながら必死に歩くことだけに集中していた。もはや何のためにここにいるのかわからなくなっていた。

森は深ければ深いほど日の光が入りにくい。8時近くになっても明るくならず、もうこのまま暗いままかもしれないとすら思っていた時、ようやく辺りがぼんやりと明るくなりだした。だんだんと見えてきた景色の中にあったのは雪と大きな木々と岩。自分の周りにあったのは自然だけだった。前にも後にも人は誰もいない、その空間に自分と自然しかなかった。

大王杉の前で、登り始めてから一度も止めずに歩いてきた足をはじめて止めた。涙がぽろぽろと流れて足を止めずにはいられなかった。その時に自分の中で子供の頃の懐かしい感覚が蘇っていた。それはまるで自分が自然の中のゆりかごの中にいるような感覚。ただただ穏やかで、平和で、満ち足りている、とてもあたたかいものに包まれている感覚。

私はそれをよく知っていた。知っていたのに、見えていたのに、聴こえていたのに、都会で生きる憧れに染まり自ら閉ざそうとしていた。それに気がつき悲しいと思った。けれど、その時の私の涙は自分の心への悲しみの涙ではなく、嬉し涙だった。私がどこに行っても何をしていても昔から側にあったものが今も変わらずに自分の側にいてくれたことが嬉しかった。どんな人間になろうと、誰に出会い誰をなくそうと、どんな心を持ち合わせていようと、何の見返りもなく、責めもせず、褒めもせず、言葉を発するでもなく、”そこにある”という存在だけで包みこんでくれる。それが真の優しさに思えて、登山中もそれまでの生活の中でもいくつも木々を通り過ぎ、風が吹き、川が流れ、葉の音を聴いていたはずなのに、まるでずっと会いたかったものにようやく会えた気がした。その再会が嬉しくて安心して涙が止まらなかった。

”ずっとそこにいてくれたのに長いあいだ待たせてごめんね、ありがとう”と。

その日の登山は無事に縄文杉まで辿り着き、お弁当を食べ、下山、そのまま空港へと向かった。あんなに怖くてあんなに得たものが大きい旅に今となってはとても感謝している。


今、この文を書いている自分の部屋の窓に見えるハナミズキが今日もまた風に葉を揺らし、太陽の光で色を変えながら側にある。道を歩いている時も、電車に乗っている時も、働いている時も、飛行機の中でさえも、目に映る、匂いがする、聴こえる、肌に感じる、それが嬉しくて仕方ない。まるで石を拾い集めていたあの頃のように、雲梯の上に座っていたあの頃のように、天の川を見上げたあの頃のように、今日も私は自然の大きな懐の中でゆらゆらとゆれる。

これが私の知っているゆたかさであり、宝物。



Rin.2020.6.16



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