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解放という呪縛

(間接的にですが犬が亡くなる表現を含む文章です。苦手な方は閲覧をお控えくださいますようお願いいたします。)

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1年が経った。
大学を卒業してから、そして、あの子が長い眠りについてから。

これは、あの日の私の、どうしようもなく我儘で自分勝手な散文だ。



卒業式の日、よりによって私が朝早く家を出た日、両親が見守る中であの子は亡くなった。

「今朝だったから、」と、私の在籍している学部名も学科名も覚えていなかった父はどこか朗らかにそう言った。穏やかに凪いだ、よく晴れた午後のことだった。卒業式に行くなんてひと言も言わなかった父が突然「向かっています」とLINEを寄越したことの意味がなんとなくわかった気がした。

その時が近いことは、薄々分かっていたのかもしれない。

夜鳴きをしなくなった。ご飯を食べなくなった。目の開きが悪くなった。1日の殆どを、ショーケースのようなガラス張りをした酸素ボックスのなかで過ごすようになった。豊かだった毛並みは、もう骨の凹凸がはっきりとわかるまでに薄くなった。ビー玉のような光をたたえていたひとみは、少しずつ、でも着実に、乾いていった。
それでも、寝たきりになった彼の口もとを手で持ち上げて、歯をむき出しにして、歯と歯の間から、はちみつを混ぜた水をスポイトを使って少しずつ流し入れる。はちみつはカロリー補給と、味をつけてどうにか飲んでもらうようにするための苦肉の策。昔だったらすぐ噛みつかれていたその動作も、もうこちらを見ることすら無い。最初は手を添えたら自然と起き上がっていた頭も、ぐったりとこちらに体重を預けるようになっていたし、それすらもだんだん軽くなっている気がした。口内にうまく飲み込まれなかった水分が枕にゆっくりと染み込んで濃くなっていく様を、もう何度見たのだろう。そしてその光景を、もう両手におさまるくらいの回数しか見られないのであろうことも、少し前から、なんとなく分かっていた。命を蝋燭の灯火に例えることがあるが、蝋がぽたりぽたりととけだして短くなっていく様を見せつけられているようだった。日に日に跡は濃くなっていく。暗いなかにぽたりぽたりと落ちていく。
それは奈落の底を覗き込むようで、でもその奈落の先には光が差し込んでいるんじゃないかと思ってしまって、足元が竦んだ。最低な人間だ。

でもまさか、今日だとは思わなかった。
思いたくなかった。


仕事に行くから、と言った父と別れてから、気がついたら目の前に卒業証書があって、コロナ対策として学部毎に別れて行われるようになった証書授与が終わっていたことに今更気づいた。

ああ、もう終わったんだなあ。
何もかも終わった。何もかも。


朝から綺麗に施された袴もメイクも髪の毛ももう全部どうでもよくなってしまった。唯一救いだったのは、止まらない涙を誤魔化さずにすんだことくらい。ゼミの同輩は「大学の卒業式でこんなに泣く人いないよ」と笑った。笑えなかった。もうどうでもよかった。ゼミの集まりも友人同士の撮影会も、立っていられなくて見せられる顔じゃなくなってしまって早々に離席した。こうしている間にも、あの子はどんどん冷たくなっていく。

「脱がせてください」と、誰もいない薄暗い着付け部屋に早々に戻ってきた、ぐちゃぐちゃの顔の私は着付け師の方々にどう映っていたんだろう。ぱさぱさ、4年間が終わっていく音がする。袴も振袖もあっけなく取り払われていく。4年間が終わっていく音がする。はしゃぐ声が遠く聞こえる。この日のために買ったアイシャドウも髪飾りも、可愛かったのにな。


式典後には、同じクラスだった友人たちと食事をする予定が控えていた。家事やあの子の介護で削り取ってくるしかなかった、友人との時間。最後くらい楽しんだってバチは当たらないはずと、誘われた時は飛び上がるほど嬉しかった。
けれど、今の状況で楽しめるわけがない。「予定を切り上げて帰ってくることをあの子は望んでいないよ、ちゃんと最後まで楽しんできなさい。こっちのことは気にしなくていいから。」1度は帰ろうと思って乗った電車、ホームでかけた母への電話での言葉が耳の中でこだまする。残酷な正答。4年間の集大成である今日という日でさえ、ハッピーエンドのイントロさえ聞こえない。さいごまで正しくあろうとするんだね、正しいってなんだろうね。
やりきれなくて、悔しくて、誰もいない駅のベンチで泣いた。こんな時でも自分のことしか考えられない自分の浅はかさに、また泣いた。今ひとり実家であのこと共にいる母は、何を考えて、どう思っていたのだろう。

結局友人との予定には参加したけれど、1次会で早めに切り上げて帰宅した。もうどこかに行ってしまいたかった。早く帰りたいような、帰りたくないような、まあでも帰らなきゃいけないし。
今まで時刻表とにらめっこしながら、1本でも早い電車で帰ろうとしていたけれど、久しぶりに何も見ずに帰路に着く。大学生としての時間も友人との時間も最後まであの子に支配されたままか、という諦めへのささやかな抵抗だった。


2日後、大きな窯を積んだ車が来て、花や毛布やおやつを詰めたダンボールのなかで眠っているあの子をひきとって、帰ってきたら、金属のバットの上に散らばる白く細かい破片になっていた。確かに晩年には毛が薄くなっていたけれど、ここまで固くはなかったのにな。改めて事実を突きつけられた気がしてまた泣いた。横を見たら母も泣いていた。さすった背中がなんだか小さく見えた。


「あなたが大学を卒業したのを見て、もう大丈夫だって思ったんだと思うよ」「死ぬところを見せたくなかったんじゃないかな」「ちょうどいいタイミングだったんだよ」
これまでに、親類やそれ以外の周囲から言われた言葉。

これが呪い以外のなんだって言うんだ。

その言葉が正しいのなら、私が卒業しなければ、ひとり暮らししたいなんて言わなかったら、あの子の寿命はもう少し長かったのか。家族に誰よりも生きていてほしいと望まれたあの子の寿命を私が削ったのか。死神みたいじゃないか。命が永遠じゃないのは分かってる、でも何が大丈夫なんだ。ちょうどいいってなんだ。あの子がくれた自由を全うしろってか。なんで自由になることすら自由にできないんだ。確かにこんな日を望んでしまっていたこと、分かっている分かっているんだけど、でも、ケアから、家族から解放してやるからって、急にぽんと放り出された私は、どうしたらいいんだよ。


いつだってまとわりつく罪悪感を振り切れずに、今日も生きている。


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