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天気の子

「天気の子」のヒロイン・陽菜は「晴れ女」ではなく「雨女」だったのではないか

日本中で大ヒットし、一大ムーブメントを築いた前作「君の名は。」から3年。
2019年7月19日、新海誠監督の最新作「天気の子」が公開された。

あらすじは離島から東京へ家出した少年・帆高(ほだか)は渡航中のフェリーで出会った編集プロダクション社長の須賀圭介を頼り、衣食住と仕事を手に入れる。そんな中出会った天候を変える力を持った少女・陽菜(ひな)。彼女は弟と二人暮らしをしており、生活は困窮していた。それを知った帆高は雨が降り続く東京で、陽菜の祈りで天気を晴れに変える能力を利用した「晴れ女ビジネス」を提案する。だが能力を使うことにはもちろん代償があり、少年と少女は世界の大きな歯車に巻き込まれていく。

少年と少女のボーイミーツガールと、少年と少女のこの世界との関係を描く本作品。

タイトルから天気にまつわる内容であることは想像できると思うが、この記事では「現実世界とリンクする雨」についてと、「ヒロインの陽菜は晴れ女ではなく雨女だったのではないか」という2点について、感想と考察を綴っていく。

現実とリンクする雨

この映画の冒頭を見たとき、現実世界と作中の世界がリンクしていることに深い感動を覚えた。
元々新海誠監督は、現実に存在する建物や小道具、背景を正確に描写することに定評があり、今回の作品も東京の景色がアニメーションとして美しく再現されていた。
背景の再現度も感動を覚えるポイントではあったのだが、一番心が動かされたのが「雨」についてだった。
雨が物語の根幹に関わる本作品。作中の世界では雨が延々と降り続き、8月でも太陽が照る日がほぼないような異常気象の中にあった。
現実も例年よりも梅雨明けが遅く、7月はなかなか日光を拝むことができないような天気が続いていた。
フィクションの世界と現実の世界がリンクする――そんなこと馬鹿げている。
ただ偶然、梅雨が長い年に天気を題材にした映画が放映されただけだが、この現実の天気さえも「天気の子」を引き立てる一つの演出となっており、それによって作品への没入感が付与されていた。
繰り返すがただ偶然雨の日が続いていただけだが、それすらも新海誠による演出なのではないかと思わせるような不思議な空気がそこにはあったのである。

以下ネタバレ注意。続きを読む前に、「天気の子」をスクリーンで見ることをお勧めします。

陽菜は「晴れ女」ではなく、「雨女」だったのではないか

祈ることで雨を止ませて、晴れを呼ぶことができる本作のヒロインの陽菜。作中で彼女は「100%の晴れ女」と称されていた。
主人公の帆高が「100%の晴れ女」を探す過程で、胡散臭い占い師から、晴れ女・晴れ男は稲荷信仰、雨女・雨男は龍神信仰というような話が出てくる。
「晴れ」を司る稲荷神を祀る神社で特徴的なのは朱色の鳥居だ。京都の伏見稲荷大社を思い出していただけば分かるだろう。新宿の廃ビルの屋上の社へと続く鳥居はたしかに稲荷神の象徴である朱色の鳥居だった。
稲荷神の眷属といえば狐だが、作中で狐が登場するような描写は見られなかった。
民俗学にも精通している新海監督が眷属の姿を映像として作り出さないことに私は違和感を覚えた。
またそれどころか、雨のシーンや、天の上の「彼岸」のシーンでは雨を象徴する龍の姿をしたようなものが描かれていた。
雨を司る龍神信仰の説話・伝説は古来より、また各地域に伝わっている。
有名な話でいうと、岐阜県の山中に実在し、また泉鏡花が小説にした「夜叉ヶ池」の伝説である。

「817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われ、あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、ため息まじりで、「もしそなたが雨を降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう」と語った。

するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。」と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。

翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、「村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。」と答えた。驚いた安次は、「何か必要な物はないのか。」と問うと、娘は、「今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。」と答えた。

こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者(龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。

数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。」

日照りを解消するため、龍神に祈りを捧げ、その代償、つまりは生贄として、娘は龍神に差し出された。
要約するとこのような内容になる。

もう一つ、龍神伝説の有名な話として、出雲の「ヤマタノオロチ」伝説がある。
「高天ヶ原を追放されたスサノオは、出雲の国の斐伊川の上流に降り立った。そこでスサノオは泣いている娘と老夫婦に出会う。名前を尋ねると、夫はアシナヅチ、妻はテナヅチといい、娘はクシナダヒメというそうだ。更にスサノオが泣いている理由を尋ねると、「ヤマタノオロチが毎年やってきて、八人居た娘のうち七人まで食べてしまった。今もまた、ヤマタノオロチヤマトノが来る頃で、この娘も犠牲になってしまう」と、泣き崩れた。

詳しくきくと、ヤマタノオロチはその名の通り八つの頭と尾を持ち、谷や山の屋根を八つも超える巨大な蛇。その目は赤く燃え、いつも血で爛れている怪物だと言う。

スサノオはヤマタノオロチ退治を決めた。自らアマテラスの弟だと身分を明かし、クシナダヒメを嫁にもらうことを条件にヤマタノオロチ退治を引き受けます。まずクシナダヒメを櫛に変え、自分の頭にさした。そして老夫婦に強い酒を用意させ、八つの門を造りそこに八つの酒船を置いておくように命じた。

準備を整えてスサノオが待っていると、ヤマタノオロチがやって来た。ヤマタノオロチはすぐさまに酒船の酒を飲み干し、酔いつぶれて寝てしまう。そこでスサノオは飛び出し、ヤマタノオロチを剣で切り刻んだ。斐伊川はヤマタノオロチの血で赤く染まったという。

スサノオがヤマタノオロチを切っていた所、不意に剣の刃が欠けてしまった。なんだと見れば、尾の辺りから一振りの太刀が現れた。スサノオはこれをアマテラスに献上した。これはのちに言う三種の神器の一つとなる草薙の剣だ。

こうしてスサノオはヤマタノオロチを無事退治し、クシナダヒメと結婚し、この地に宮を建てて暮らしたという」

「ヤマタノオロチ」という、水害を鎮めるための生贄だったクシナダヒメをスサノオが水害を治め、クシナダヒメを救ったという解釈が一般的な「ヤマタノオロチ」伝説。

そして「晴れ女」のアルバイトで神から授かった超自然的な能力を使用しつづけ、その代償として、その身を神に捧げることとなった陽菜。
止まない雨、迫りくる水害を鎮めるため、自らの身を捧げた陽菜。

作中での龍神の描写や、龍神伝説との共通性から、「晴れ女」であった陽菜は実は龍神に見初められた「雨女」ではないのだろうか、という疑念が浮かぶ。

そして極めつけはクライマックス。
陽菜が自らを犠牲にして、世界に晴れを取り戻したが、帆高が「彼岸」へ渡り、陽菜を現世へ連れ戻したことにより、龍神の怒りを買い、東京が水没するまで雨が降り続くこととなった。
このことからも、陽菜は龍神の加護を受けた「雨女」であったということが導き出せるだろう。

以上、思ったことをただただ書きなぐった駄文でした。ご覧いただきありがとうこざいます。

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