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私はコウノトリ

寒く、風も冷たい早朝のこと。太陽の国なんて誰が名付けたのかと問いただしたくなるほどに、冬はしっかり寒い。上着を貫いて、冷気が肌を刺す。

寒くなると、スペインのこの地域にはコウノトリが飛来する。鉄塔や教会の塔に巣を作って、嘴をカタカタと鳴らしてパートナーを呼ぶ。この日も高圧線の鉄塔の上に、コウノトリのシルエットが見えた。

コウノトリは人知れず家庭を育んでいるのだろうと思って歩いていると、村の老人に「¡Jefe!(ボス!)」と呼び止められた。彼とは初対面なので、もちろん上司でもなんでもないが、そういう言葉遊びである。

私が何者なのかを知りたいようだった。
まさか日本から来た人が住み着いているとは思ってもみなかったようで、聞いてみたかったようだ。当然といえば当然だ。「歴史がある」と村人が自慢するこの村の歴史の中でも日本から来た人が住んでいたことはないはずだ。

「どうやって村まで来たんだ?日本から歩いてきたのか?」

冗談のつもりなのだろうが、冗談とも思えないほど据わった眼差しでそう尋ねられた。

「違うよ、飛行機で来たんだ。飛んできたんだ。あそこにいるコウノトリみたいに遠くから来たんだ。」

高い鉄塔の上の、首の長いシルエットを指差して私はそう答えた。
その返事に納得したのかしなかったのかは解らないが、老人とはひとまず挨拶ができ、お互いそれぞれの方向に向かって寒空の下に歩を進めた。


コウノトリみたいに。


自分が発した言葉を、私は何度も反芻した。

遠くから来て、いっときだけこの村に留まり、その後はまたどこか遠くへと消えていく。
咄嗟に口から出た割には、調査のための一時滞在をしている私を表す直喩としては、出来すぎているようにも思われた。

でも、コウノトリのようには生きられないんだろうな、と予感する自分がいる。

コウノトリは北アフリカあたりから飛んできて、冬になるとこの地域に滞在し、子育てをするらしい。そして毎年、同じ巣に、同じつがいでやってくるそうだ。

コウノトリの気持ちは残念ながら私には解らないが、寒くても食べ物のあるこの辺りが、快適なのかもしれない。それまで住んでいたところが住みにくい時期になったから、多少ましなところに引っ越ししたのかもしれない。

その点では、私とコウノトリは似ている。
私は日本で抱えていたいろんなゴタゴタ、不満、嫌気、そういうものを置いてスペインに来て、奇遇にもコウノトリと同じところに住み着いている。

空を飛べるからといって、完全に自由になりきれないところも似ている。私はスペインと日本に、コウノトリたちはこの地域と北アフリカに、それぞれ居を構えて、そのうちでどこに住むかという選択の余地を持っているだけだ。

だが、コウノトリと違って、私には言葉の通う友も相棒もいない。胸に刺さって抜けないのは、日本に残してきた友や家族、不満ではありながらも慣れている社会であった。一時的にでも身の回りから遠ざけて清清したと思ったものと一緒に、大事なものも遠くに置いてきてしまっていた。

コウノトリたちよ、きみたちは、後悔と共にこの地に舞い降りたのだろうか。

いつこの村から去るとも知れない、私とは似ても似つかないコウノトリを遠方に見つめながら、私は今日も満たされない心を引っ提げて生きているのだった。

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