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窓一枚分の世界

日本を離れ、早くも5ヶ月が経過する。日本のような年の瀬の慌ただしさはここにはなく、クリスマスに向けてほどほどにボルテージを高めて、ほどほどに楽しみにしているような気がするのはここが小さな村だからなのかもしれない。それでも遠くの家族が帰ってくるからとクリスマスのディナーのことばかり考えている人も少なくない。

ここにきて、大きく体調を壊した。胃が固形物を受け付けず、水も飲める気がしないので口を湿らせる程度にチビチビやった。10年ものの梅酒でもここまで慈しんで嘗められることはないだろう。
直感的に、このままではヤバいと思い、ふらつく体をゴリ押して店に行き、わざわざ栄養評価E(スペインの食品は栄養評価A〜Eがパッケージに書いてある、Eは最悪)のチョコレートを買い、欲しくもなかったクランチの食感を下の上で転がしながらチョコを溶かしていた。爽快なザクザク食感のクランチは病人向けではない。

私の家には街道に面した窓がある。日夜を問わず大きなトラックや自動車が行き交い、村人もまた多くが利用する。病床に伏せりながら、変わるんだか変わんないのだかわからない窓一枚分の景色を眺めるのに数日を費やした。1日のうちに何度も降ったり止んだりをくりかえす雨模様の日が続いているので、晴れの日、雨の日を交互に何週間も過ごしたような気分になる。ハトが空を飛んでいくのが羨ましかった。ハトは屋根のある私を羨ましく思っているかもしれない。

体調を崩せば世界のどこにいようと、やることはひとつだ。病床に臥してやり過ごすしかない。どこのだれでも、それは同じことのはずだ。
日本にいたところで一人暮らしなのだから、看病してくれる人もなく、自分で自分の後始末をするのはスペインの村にいても変わりがない。しんどいけれども、他の人に手間をかけないのだから、幾分気が楽だ。

しかし決定的に違うのは、この村の病床には私が病気をやり過ごす基盤がそれほどないということだ。困った時の葛根湯もバファリンも数に限りがある。こちらの薬はそもそもどれが効くのかわからないし、村の病院は私を診てくれない(公立の病院は外国人を診てくれないようだ。急患なら診てくれることがある)。隣町まで行かないと私立の病院はないが、隣町までは自動車で20分の距離(しかも100km/hでブッ飛ばしての20分)。病人でなくても自動車がなければ歩いて半日かかる。

そういう意味での心細さもあるが、どうやら私は、そもそも自分を過信していたのかもしれない。1年というのは、人類学者の調査としては長くはないが、外国人が、それも私のようなほとんど外国を知らない人が小さな村で過ごすには長い時間である。つい、郷里の家族が懐かしくなるし、つい、自分の家が恋しくなる。そんなものはねだっても、ここにはないと自分に言い聞かせる。

病気をしたところでだれも看病する人はいないのだし、かねてより友達の少ない人間であるので、気にかけて連絡してくる人もそういない。自分のほうからは、あの友は元気だろうかと連絡を入れてみることはあるが、常に自分から動くというのは、腰掛けている椅子から立ち上がるように難儀なことである。思ってみれば、実家を出てからの10年ほど、私は長い時間ひとりだった。

ひとりじゃない時間もあった。しかし、いま病床から遠い日のことを思っても、詮無いことである。

気にかけてくれる村人もいるが、基本的には私から何も言い出さない限りは向こうも何も言ってこない。逆に、私から声をかければ必ず応じてくれるのだが、私はここにいては恩返しする術がないので、助けてくれというのは無責任な気がして、つい気が引けてしまう。贈与論、という言葉がふと頭をよぎる。
私はこの村の生活の中に組み込まれておらず、いてもいなくても同じなのだ。私だけではなく、人類学者は多かれ少なかれ、そんな立場にあるはずだ。そんなことを言っては現地の人に失礼なのはわかっている。しかし、いずれ調査地を去る日は来るが、去ったところで人々の暮らしに支障が出ることは、少なくとも私の場合にはない。それはパンデミックという出来事で急に帰国し気付かされたことでもあった。私を懐かしんでくれる村人の声は、素直に嬉しかった。
それでも、実家の家族ですら、私がいなくても変わらぬ生活を送っているのだから、なぜか現れた外国人がある日からいなくなっても、根本的な生活に何の影響があることだろう。

達者でいようと、病床に臥せっていようと、私は何かにつながっているようで、つながっていない。存在論的に中途半端な存在なのかもしれない。

その状態をうまく利用することができれば、下手に他人と自分を比べなくて済むし、自分のことに集中できるものなのだが、私は頭で語る理想ほどに強い存在ではない。脆いくせに自分の脆さを知らず、丈夫なふりをして生きている葦なのである。

大層な口ぶりで愚痴を並べる時間があれば論文を読め、調査をしろ、というのは全くその通りだ。何も反論できない。指導教員にそんなことを言われた日には平謝りするしか私には手札がない。しかし、私には一息ついて自分と周りを整理する時間もまた必要なのだ。

全速力で走っている時には、何が問題なのかすら、意外と気がつかないことなのだ。病いは私に苦痛をもってくるが、同時に、頭を冷やせ、周りを見渡せ、残りを走り切る計画を立てろと助言を残して去っていく。

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