見出し画像

酔って思ったことを連綿と書き残す23「夏の思い出と鰐と序でのロボ丸」

今年の夏は平和です。

その手前までに存分に自殺の虫くんが大暴れしたのもあって、駆逐されてる間に梅雨が明けて夏になって、事件も起きず、強いて言えば、これまでの人生でほぼ食べることのなかった「アイス」の美味しさに目覚めて、モナ王とか、ハーゲンダッツのキャラメルの、モナカみたいなやつ(クリスピーなんたら?)を食べながら、「3月のライオン」の最新巻を読んでいたら、アイスをその本に落としちゃって、二階堂くんがシミになったぐらいだろうか。
島田さんもちょっとシミになった。

あとは、文豪ストレイドッグスの最新巻で太宰さんが、ね?
良かったのか、あんまりなのか、ということになってしまい、並行して放送されているアニメの最終話は、アニメがまさかの原作を追い抜くんじゃないか、なんてひやひやとしているぐらいだろうか。
その辺を考察してる人たちも多くて、見ていて面白いな、って。(個人的には、ドスくんの双子説を考えてるよ)
X(旧Twitter)にポスト(ツイート。慣れないな、これ)されてる、絵の上手な人の、文ストのイラストも、すごいなあ、と思って見ている。

実に平和。

ちなみに今日は、某スーパーのハンバーグ弁当を食べてみたら、ハンバーグが硬くて、割り箸が初手で割れた、という。本当に、それぐらいかな。
ハンバーグをフカフカにするか、割り箸をいいものにしたほうがいいよ、イオン。

子供の頃の夏は、福岡に行って、海で遊んだり、デヴィッド・シルヴィアンのアルバムを購ったり。
中学の時は内緒で大阪に行って、SOFT BALLETのライブを見て、帰れなくなったり。高校生の時は、恐竜の骨格を作ったり、島に行ったりした。

大人になって最初の夏は、当時母が付き合っていた不倫相手にレイプされた。
次の夏は、路上ライブのドラマーになっていて、そのメンバーたちと三重の熊野に行ったかな?
夏に開催される花火大会を見に行った。国道とは思えない崖の上の道を、なぜかPUFFYを聴きながら走り抜けて。モーニング娘もかけていたような。
その数年後の夏は、千葉に行った。
文学系のサイトで仲良くなった人と待ち合わせて、レイプされた挙句、数日間、大変な目にあって(想像の斜め上をいく展開だったよ)、そのあと、箱根で別の友人と待ち合わせて、ユネッサンで遊んだ。

被害に遭う、それを声高に訴える、それが普通なのだろう。
私は発声障害をその後に患って、その患者会にも末席で参加している。患者会が言いたいことも実感としてわかるし、当然上層部は広告塔なのだから、そうするだろう。
実際にその活動で、いろんなことが改善されて、有名人の方にも同じ病気を持ってしまった人がいて、認知も進んだな、と思う。
でも、実のところ、個人的には、諦観というでもなく、なんというか、ベールの向こう側の世界を見ている感じがする。
実感は伴うし、実際に私自身の声は(ちなみに、痙攣性発声障害と、機能性発声障害のダブルコンボでした)手術したり、YouTubeを参考にボイトレをしたり、カイロプラクティックに通ったり、なんだかんだと試行錯誤をして、むしろ美声になったぐらいなのだけれど、今でも声が出ない時はまるで出ないので、気持ちは今でもわかる。
でも、同じ難題を抱えてる人たちを見ていると、「あえて自分を追い込んで」いるのか、はたまた「それすらわかっていない」のか、「そうするしかない」のか、その辺の、社会一般的な「概念」が、多分私にはわかっていない。
レイプに関しても然り。
だから、要は、私は莫迦なんだろうと思うよ。
思うに、自身の性格上の刻薄さが自分自身にも作用されていて、同じ立場の人たちを見ても、気持ちはわかるけど、どこかズレた世界軸のように見える。
それこそ、私が長年患っている離人の症状のように、触れる距離にいるのに小さく遠くのように思える。

ちなみに、最初のレイプのあとは、それを言質に、今か昔かで言う「パパ活」のようなニュアンスで、母の不倫相手からお金をふんだくり、母の不倫相手が私の愛人になった。
二度目のは、ミルクコーヒーはお腹が空いた時に非常に良いという学びを得たよ。
今でも、お腹が空いたけど社内のコンビニも終わってて、自販機しかないなあ、という時は、ミルク系のコーヒーか、ミルクティーを購うようになりました。
甘いものは子供の頃から今も苦手だけど、糖分の大切さに、あの時に気付かされたのだよね。
まあ、ずっと体を動かされてるから、疲れてて、飲まされたのがそれで、それが美味しかったのだろうね。
色々あったので記憶は定かじゃないけどね。

ちなみに熊野の花火の話に立ち戻ると、花火が終わった後がものすごく面白かったです。
男性たちがダッシュで、海辺まで走っていくのです。
何かな?と思って見ていたら、みんなそこで放尿を始めたのだよ。
いいなあ、男子。と思ってしばらく眺めていました。

他の夏には何があったかなあ?そんなもんか。

そんな話のくだりでこんな余談もあんまりだけど、夏に見たい物語、映画や本やアニメがあるじゃないですか?
今年の夏は「残響のテロル」を改めて見ました。
家のテレビが夏に壊れてしまって、その時、同じタイミングで友人から推された「ウマ娘」シリーズを、ちょうど某チャンネルに課金して見ていて。
あれは、いい話だね。
次のシーズンが今秋始まるからとても楽しみだよ。
で、テレビが壊れたなら、もうそのまま、そのチャンネルでリアルタイム視聴できる文豪ストレイドッグスのために課金をやめないでおこう、と、そのままにしていたので、そのチャンネル内で視聴できる「残響のテロル」を見返しました。
で、もう、いよいよ、課金を止めるのを諦めました。
夏が終わっても、何も見るものがない日には死ぬほど見よう、と思って。
そして、OPの曲を今更のように購って、今年の夏は、仕事場への移動中はその曲しか聴いてないという、謎の今更のブームメントが継続中です。
好きだなあ。好きだなー。

あとは、ドストエフスキーの「鰐」という作品をふと読んだんだけど、お腹が捩れるかと思った。面白かったな。
もし仮に、19世紀のロシアに「お笑い」という世界があったなら、ドストエフスキーさんはM-1グランプリでぶっちぎりで優勝してただろうね。
鰐の旧字体のオンパレードという荒技だけで。
翻訳した森鴎外さんは、さぞかし鰐がお嫌いになっただろうな。
そして、よくわからないまま終わるという。
オチがない。
リアルドストエフスキーさんの、まるでクレームをものともしない「鰐」が、今年の夏は、いちばん笑ったかもしれない。

昔の作品ってオチがないことが多いけど、それって逆に、すごい面白さを感じることが多くて。
わけがわからないぐらいが、本当は幸福なんじゃないかとすら思える。
リアルな性加害エピソードよりもずっと面白いよ。
だから、自身のそれを詳らかにする気はない。

そういった「鰐」のような「訳のわからない」物語を、仕事中とか、ぼんやりと考えたりするけど、却ってそうすることは難しくて。
締め切り的な、当時の事情もあったにせよ、当人たちが、多分きっと、すごかったのだろうね。感性というか、才能だな、と思う。

すっかりと、この記事の「夏」は、すっとんでいったね。もうすぐ秋だね。
なんにせよ、今年の夏は、暑かった。
うちにある多肉植物やチランジアすらも、いくらか亡くなりました。
テレビも死んだし。
思い出話も然程なかった。

ほらね、こうやって纏めようとするのが、つまらない、現代の最高の病だよ。
ここで「呪術廻戦のロボ丸、エヴァンゲリヲンとるろうに剣心と、あとなんか知らない何かしらがぎゅうぎゅうでなんだこれ」って、言えるようになりたい。

ちなみに、ドストエフスキーさんの「鰐」は、或ることに気づくと、芋づる的に、今の時代もまるで変わらない、人間の仕組みの短絡さに目が行くことになると思う。
それを、この文章の中にあちこち混ぜ込んでおきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?