見出し画像

ターニングポイント

「あの時、Aという選択をしておけばこうはならなかった」
「この時、Bという選択をしたことがよかったんだ」

過去の選択の正解不正解は、その選択の結果によるものがほとんどだろう。
Aの場合、選択を悔やんでいるが、ただ、今の自分に対する責任をそのAの選択のみに負わせてよいものなのだろうか。

Aじゃなければ、今の自分はこうはならなかった。
本当にそうだろうか。

その時にAを選んだ自分は何を見落としてその選択をしたのだろう。
気づくことはできなかったのか。
精一杯考えなかったのか。
いや、考えたはずだ。
その時の自分は、正しいと思って選択した。

であれば、今の自分に対する責任は、その選択の後にもあるのではないだろうか。
選択の後に自分が何をして、または何ができずに、今の自分に至ったのか。
Aという選択をしたことで、全てのことが決まって今の自分になったわけではないだろう。

逆にBという選択で物事が好転した場合も、Bを選んだだけで成功が決定づけられたのだろうか。
そうじゃないはずだ。
Bという選択によってもたらされたチャンスを、選んだあとの自分が必死にモノにしに行ったのではないだろうか。

今、成功できているのはBを選べた判断力だけではない。
その後の自分の努力や、他の選択にもあったはずだ。

AであれBであれ、その選択は「通過点」なのではないだろうか。

もちろん「ターニングポイント」と呼ばれる大きな分岐点はあるが、もしチャンスを逸したとしても、夢や目標や人生をあきらめないのであれば、
「次のターニングポイント」を作るためにチャレンジし続けてほしい。

夢をかなえるためには、たゆまぬ前進が要る。
「○○しておけば後は自動的に」ということはない。

Bの選択をしても、その後の努力によって成功に導けたように。
Aの選択であっても、自分の行動次第でターニングポイントはまた訪れ、成功へと歩み出せるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?