見出し画像

2002年からの武術エッセイ

「目にも止まらない速さ」とよく言われるが、武術において「目にも止まらない」というのは、数字的な速さではない。

「人間の目に止まらない」速さを武術は追求する。

人間の動きを目で追うとき、人は無意識に動作の順番を予測し、それに対して未然に動こうとする。
つまり、そういうことができる動きというのは、「人間の目に止まる」動きなのだ。
いかに素早くても、向かい合っている相手の肩がビクンと動いただけで、反射的に防御反応を起こす。

では、人間の目に止まらない動きというのは、どんな動きなのだろうか?
人間が無意識に行っている予測を裏切った動きが、それにあたる。

相手が殴ってきそうな雰囲気だったりするとき、人は肩の動きや拳の動きに反応する。
しかし、肘の動きに反応するだろうか?
人間がパンチを打つときに、だれも肘から先に動くなんて思っていないし、無意識の反射ですら、それを予測できない。

それから、一度に身体の複数のパーツが別々の動きを同時にするとき、人間の目はその動き追うことができず、反応ができなくなってしまう。
これこそが、文字どおり「目にも止まらない速い動き」となる。

これは物理的な速度というものに関係なく、人間にとっての速さが存在しているということを証明している。

武術のことではなくても、よく、一般的に「光陰矢の如し」といわれる。
また、「今日は時間がたつのが遅い」とか「あっという間に時間になった」とか、これらの言葉を人はよく使う。

人間が作った物理的な時間の概念というものは、突然なんの脈絡もなく速くなったり遅くなったりしない。
時計の電池が切れていようがいまいが、一分は60秒、一時間は60分、一日は24時間で、一年は365日である。

しかし、人間という動物が感じる時間の長さというものは、様々な要因によって変化するのだ。

武術は、人間の持つ二つの時間の存在をはっきりと認識し、そこに生じる矛盾性を利用する。

したがって、その時間と時間の間に入り込む体をつくらなければならない。
その鋳型となるのが「型」であり、「套路」である。

そういった意味では、見栄えのする動「型」、あるいは、見とれてしまうほどの美しい「套路」というものは、「人の目に止まる動き」の一種であり、武術としては意味のないことである。

昔の中国の武術家は、そのような「套路」や動きを「花拳繍腿」と言って忌み嫌ったという。

彼らは、時間と時間の間を行き来する世界の住人だったのだ。
2004年9月記す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?