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2002年からの武術エッセイ

市井に散らばる武林の人達よ。
理屈をならべることしか、にんげんのこころとからだの動きを説明できない世界からは、はなれていることにしませんか?

もう、へりくつも、ことばの定義も物理の公式も、師から弟子に伝えられるこころとからだからゆたかにかもしだされる技に比べれば、いつもほんの一部分でしかないことをはっきりと言ってもいいころではないかとおもうんです。

うすっぺらな雑誌の記事を切り取ったような技、理屈、プライド、そんなものボロボロとはがれおちていく厚化粧のようなものです。

本物の技は、化粧なんてしなくても、充分魅力的です。
いろいろ経験をつんで、苦楽を充分に味わってきた老人の豊かでくったくのない、ちゃめっけのある笑顔、ほんものの技って、そんな魅力があると思います。

だれがほんもので、どのやりかたが正統で、どのやりかたがくだらないとかいんちきだとか、そんなことをくちばしでつつきあっていても、自分の腕前があがらないことにはどうしようもないではないですか。
ひとを批難し、中傷し、やれどうだああだといたって、それによってあなたのクンフーが養われるのですか?
あなたが口からつばを飛ばし、議論したって、ほんものはほんものの道を行くし、ニセモノはニセモノの道を行く。

ただ、それだけのことです。
武術は、学校の教材じゃない。

ただ、我々が世間に指し示すことが出来るのは、一生懸命くみたてた理論よりも、師匠がパッとやった動きをものまねするほうがはるかに高度な動きができるということ、そんな世界があるんだということを知ってもらうくらいでしょう。

でも、それってなんか日本の未来に貢献できるような大きな可能性をもっている気がします。今はめだたない小さな波でも、やがて日本の文化を大きく発展させていくようなビッグウエ―ブになる気がします。

どうせピーチクパーチクさえずるなら、そんなテーマで合唱しましょうよ。

2005年5月記す。

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