精神的ネグレクト&情緒的ネグレクトを受けてきた話

こんにちはリオです

私は両親に精神的ネグレクトを受けていました。
この精神的ネグレクトは知らない人が多く
私自身40過ぎてから知って
自分は虐待を受けてきたんだと気づきました。

この虐待の厄介なことは
・自覚することがほとんどない
・暴力などと違って具体的なエピソードがない
・分かってもらえない
・精神的ネグレクトの一つ一つのエピソードは一般的な家庭でもよくあることなので、気づかれない。(問題はその頻度)

まさにステルス爆弾のように、本人すら気づかず
分からないところでその人の人生を破壊する
とてもとても厄介な虐待なのです

親からの無関心
何をしてもスルーされる
叱られない代わりに誉められない。子供が何をしても関心がない
一般的な躾もされていなくて、小学校に入って困る

こんなふうに育った私の人生について語っていきたいと思います。

正直、精神的ネグレクトを受けていると
幼少期どころか子供の頃の記憶がほぼありません。

親とのコミュニケーションがないので
思い出がほとんどないのです
このストーリーも子供の頃の記憶というより
大人になってから親や周りから聞いたエピソードで
過去を書いているに近い感じです

同じように苦しんでいる人の助けになれば嬉しいです

【精神的ネグレクトに気づいたきっかけ】


40歳を超えて自分は自己肯定感の低さに悩んでいました
・自分には存在価値がない
・自分はなんで生きているのだろう
・自分は人から好かれる人間ではない

自己肯定感を上げるために、いろいろなことを試しました
自己啓発本を読んだり、自分を褒めるノートを書いたり
アファメーションでありがとうと何百回と呟いたり、瞑想したり

しかし、どれも一時的に効果があるものの
すぐに元通り
自分の脳の構造がそもそもダメなのかと思っていた時期もありました。

ある時にネットを見ていると
自己肯定感は親の育て方に原因がある
というのを読んでそこから自分の親について考えるようになりました。

しかし、我が家は家族で問題もないし
なんだったら仲の良い方でした
放任主義の親に何も言われず自由にさせてもらえた
母親からは怒られたこともなかったし
金銭的にも恵まれていた
あえていうなら、仕事で忙しくて全然構ってもらえなかったくらい

そこが問題なの?ってずっと不思議でした

色々調べていく中で
自分が精神的ネグレクトを受けていることに気づき

お母さんは私を叱らない優しい母親ではなく
子供に関心がなかったのか・・・

と気づいた時は衝撃的でした

ここから自分の人生についてお話ししていきたいと思います

【私が産まれ、そこは空っぽの世界だった】


私は愛知県で生まれ
自営業をやっている両親の元に生まれました
父母姉の4人家族

母は二人目の私が産まれた後も
子供を保育園に入れたり
家で仕事をしながら過ごしていました

母は子育てについてこんな感想を持っています
『子育てなんて楽ちん』
『親はなくとも子は育つ』
『あなたは楽な子供だった。泣きもしないし放っておいても大丈夫だった』

子供の必要最低限の面倒を見た後は
子供と遊ぶ、話を聞くなどをしなければ
それは楽だったのでしょう

しかもその頃は『抱き癖』がつくからと言って
泣いても抱っこしてもらうことはなかったそうです

幼少期のことは全く覚えていないのですが

3歳だった姉が一人で外に遊びに行く
姉が熱で苦しんでいるのに職場に連れてきてそのまま放置していた
子供が家にいても出産前と変わらず働いていた
子供と遊ぶことをしなかった

基本的にあまり子供を構う人ではなかったのではないのかなと思います。

そして、4歳の頃に転機が訪れます
一軒家に引っ越したのです

バブルの影響もあって自営業が上手くいき
小さいアパートから大きな家に引っ越しました

そこからはほとんど構ってもらえなかったのが
全く構ってもらえなくなりました

サービス業だった両親は年に数回休みを取る以外は
土曜日も日曜日朝から晩まで仕事をしていました

親との交流は朝ごはんを一緒に食べる時くらい
それも朝のバタバタした時間なので
まともに話をする時間もありませんでした

私自身親に構ってもらおうと色々話そうとするけれど
親はいつも『後でね〜』『そうなのね〜』しか言わない

基本的に家にいない親
コミュニケーションは聞き流される

関心を持ってもらえない
構ってもらえない

これだけ聞くと『そんなことくらいで?』
と思うかもしれません
私もずっとそう思っていました

これが数回の出来事でなく
生まれてからずっと、何年も続いて関心を持ってもらえないと
人間はこれだけ傷つくのか・・・と本当に驚きます

ずっと小さい頃から
自分は透明人間のような
『何か』を演じているような
なんとも言えない空っぽな『虚無』な自分に苦しんでいきます

【小学校で浮いた存在になる】


ずっと保育園と産婆さんの家に行っていたのですが
小学校に入ったらお手伝いさんが来ました

お金だけはありました

しかし、この人は子供が好きでなかったのか
変な私のことが嫌いなのか
少し怖かったです

人としてのコミュニケーションの取り方が分からない
躾けられていない叱られないので常識がないので学校で困るようになりました

小学校では浮いた存在になり
クラスメートと話すけれど人との距離感が分からないので
自分は変な人と思っていました

小学校の通知表にも『協調性がありません』と
書かれるまでになりました

小学校の頃は宿題をやった記憶がありません
学校の勉強についてアドバイスをもらったこともないし
やらなくても叱られない
良い点数を取っても反応がなかったです

クラスで浮いていても何が問題なのか分からない
親にも相談できない

クラブ活動を始めても
変な行動をするのでメンバーから嫌がられます

常識がない
人との距離感が分からない
人の言うことが聞けない
急に変な行動をとる

こんな感じで小学校では
『何かがおかしい、自分が変みたいだ。でもどうすれば良いのか分からない』

そんなことで苦しみ
低学年の頃はただ校庭の砂を集めると言う
よく分からないことに没頭していました

小学校の頃は友達がほとんどいませんでした

しかし、唯一できた友達がいました
家の裏に引っ越してきた1歳下のYちゃんです

その子は漫画が好きで
私と友達になってくれたのです

私は嬉しくて嬉しくて
その子にべったり
毎日のようにその子の家に入り浸り
お話をして漫画を教えてもらって
その子が家にいない時に屋根に登って部屋に入ったこともあります。

人との距離感が分からず
好きな人や構ってくれる人には
近づきすぎてしまいました

【親戚の集まりで行方不明になる】


小学校の思い出として
県外の親戚のお家に遊びに行った時に
みんなでお出かけしました

しかし、私は従姉妹の部屋にある漫画が読みたくて
外出先から勝手に電車を乗り継いて
一人で勝手に家に帰ると言うことをしてしまいました。

小学校3年くらいの時でした

突然行方不明になった親戚はびっくり
一生懸命私を探してくれて
見つからなくて家に戻ったら
のほほんと漫画を読んでいる私

おばあちゃんは私にすごく怒っていました

しかし、私はそこで
『勝手に一人でどこかに行ってはダメなんだ』と
その時に初めて知ったのです。

しかし、世の中には常識がある
そして自分には常識がない

これがわかっていなかったので
私は変な人の人生を突き進みました

【海外旅行先で初めて、子供の喜びを知る】


普段家にいない親ですが
数年に1回海外旅行に連れてってくれました

普段一緒にいない親と一緒にいられる
海外旅行は今でも私にとって趣味の一つでもあります

しかし、そこで私を可愛がってくれる訳ではありません
子供を連れていくと言うより
自分が行きたかったのでしょうか

基本的にいつものスタンス
話は聞いてくれるけど
『そうなのね〜』と言われるだけの聞き流される会話

しかし、あるヨーロッパ旅行に行った時に
それは新婚旅行のツアーで
新婚のカップルがたくさんいました
そこの参加者の人たちがとても優しかったのです

私に関心を持ってくれて褒めてくれて
可愛がってくれました

私は嬉しくて嬉しくて
両親そっちのけで
参加者の人たちになつきまくり

私が漫画の話をすると
『よく知ってるね〜』と褒めてくれました

挙句に夜のホテルの部屋も
その人たちの部屋に泊まるんだ!と言っていました

愛情に飢えていたのでしょう

構ってもらえる
褒めてもらえる
可愛がってもらえる

私の家では無縁のものでした

ここでも人との距離感が分からないエピソードですね

【中学校でのいじめやセクハラ&現実逃避の始まり】



そのまま変な自分のまま中学生になると
いじめが始まりました

そんなにひどいものではありませんでしたが
・仲間に入れてもらえない
・ホウキなどで突かれる
・からかい
・物を投げられる

などです

さらに担任によるセクハラをされていました

しかし、親に相談する選択肢はありません
親に頼ると言うこと自体の選択肢がなかったのです

ありがたいことに部活動に恵まれ
私は美術部に入り
漫画オタクの世界に没頭します

オタクの世界は変な人ばかりなので
私の距離感が変なところとか
常識がないところも優しく受け入れてくれるのです

なんとも言えない違和感や苦しさから
現実逃避できる最高の場所でした

【親からの愛情のあきらめ、そして地獄の始まり】



中学に入り私は徒歩5分のところにある
とある塾に入ることになりました

もちろん親に勧められた訳ではなく
自分から入りたいと言いました
(親から勧められた習い事はひとつもありません)

その塾は平手が飛んでくることもあるような
今だったら問題になるようなスパルタ塾でした

しかし、講師の先生は
頑張ったら褒めてくれて
ダメなことを叱ってくれる
自分に向き合ってくれて私はとても楽しく通うことになりました

授業中口を開けて寝ていたら
先生に叱られました
私は『授業中寝ていたらダメで、ダメなことをしたら叱られるんだ!』と感動

数学が好きだった私は
テストでいい成績を取ると先生は
『よく頑張ったね』と褒めてくれたのが嬉しかった

他にも色々変な私に先生は気にかけてくれて
話を聞いてくれたり
心配をしてくれたりしてくれました

勉強を人生で初めて頑張り
そのおかげで成績は上がっていきます

今まで見たことのない順位になって
嬉しくなって親に報告します

しかしそこでの反応は
『そうなのね〜』
と言ういつもの無関心の反応

勉強を頑張ったら褒めてくれる
そんな自分に興味を持ってくれる

そう期待していたのですが
裏切られてしまいました

これにショックを受けた私は
中学3年の初めに塾を辞めることに決めました
これから高校受験の本番
普通の親なら子供に理由を聞いたりすると思います。

しかし、塾を辞めると言う私に親は
『そうなのね〜』と
あっさりOKを出したました

この時に私は
『ああ、この親は私が何をやっても無関心なんだ・・・』
と言うことに気づき
親からの関心をもらうことを諦めることにしました

しかし、これが地獄の始まりでした

親からの愛情を諦めると言うことは
『自分は親から愛されない存在』と言うことを認めること

つまり
『自分には存在価値がない』
と思うことです

そこから私のメンタルバランスはガラガラと崩れていきました

【高校生になり始まる摂食障害】



高校生になり
もちろん学校も自分で決めました
学校選びについても関心を示してくれることはありませんでした

バイトを始めてお金を持つようになり
コンビニで好きな物を買えるようになったら
過食が始まりました

『自分には存在価値がない』と思うようになると
ただの日常が地獄になるのです

普通の日々が辛い
それを食べ物で紛らわしていました

最初の頃はおやつをいくつか買って食べる程度だったのですが
徐々にエスカレートしていきました

家にあるお菓子は全部食べてしまう
夜中にコンビニに行って家族に隠れてお菓子を食べる

体重も増えて
頑張ってダイエットするものの
過食が止められない私には痩せることが難しかったです

そんな私を姉はデブデブといじめてきました
それに対して親は

『そんなこと気にしないの』

落ち込んでいると
いつも言われていた言葉です

おそらくお菓子の袋のゴミなどが
たくさん出ていたと思うのですが
それを心配することは何も言われませんでした

【摂食障害とNABA、そして初めての反抗期】



高校を卒業して摂食障害はひどくなっていきます
卒業後フリーターになり
(もちろん卒業後のことも無関心)

お金も車も手に入れたので
食べ物がたくさん手に入るようになりました

幸か不幸か吐くことが出来なかった私は
過食嘔吐にはならずに
チューイングという
食べ物を噛み砕きビニール袋などに吐き捨てるという方法で続けていました

この頃になると
自分の何かがおかしい・・・と思い
摂食障害というものを知り
本などを読むようになりました

そこで見つけたのが
摂食障害の自助グループNABAです

藁をもすがる思いで
愛知から東京に向かいNABAの事務所に行きました

そこで話を聞いてくれて
『摂食障害は親子関係の病気だ』
『子供の頃に寂しい思いをしたのが原因で摂食障害になった』
『今まで辛かったね』と言ってくれて
私の今までの原因不明の苦しみが爆発しました

家に帰り親に向かって怒りを向けます
私には反抗期がなかったのですが
私にとって初めての反抗期です

『私がこんなふうになったのは、お母さんのせいだ!』
怒りで爆発して今までの苦しかったこと辛かったことをぶちまけると母はこう言いました

『娘が変な団体に洗脳された!NABAとかいう団体を訴えてやる!』
『娘がおかしくなった!』

娘が摂食障害なことは心配ではなかったのでしょうか?
前からおかしかったと思うのですが、そこはスルーです

結局『私がおかしくなった』という結論になり
私は精神科に通うことになりました

そこではひたすら薬漬けの治療が始まりました

病院探しも病院に通うことも
自分一人でやっていました

かなり強い薬を処方されていたのですが
一人で車で病院に通っていました
今考えてみると危なかったです

娘がどんな薬を処方されているのか
どんな治療を受けているのかについては
何も訊かれませんでした

しかし親のせいでこんなふうになったという反抗期は止まりません
私は母に対して今まで鬱憤を吐き出します

仕事が終わった母に対して
今まで辛かったのことや母に対しての不満をぶつけます
母もとても辛かったと思います

しかし、私と向き合うことはせず
ただ、嵐が過ぎ去るのを待っているという感じでした

そんな病んでいた時期に終わりがきます
母からこう言われました

『お母さんも死ぬから一緒に死のうか』

今なら分かります
母は絶対一緒に死なない・・・

この言葉を言われ私は
『私は母になんてひどいことをしてしまったのだ!私が全部悪かったのだ!』
と地獄の自分責めに突入します

【エセポジティブ&海外へ自分探しの旅】



病んでいた頃の自分は私の黒歴史になりました
本当は初めて出た自分の本音だったのですが
『こんな自分ではいけない。頑張ろう!』

辛い自分の本音を隠して
いつもニコニコ笑っているエセポジティブに変身しました

そして自分を変えるべく
海外に行くことにしました

この頃病院から処方されて薬を突然やめて
いきなり出発準備とかしたのですが
よく大丈夫だったな・・・

もちろん海外の出発先も
病院に行かなくなったのも
色々な手配も
全部一人でやりました

精神的に病んでいた娘が突然海外なんて
普通の親なら心配すると思うのですが
そこも平常運転の私の親

二つ返事でOKをもらいました

【海外で一般常識を学ぶ】



まず最初に行ったのがオーストラリア

最初はホストファミリーにお世話になっていたのですが
そこのホストマザーは
私が変なことをすると変な顔をして注意をしてきました

当たり前のことだったのですが
初めての経験です

・相手に話すときは相手が忙しそうだったら後にする
・シャワーなど後の人にことを考えて使う
・物を出したら片付ける
・出かけるときは一緒に住んでいる人に伝える
などなど・・・

ものすごく当たり前のことだったのですが
20歳を過ぎて初めて教えてもらいました

その後、韓国人の友人と旅行に行った際に
『あなたは空気が読めない』と
英語で言われました

この時のショックは計り知れません

私が学校で浮いていたのも
人と変な雰囲気になることも
私が空気が読めないからなんだ!と

それから自分の行動を気をつけ
人の行動を見て色々学ぶようになりました

ちなみに、摂食障害は元々そこまでひどくなかったので
相変わらず過食とたまにチューイングをする感じで
海外生活などで紛らわしつつ生活していました


【常識を身につけようと必死に演じる毎日】



その後アメリカに行ったり
日本に帰国したり
海外旅行に行ったりしながら

今まで身につけてこなかった常識を
頑張って身につけようとします

これでいいのかな?と分からないまま
必死に演じ続けました

しかし、常識ゼロだった自分は頑張っても
時々(しばしば?)非常識な行動をしてしまいます

自分はなんでダメなんだ
もっと頑張らないと・・・と
ネガティブな感情が湧き出てくると
食べ物や他のことで紛らわしつつ日々を過ごしていきます

そうやってエセポジティブを頑張りつつ
しかし、しばしば爆発しながら
なんとか結婚に辿り着き日々を過ごします

【子育てで、嫌でも自分と向き合うことになる】



ありがたいことに優しい旦那に恵まれ
子供が生まれました

子育てをして一つの問題に直面します

『子供が可愛いと思えない』
『子供に愛情を一ミリも感じない』
『子供と一緒にいるのが苦痛』

子供が一人の時はなんとかなったのです
辛かったら息抜きをして
子供と過ごすのも大人のペースで行動する
自分の興味のあることをしながら子供と過ごす

しかし、自分の子供に対する感情に鈍感だった私は
二人目を産んでしまい
逃げ場がなくなりました

片手間で子育てをしてられない
子供のペースに合わせないといけない場面が増える
旦那に任せるのも限界がある

二人目育児が本当に辛くて
家事を減らしたり息抜きをしても変わりません

徐々に母と同じような育児をするようになりました

どうしたものかと悩んでいたら
自己肯定感が底辺だった私が
ネットで調べたり
本を読んだりセッションを受けたりしていくうちに

20歳の頃に黒歴史にしていた
親との問題が再び出てきました

【自分が精神的ネグレクトを受けていることに気づいた!でも情報がない!】



自分の自己肯定感=親の育て方&親からもらった価値観
という理論を読んで

色々勉強していくうちに
自分が精神的ネグレクトを受けていることに気づきました

しかし、この精神的ネグレクト
とにかく情報がない!

本もない!
経験談を話すブログもない!
ネットでの情報もない!

しかし、数少ない情報から照らし合わせると
完璧に精神的ネグレクトです

叱らない優しい親ではなく
ただ、無関心だった

というのが本当にしっくりきます

両親に何を話しても手応えがない
否定はされない、返事はしてもらえる
まるで太平洋に小石を投げているような
意味が全くないような感覚になります

実は2人目を産んだタイミングで母が亡くなっているのですが
母が亡くなる前に夫に大事な話があると
母と夫で二人きりで話す機会がありました

その内容を後日夫が教えてくれたのですが

『リオの言うことは、何を言っても聞き流してね』

母に私の言葉が届かないのが分かりました
おそらく小さい頃から
私の言葉はずっと聞き流されていたんだと思います

基本的に家にいない
一緒にいても感情的につながりはない
ただ、子供に無関心な親

ありがたいことに夫は
『それは夫婦として違う気がするから、聞き流すのは嫌だ』
と言ってくれました。

結婚してからメンタルが不安定なことを
ぶつけてしまっていたのに
この人と結婚して本当に良かったと思いました。

【精神的ネグレクトの辛いこと】



精神的ネグレクトは衣食住は揃っている
ただ、感情的な精神的なつながりが
親からもらえなかった
関心を向けてもらえなかった

緊急性の低い虐待です

話を聞いてもらえない
関心を向けてもらえない
構ってもらえない

これって、普通の家庭でもあることなのですが
問題は頻度がどれくらいか

親が忙しい時にたまになら
子供は忙しいのかなって思えますが

いつもそうだと
子供は自分の存在価値を見失ってしまいます

リストラする際に
誰とも話せないシュレッダー係にすると
大の大人でも数ヶ月も経たないうちにメンタルをやられてしまうと言いますが

精神的ネグレクトはそれと同じようなことです

人からの無関心は本来なら
精神的に病んでしまうほど辛い行為

しかし、積極的な虐待と違って
『何をされたのか』
『何を言われたのか』などの
具体的なエピソードがありません

それどころか自分の人生が真っ白なノートのように
ほとんど記憶がないのです

なので虐待を受けた本人も自覚がなく
自己肯定感が低いのは
自分が悪いからだと思ってしまうのです

【親からの無関心は、その人の人生を蝕むほどの悲しい行為】



子供を育てていて本当に思います
子供がどれだけ親からの関心を欲しているのか
愛情が欲しいのか

私がスマホを見ていても
スマホと私の顔の間に、描いた絵を突っ込んできて
『見て!見て!』と言ってきます

その情熱すごいですよねw

子供は一人では生きられないので
親からの関心や愛情を得るために必死です
それが死活問題ですから

それがもらえないと言うことはとても怖いことだし
自分はなんで生まれてきたんだろう?と
漠然とした悩みをいつも抱えることになります


『自分がどう育てられてきたのか=自分がどういう人間なのか』なので

大切に育てられて愛情をたっぷり与えられると、自分は大切な存在なんだと自認します。

逆に酷い扱いを受けると、自分はその程度の存在なんだと自認します。

反抗期や友人や恋人や職場などで、その価値観はひっくり返ることもあるのですが
そのきっかけがないとそのままの価値観で人は生きていきます

『自分には存在価値がない』
そう思って生きていく人生はまさに地獄

生きる意味がないまま、死ねずに
ただ日々を過ごす毎日

なんだかよく分からない苦しさに悩む毎日
誰にも分かってもらえない苦痛に
自分がもっと頑張らなくてはと自分を責める日々

苦しいまま、ハムスターの車輪の中で走り続けるような毎日です

そんな毎日を40年間過ごしてきました

【いらない価値観は捨てられる】



親からもらった価値観
『自分には存在価値観がない』

これは実は捨てられるんです

その方法の一番最初にやるべきことは
以下の二つのことを知ることです

・自分はどんな価値観を持っているのか
・何が原因でその価値観を持っているのか

自分がどれだけ辛い思いをしたのか
どれだけ苦しかったのか

その自分の本音に気づき癒してあげると
段々と・・・

『あれ?私なんでこんな目にあわされていたの?』
と疑問に持つようになります

そして、最終的に
『私は何も悪くない!』
『私はこんなふうに扱われるような人間ではなかった!』
『私って素晴らしい人間じゃん!』

と思えるようになり
自己肯定感が爆上がりします

なので、もしあなたが
・親が放任主義
・叱らない親
・なんの問題がない
・ちょっと子供の頃寂しかった
と思っているのに

自分の存在意義が分からなくて、自己肯定感が低くて悩んでいるなら
自分は精神的ネグレクトを受けていたのかもしれないと
気づいてもらえたら幸いです

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