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隣の芝生が青いということはあなたの芝生も隣から見たら青いのかもしれない

「隣の芝生は青い」っていうのは、まあ、言い得て妙だと思いませんか?

だって本当にそうですもん。

もう僕には隣もそのもう一つ隣の芝生も見上げるほど青々と茂ってるように見えます。
そんでもって自分の庭は更地です。
そんなふうに見えます。

「神様よ、あんまりだぜ。なんで俺はこれほどまでになにもできないんだ」ってちょっとムカついたりもします。

みなさんはどうなんでしょう?
もしかしたら僕と同じようなに感じてる人もいるかもしれません。

しかし、こうも考えることはできませんか?

「隣も芝生が青いということは隣から見た自分の芝生も青いんじゃないか」と
。

隣が芝生の青いところだけを見せてるのかも

なぜ隣の芝生は青く見えるのでしょうか?

それには2つの側面があると思います。

1つ目は相手が良く見える部分を切り取っている周りに見せているということ。

考えてみれば当たり前のことなのですが、みんな自分の良く見える部分を切り取って周りに発信します。
なぜならみんな自分を良く見せたいからです。

でも実際にはこんなわかりきっていることがなかなか想像できていない場合が多いのではないでしょうか?

「あの人○○らしいよ」と聞いたら「わぁ、すごいな」なんて憧れと嫉妬の気持ちをいだいたり。
でも、それが実は大したことなかったりそもそも嘘だったりする可能性はあまり考えません。

そういう嘘や隠し事って時間が経つとだんだんボロが出てくるものですが最初は意外とまかり通ってしまったりするものです。

自分が隣の芝生の青いところだけを見ているのかも


もう一つは自分自身が相手の良く見える部分だけを拾って自分と比べてしまうということです。


これは劣等感を強く持っている人がやってしまいがちです。

相手が自分よりも勝っているところばかりを広いあげて「自分はなんてダメなんだろう」なんて思ったりします。

よーく考えてみたらみんな長所と同じくらい短所も持っているはずですから変に全部凄いんだと勝手に勘違いしていたらそれはそれで失礼でしょう。

逆転の発想

そんなこんなで必要以上に周りの人を羨ましがったり嫉妬してしまったりする僕たちですが、是非そんなときこそ逆転の発想で考えてみることをおすすめします。

自分の目には更地に見える自分の芝生も隣から見たら青いんじゃないか?ということ

つまり、周りの人も意外と自分の実情は想像できていないし意外と自分のことを羨ましいと思ってくれているということです。


自分では大したことないなんて思っていても胸張ってれば意外と羨ましがられたりします。


ちなみに僕はお笑い芸人なので面白い人を見るとめちゃくちゃ嫉妬しています。
一発ギャクができる人とかモノマネができる人とか自分が苦手なこともあってめちゃくちゃ羨ましいです。

でもたまに僕のことを羨ましいと思う人がいるようです。
京都大学に入れたり会社を起業したりしているからだそうです。

最初は意味がわかりませんでしたが今はわかります。

僕が真剣にお笑い芸人をやっているように、
真剣に受験勉強をして東大京大に入りたかった人もいるし
真剣に起業したくてもできなかった人がいるからです。

それに気づいたとき「隣の芝生は青いんだなぁ」ってつくづく思いました。

自分がこんなに周りのことを羨ましがっているってことは、こんなに自分も羨ましがられているんだってポジティブに捉えたら自信が湧いてくるかもしれません。

▼結論
意外とテレビやSNSといったメディアや友達伝いで伝わってくる情報は実体とかけ離れてることがままあります。
僕自身そのことを実感しています。

それにまるでトリックアートみたいに錯覚を利用して小さいものを大きく見せることのできる頭のいい人たちも結構います。

ですからありふれた結論になってしまいますが、そこまで周りの人と自分を比べるのってあまり意味ないんじゃないかと思います。

みなさん、もっと自分に自信を持って!

自分の芝生も青い2

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自分の芝生も青い4


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