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営業行為とは「誠実な」迷惑行為である

僕は24歳になって起業するまで「営業」という言葉の意味をちゃんと理解していませんでした。

学生を辞めてからずっと売れないお笑い芸人をやっていた男に売上を気にすることなどありませんでしたから。笑

それまでの営業っていう言葉の認識は「お仕事くださ〜い」って言うのかな?くらい。
どちらかといえばマイナスイメージを帯びてるような感覚だったと思います。
自分は営業とは無縁な人間なんだって、勝手に思ってました。

ところがどっこいいざ会社を始めるとなると「営業」というものがとにかく重要なわけです。
なにせ最初は仕事が全くのゼロ(仕事の一つや二つくらい決めてから独立しろよと今さらながら思うのですが!笑)

実績などもちろんありませんし、今までの人脈は畑違いで使えませんでした。

今回はそんな僕が「営業」という概念について一年かけてたどりついた考えを書いてみたいと思います。


「営業」との出会い

「出会い、それは突然だった。」

、、と、そんなドラマチックでもなくただ必要に迫られて僕はヌルっと「営業」を始めることになった。
わけもわからず受動的な経緯で起業した僕は最初に「何すればいい?」と周りに聞いて返ってきた答えが「営業」だったからだ。
(僕が起業した経緯はこちらに書いてます↓)

いやいや、でも何をどんな感じに営業するの?

とすかさず僕は聞く訳だが、起業の先輩からは

「なんでもいいからとにかく売れ」

という返事のみ。


さらに「アポ数が・・」「クロージング率が・・」という見知らぬ単語を言われて僕は苦笑いしながら手元のスマホで意味を調べる。

そんなこんなでとにかく見ず知らない人にメールやらSNSやらでお仕事くださいという文章を送ることからはじめたわけだ。

営業なんてしたくない!?

そして、当たり前なのだけどほとんど返信はこないわけである。
それでもいくつか返信いただける方もいらっしゃってアポを無事獲得したのであるがやはりなかなか仕事にはつながらない。

そもそも全く知らない人から連絡がくるなんて迷惑じゃなかろうか?
何を売るにしても、相手が今それを欲しがってるとは限らないじゃないか!

「営業」というものを一度もしたことがなかった僕は猛烈な違和感を感じた。

「なんやこれ、合ってる、ホンマに?」

僕はだんだんと「営業」をするのが嫌になり自然と数も減っていった。

トップセールス=サイコパス!

で、実際どうなのかというと「合ってる」のである。
いや、それが正解かはわからないんだけどとにかく「そのようなこと」はみんなしていた。

そしてカリスマ営業マンという人たちがいることも初めて知った。

「月間○○円売上達成!」
「年間アポ数○○件!」

・・・・ほほう、そんな世界もあるのだな、、

人に連絡して、会って、契約して、のプロセスがこんなにも数字として扱われていて、逆に言うと人間味というか感情というものを介さずに行われているということが僕にとっては新鮮だった。

そして、そしてそこで勝つ人たちは感情を殺すのが得意な人、
即ちサイコパスな人が多いことにも気づいた。


自分は営業に向いてない?

僕は気を取り直してまた営業を始めた。

「感情を押し殺せ!」

そう言い聞かせてまた知らない人に連絡することから始める。
でも途中でまたこんな考えが頭をよぎる。

「やっぱり迷惑なんだろうな、、」

そうすると最初の意気込みも薄れてまた営業が嫌になってきて、、
でもやらなきゃとまた思うけどもまた諦めて、

そうやってすぐに営業ができなくなってしまう。

つまり「迷惑をかけたくない」感情を上手く押し殺せないのである。


迷惑かけずに生きてるつもり?

そんな風にして僕は最初の頃営業というものへの苦手意識があった。
その中でも相手が興味を負ってくれた時点での営業はまだ得意な方だったのかもしれないけど、興味を持ってもらえる人を探す営業が特に苦手だった。

どうすれば営業が出来るようになるだろう?

そうやって考えるうちにいくつかの事に気がついた。

一つ目は

よくよく考えたら普通に生きてるだけでも迷惑なんてかけまくってない?

というもの

迷惑かけたくないっていうけどそもそもそんなこと不可能で生きてりゃだいたい迷惑かけてる。
電車に席に座ったら誰かが立つことになるし、僕が横断歩道にいると心地よく走っていた車が止まってくれる。

それで僕は迷惑をかけたくないという感情を必要以上に感じすぎているという自覚を持った。

出会えるはずだった人と出会えない可能性の方が嫌だ!

二つ目は
営業することで得た新しい出会いの貴重さ

これは営業をすることでいただいた仕事が増えるたびに感じた。
それは紹介するモノ・サービスへの自信が大きくなったこともあるかもしれない。

自分もよく理解していないものを人に紹介するなんて気が進まないものも当たり前だ。
でも「自分が紹介しているものは良いもの」という確信があれば
迷惑をかける嫌さよりも出会いを逃してしまう嫌さが増してくる。

もちろん迷惑はかけたくないんだけど、どうやら新しい出会いをつくるためには仕方のないことだからやるしかないらしい。

こんな感じで考えが変わるごとにだんだんと営業ができるようになっていった。

この世の全員営業マン

そしてこれは営業だけに限ったことではなくてもっと広く言える事でもある。

「自分の目的のために知らない誰かに話しかけること」
=「他者に迷惑をかけるリスクを負承知の上で自己の目的のために他者の時間を奪うこと」

そんな時にもすべてに言えること。

身近な例だと、
隣のタイプな男の子・女の子に連絡先を聞くこととか。

来る人来る人みんなに声をかけるのはよくないかもしれないけど、
だからといって声をかけなかったらもう二度と会えない。

ちょっと話しかける時間がそこまで惜しいのかなとは思わない?


営業は「誇る」ことじゃなくて「諦める」」こと

「数字のために、目的のためにやるべきことをやる」
そんな強い意志を持っている人にとってはここまで書いたような遠回りな考え方は必要ないかもしれない。

なぜならやるべきことはなにも変わったわけではないから。

でも僕にとっては営業への捉え方が真逆になった。

以前は
「迷惑かけたくないけど嫌々やること」

今は
「迷惑をかけること。まだ見ぬ出会いために。」

営業をすることは何も誇れることではない。
迷惑をかけているのを自覚しながらも未来のために諦めて誠実に行うものなのだと。

感情を押し殺せない僕が最初に感じていた「営業に対する違和感」はそうして消えていったのだった。


まとめ

「知らない人になんかどれだけ迷惑かけても一生会う事なんてないんだから気にするな」

この考え方が僕には合わなかった。

もちろん一理ある、
というか、もうまさしくその通りなんですよ。笑
やることも多分一緒です。
いろんな人に連絡をしてアポをとって自分の買って欲しいものを紹介する。

ただの捉え方の違い。

感情を押し殺すのではなく、
今は我慢して少し先の未来へ感情を寄り添わせるだけ。

でもそれが僕にとってはエポックなシフトでした。


営業行為というのは迷惑行為です。
迷惑行為なんだからしたくないのが普通。
でも、それはただの迷惑行為じゃない。
まだ見ぬ出会いを生むための、「諦め」として迷惑行為。
だからこそなによりも誠実でなければならない。



綺麗事なんでしょうか?
でも、僕はそう思います。

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