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反物質の反物

風鈴の音色。盛夏。開け放たれた縁側は風が通る。
裏木戸を吹き抜けた風は、文机の小説を二十頁ほど戻し、アイスコーヒーの氷はグラスの中で音を立てた。今でこそ、猫のひたいほどの庭を残すだけの古びた数寄屋造りだが、質屋を商い羽振りの良い時代もあった。

表の大通りに面した店構えがその質屋である。戦後、手本引きや丁半の賭場が立ち、路上にまで人があふれる有り様だった。負けがこみ引き返せなくなった者たちが、わずかばかりの種銭と引き換えに、懐中時計、鼈甲、美術品、果ては拳銃までも質に入れた。質のほとんどは持ち主の手に戻ることはなかったが。


訪問者がいたならば、外の陽光で閉じた瞳孔で見る室内はことさら暗く見えただろう。襖は細く開いているが奥座敷の様子は伺えないが、そこには、競売でも値のつかなかった質流れの品が積まれている。番傘、文楽人形、根付、和装などだ。

人の気配はない。一陣の風が吹き、反物が転がり出る。すべての光を吸い込むような漆黒の生地表面の様子を窺い知ることはできない。

反物は座敷を横切り、縁側へ転がり出る。反物によって分断された座敷は、線ではなく、天と反物をつなぐ面で切断されたようにも見えた。
反物は、縁側を転がり落ちてなおも伸びていく。

反物の幅は標準的な九寸五分であるが、長さはすでに一反を超えて伸びている。きっと際限なく伸びていくのだろう、厚みは離散的とみなした物質世界の最小単位に限りなく近づいていくのであろう。
庭先に落ちた反物は、陽光の中でも変わらぬ均一な暗黒表面をたたえるようであったが、ある特殊な角度に限り鏡面のように光を反射し、さらにわずかに角度を変化させたとき見える、反転した法則で成り立つ、別位相の世界が。

さながら細く開いた襖から垣間見るように。



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