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森の中の光を求めて。【羊と鋼の森】

音というのは『振動』である。

振動を作る音源があり、それを伝える空気、水、金属などがあってはじめて音となる。つまり真空では音は聞こえない。

ピアノは鍵盤を押せば音が出るが、鍵盤自体が音を出しているわけではない。

ピアノの中にはたくさんの小さなハンマーが並んでいて、鍵盤を押すとハンマーが弦を叩く仕組みになっている。

ハンマーというと金属製のそれを思い浮かべるかもしれないが、ピアノのハンマーは羊毛のフェルトで出来ている。その硬さにより音が変わるから、糸を通して硬さを調整することで音を作り出す。

ハンマーから直接音を伝える響板には、伝達性に優れたスプルースの木材が使われる。部位によってカエデやブナなど硬い木材が使用されており、このように温度や湿度に敏感なフェルトや木材がふんだんに使われているゆえに、ピアノは調律師による定期的なメンテナンスが必要になる。



前置きが長くなったが、『羊と鋼の森』というタイトルはそういう意味なのだ。羊はハンマーのフェルト、鋼は弦、そして森は木材。ピアノを調律するとひと口にいっても、森の中に差し込む光を探すようにその道を極めることはとても困難で。近道なんてないから、とにかくたくさんのピアノに触れて、感じて、その時々で最適解を考える努力をするしかない。

それは調律師だけではなく、どの職業を極めるにしても共通する『森の中の道の歩き方』なのだろう。

森を歩くためには何も調律のみが必要なわけじゃない。隙間を通り抜ける風を感じ、葉の擦れる音を聞き、雲の行先を知る。すべての事象が組み合わさりその人そのものを形作る。それらを混ぜ合ってはじめて、自分の歩き方を見つけることができるのだろうな、と改めて感じた。


悩みながら成長していく主人公のそばにはいつも『音』があり、森が見える。私自身も森を見て育ち、今でも憩いの場としてたまに森を訪れる。森を歩くということはどういうことか?読んだ後に実際の森をイメージすると、そこに人生の道が無数に分かれていくような不思議な感覚になっていくのだ。






さて、本を読んだだけではピアノの音は聴こえない。しかし無性に聴きたくなるのがこの本。

もし目の前に丁寧に調律されたピアノがあり、ピアニストでもなんでもない私が一音奏でたらどんな音を出せるだろうか。そう考えるだけでなんだかドキドキする。きっとなんの変哲もない音だろう。だけどそれは私にとって、次の一歩に繋がる木の葉を見つける手掛かりになるのかもしれない。


生のコンサートは近日になかったのでDMMのトライアル期間でこの映画を観ることにした。この映画の中で久石譲作曲、辻井伸行演奏のピアノ曲があり、これだけで観る価値があると思う。

音が生き返れば思い出も蘇る。調律師とは、自らも森を彷徨いながら誰かが森を歩くのをサポートすることなのかもしれない。




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