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映画『ファンタビ』主人公から学ぶこれからの人生の歩き方

こんにちは。幸せのライター、Hirokyです。映画「ファンタスティック・ビースト」シリーズから学んだことを記事にしました。ネタバレを含みます。

1.ファンタスティック・ビーストとは?


「ファンタスティック・ビースト」とはJ・Kローリング原作の魔法使いを描いた大ヒット映画「ハリー・ポッター」のスピンオフ作品です。本編の第一作目「ハリー・ポッターと賢者の石」から70年前を描いています。

「ファンタスティック・ビースト」通称「ファンタビ」はハリー・ポッターが通うホグワーツ魔法魔術学校のふしぎな魔法動物を研究する授業で使うテキスト「幻の動物とその生息地」の著者、ニュート・スキャマンダーが主役のストーリーです。彼をとりまく個性豊かな魔法動物=ファンタスティック・ビーストと魔法使いたちの冒険を描いた壮大なファンタジーです。


2.ニュート・スキャマンダーの主人公としての魅力


主人公であるニュート・スキャマンダーは魔法動物学者として活動しています。シャイな性格で周囲からは変わり者と呼ばれる彼ですが、どんな魔法動物とも信頼関係を築き、愛することができる。まるでナウシカのような個性を持っています。

ハリー・ポッターとは違い、生まれ持った使命を背負う伝説のヒーローいわゆる「選ばれし存在」の主人公像ではないが、魔法動物を守るためなら彼は世界を駆け巡ります・・・!世界を救うヒーローとまでは言えないけど、ニュートには彼なりの正義感がある。その正義感は世界を守るためじゃなく、あくまで魔法動物を守るために発揮される。

たとえ世界のどこかで悪の魔法使いが誕生しても、それは闇祓い( 悪と戦う専門職 )の仕事であってニュートは魔法動物に具体的な危機がせまらない限り研究と飼育に専念します。このニュートの正義感は現代日本に生きる一般の人にとっても馴染み深いものであると同時に、リアルな思想だと思います。自分にしかできない独自の分野に夢中になる主人公を守ることこそ、世界の進歩につながる。

ニュート・スキャマンダーは今までの映画には無かった独自の分野に長けている「守られるべき主人公」という新しい主人公像だと思います。映画の主人公という役割なのに、世界の危機にあまり関心がないニュートは私にとってとても新鮮に感じました。


3.ファンタビの映画としての面白さが爆発したシリーズ第2作目「黒い魔法使いの誕生」


ファンタビの映画シリーズは全5作品を計画されている長期プロジェクトです。現在は、2016年公開第1作目「魔法使いの旅」、2018年公開第2作目「黒い魔法使いの誕生」が公開されました。次作の第3作は2022年の公開が予定されています。

さて、第2作目の「黒い魔法使いの誕生」でタイトルの通り、前作のラストで姿を現したジョニー・デップ演じるグリンデルバルドが本格的に魔法界と人間界を支配に向けて動き出します。映画史に残る悪役というのは、自ら敵であるヒーロー側の組織にあえて捕まりにいく傾向があります。例を挙げると「ダークナイト」「007」「アベンジャーズ」といった正義と悪の関係性がテーマの映画の悪役ほど、ヒーローの仲間割れを狙います。

グリンデルバルドの手口も同じで、持ち前のカリスマ性と人の心を動かす話術を活かして、次々と仲間を増やしていきます。つまり彼の仲間にされた人々はグリンデルバルドに己の信念を揺さぶられ、知らぬ間に悪の道へと堕ちていくのです。恐怖で人を支配するのではなく、話術で人を支配する。人の弱みではなく、相手の価値観を褒めることで仲間を増やすグリンデルバルド。こんな悪役は珍しいと思います。

魔法なんか使わなくたって人の心は簡単に操れることを知っていたグリンデルバルド。彼はあえて集会を開き自らの正義観を演説をすることで、自分に感化される人々を増やします。私もこの演説のシーンで、むしろ法律に反する人を容赦なく糾弾するヒーロー側こそ相手の価値観を受け入れるグリンデルバルドから見習うべき部分があるのではないかと感じました。

「この世から善人がいなくなれば、戦争が無くなる」という言葉があります。この言葉の意味は、悪人を肯定しているわけではありません。自分と違う価値観を持つ相手を正義感をもって変えようとすれば、相手からみれば互いに悪人同士の関係となってしまうことを表しています。

ファンタビシリーズの重要な悪役となるグリンデルバルド。彼がヒーロー側の「犯罪者の心には寄り添わない」という頑固な姿勢を知っていて、あえて社会的に弱い立場の人に「心に寄り添う」という手段で忍び寄る。気がついたら街は隠れグリンデルバルドだらけになる。私がファンタビが第2作目から面白さ倍増したと考える理由は、悪役の扱いがこれまでの映画と違うからなんです。

第1作目の「魔法使いの旅」は主に、ニュート・スキャマンダーをとりまく魔法使いたちとの人間模様と個性豊かなアニマルを多く描いていました。対して第2作目の「黒い魔法使いの誕生」ではグリンデルバルドの恐ろしさが強く伝わってきます。面白いのが「ファンタステック・ビースト」という題名の重要な悪役にも関わらず、まるで主人公のニュートにグリンデルバルドは意識を向けていないんです。ましてや魔法動物に対しては蔑むどころか、無関心です。この2作目の面白さはそこなんですよ・・・

物語の「主人公」と「悪役」の構図がはっきりしているのに、ラストになるまでお互いの行動に対して別になんとも思っていないから、特に戦う必要ないかって思ってる映画って今まであったでしょうか?一見、突拍子もない脚本に思えますが、この構図でないといけなかった理由があるんです。


4.実はニュートとグリンデルバルドは対極の存在


主人公のニュート、悪役のグリンデルバルド・・・そしてもう一人・・・この映画の鍵を握る人物がいます。それはダンブルドアです。ホグワーツ魔法魔術学校のニュートの恩師であり、唯一グリンデルバルドが脅威と感じている魔法使いです。

ダンブルドアは魔法省からグリンデルバルドと対決の依頼をされるほど、魔法使いとしての実力を認められています。しかし、ダンブルドアは若かりし頃、グリンデルバルドと恋仲の関係にあり、共に戦わないことを義務づける「血の誓い」を交わしていました。

「ファンタビ」第2作目の映画として面白いと感じたのは、最強の悪役に力で引けをとらないヒーローがまさかの戦えない状態にあるということです。「ファンタビ」が単に「正義」vs「悪」を描いた映画ではないということがわかります。例えばダンブルドアはニュートにグリンデルバルドより先にクリーデンスを見つけるように依頼をします。

闇祓いではない魔法動物学者のニュートにクリーデンスの捜索を依頼するのは頷けます。しかし、この場面でダンブルドアはニュートに「グリンデルバルドを止められるのは君だけだ」と話します。たしかにクリーデンスを見つければグリンデルバルドの支配を遅らせることはできるが、その野望を阻止できるかといえば一時的なものにしかならない。でもこのダンブルドアのセリフは単なる激励の言葉ではなく、本質をついた言葉であると考えられます。その理由はダンブルドアはグリンデルバルドの死角を知っていたからなんです。

グリンデルバルドはダンブルドアの見解によると、地位、名声、大儀を重んじる性格であることが分かる。一方、ニュートにはそれがない。ただ己が信じる目の前の正義に全力を尽くす。そしてどんな生き物の性質でも個性と捉え、愛することができる・・・たとえそれが怪物であったとしても・・・。

グリンデルバルドはクリーデンスを仲間に引き入れる目的はダンブルドアを倒すこと。つまりクリーデンスが抱えるオブスキュラスを手に入れたいのです。一方、ダンブルドアはニュートが魔法動物学者である以前に、その人格を見抜いて頼りにしています。

ダンブルドア = ニュートにクリーデンス捜索を依頼        

グリンデルバルド = クリーデンスのオブスキュラスを世界支配のため使いたい

ダンブルドアとグリンデルバルドはどちらも目的を達成するために頼りにしている人物がいます。対照的なのは、頼る相手の能力だけでなく人格を信頼しているのか否かです。ダンブルドアがニュートを頼りにした理由・・・それは魔法動物(ファンタスティック・ビースト)の存在もあるが、グリンデルバルドが唯一、脅威と思わないタイプの人物がニュートだと判断したからではないでしょうか。

人類の危機にあまり関心がなく、ファンタスティック・ビーストを愛してやまない魔法動物学者ニュート・スキャマンダー。魔法動物を使い捨ての道具として利用し、大儀のためなら命を容赦なく奪うグリンデルバルドからすれば、闇祓いでもないニュートは完全に重要人物でもなんでもない。だからこそ風穴をあけられる。

ダンブルドア」と「グリンデルバルド」を巡る壮大なバトルを描いた「ファンタビ」ですが、主人公をあえて第三者ともいえるニュートにしたことで映画の構図としては単なる「正義」と「悪」の対決ではなく、独自(オリジナル)の分野に長けている主人公が圧倒的な力による支配を前にして、思いもよらぬ方向から突破口を見出すストーリーとなっています。いわゆる逆転劇です。

この魔法動物学者と黒い魔法使いの関係性がはっきりした「ファンタビ2」で、とあるメッセージ性がニュート・スキャマンダーというキャラクターを通して伝わってきます。


5. 現代のヒーロー像はダンブルドア先生


「ファンタスティック・ビースト」をはじめ、最近になって映画に登場するヒーロー(英雄)の在り方が変わってきたように思えます。それは同時に悪役の描き方も変わってきたことを表しています。

最近の映画はヒーローの準備を悪役が全然待ってくれません。例えば、ヒーロー大集結の映画「アベンジャーズ」ではヒーロー同士が仲間割れをし、チームを解散している状態で最強の敵サノスが地球を侵略しにきます。「ファンタビ」の世界でもグリンデルバルド来襲時にも関わらず、ダンブルドアが戦えないという事態が起こっています。

観客は準備万端でかっこよく悪役と戦うヒーローを見ることはできないのです。不完全な状態の能力でギリギリ勝てるかどうかの瀬戸際のヒーローの姿を観ることになります。かっこよくない情けないヒーローの姿を・・・。

でも・・・そんな切羽詰まったヒーローだからこそ、観客の共感を呼ぶのです。なぜなら現実も同じく何か危機が迫ったとき、準備なんて整っていないからです。コロナウイルスなんて発生する前日ですら誰も感染が広がるとは想像もしませんでした。だからこそ、準備万端ではなく本当の実力を発揮できない状態・・・だけどいまあるもので全力を尽くす。そのような余裕無し、かっこよさ無し、情けないクールじゃないヒーロー像が観客には「格好いい」と感じる。

何が起こるかわからない現実。映画のなかのヒーローの葛藤に共感し、準備万端でなくとも全力を出す姿勢に人々は感動する。それほど将来の予測ができないから準備や対策が立てづらい世の中になっているというわけだ。「ファンタビ」でもグリンデルバルドとダンブルドアの対決の構図で準備の整わないヒーロー像を描写している。しかし、この物語の主人公はダンブルドアではない。紛れもなく魔法動物学者のニュート・スキャマンダーだ!

これは一体、何を表しているのか・・・?


6. ニュート・スキャマンダーから学ぶこれからの時代の歩き方


前述したとおり、現代のヒーロー像はダンブルドアです。現代のヒーロー像はすなわち観客の共感を呼ぶヒーロー像いうことになります。つまり準備が整わない状態で敵が攻めてきて焦りながらギリギリ勝つ切羽詰まったヒーロー像です。「ファンタビ」の凄いところはダンブルドア vs グリンデルバルドという「正義」対「悪」の構図で現代のヒーロー像を描きながらも、抜け道となる新しいヒーロー像を提示しているということです。

現代のヒーロー像はダンブルドア。これからの時代に必要な新しいヒーロー像はニュートということになります。それはラストでニュートがグリンデルバルドの視野を搔い潜り、ニフラーと協力し見事「血の誓い」の宝石を盗んだシーンで表しています。

根底にあるグリンデルバルド vs ダンブルドアという誰も付け入る隙のない圧倒的な力の戦いの突破口を、魔法動物学者のニュートが開いたのです。それも、彼にしか思いつかない視点と誰にもできない手段で最恐の魔法使いグリンデルバルドに一泡吹かせることに成功したのです。

グリンデルバルド捕獲の対策を練って練って、練りまくった魔法省や闇祓いたちは何もすることができず、一方で自分にしかできない独自の分野を研究し、グリンデルバルドという脅威に興味のなかったニュートが世界を救う糸口を見出したのはとても驚きです。ニュートが世界を救うカギになったことで作品に込められた大きなメッセージを感じることができます。

人工知能などの第4次産業革命が起こった現代のビジネスは「不確実性」がつきまとう。人工知能の発達により、管理職や人事部といった役職が無くなる。人件費が惜しく効率重視の企業なら尚更その傾向がみられるでしょう。コロナも収束しなければ経済も停滞する。もはや大企業に就職すれば人生安泰というわけにはいかない時代になってきました。それ以前に人生は1秒先に何が起こるかわからないものです。

このビジネスの「不確実性」はどんなことをしても成功するか失敗するか、その時にならなければ分からない社会になったということを表しています。一見、将来に夢も希望もないように聞こえますが全く逆なんです。

「不確実性」がつきまとう社会になるということは、人類は雇われる職業に就くか、自分にしかできない新しい仕事を創りだして働くか。あるいは今は存在しない職業をやるか。真の自分に合った仕事を選べる世界が近づいているということを表しています。だからこそ、ニュートの生き方から学べることがあるんです。

ニュートは魔法動物学者という自分にしかできない分野を追求することに情熱を注いできました。周りから変わり者と言われても「自分にしかできないこと」「自分がやりたいこと」に一生懸命であれば、それは世界を変える価値になる。グリンデルバルドのような危機にも、自分が強みだと思う分野を持っていればそれが世界を救う抜け道になることだってあり得る。

スマートフォンと同じく人工知能もいずれ身近な存在になっていくのは目に見えています。そうなれば人間の仕事は減っていく代わりに今度は人間が自分の価値を売りにする仕事が増えていくことになります。誰もが「得意なこと」「やりたいこと」「好きなこと」は必ず持っているはずです。それは貴重な財産です。

好きなことは趣味。仕事は仕事。という人もいるかもしれません。それでもいいんです。もちろん好きなことを仕事にしたい方も素晴らしい選択です。私が言いたいのは第4次産業革命が起こった現代社会のビジネスは「不確実性」がつきまとう。それはつまり、模範的な「正しい生き方」という概念が無くなるということです。今や大企業の年収を在宅ワーカーが月収で軽く超す時代ですから・・・

コロナや人工知能の発達、不況、リストラなどの危機が起きて誰でもできる仕事は雇ってもらえない事態になったとします。不確実性の世の中なわけですから起こりえます。たとえそうなってもニュートのように何か一つ情熱を注げる「強み」を持っていれば、あなたにしかできない分野で成功することができる可能性があります。これも不確実性がつきまとうわけですから、やってみないと分かりません。

「ファンタビ」の主人公、ニュート・スキャマンダーの在り方はこれからの人生を生きる一つの指標として提示されているのではないかと思います。もともと原作者のjkローリングはマイノリティ(少数派)の人物の魅力を広めたいと語っています。その思想がファンタビの主人公の描写に表れているのではないでしょうか。

不確実性が伴うこれからの社会で現在、どのような人生を歩んでいても、「好きなことを楽しんで極めれば、それは世界を変える財産になる」。その概念が誰にでも共通するということだけは確実にいえる・・・というメッセージを映画「ファンタビ」は教えてくれています。





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