見出し画像

律動

人々が行き交う道で
Aさんは両の腕を上げ
歩きながら指揮をはじめた

二拍子なのだか 四拍子なのだか
彼女にしか分からないリズムを
宙に刻んでいる

すれ違う人は
ちらりと彼女を見、そして
視線をもとの場所に戻す
なにも見なかったかのように

彼女は、指揮をする

わたしの首から下がる
「ヘルパー」と書かれた札は
風に吹かれて舞っている
(危険がないように
(人にぶつからないように
(社会のルールに沿うように
紐につながれた滑稽な蝶となって

彼女は、指揮をする
閉じていた律動が
彼女の指から放たれると

​世界がそれに呼応する

​すれ違う人々も道路も電柱も
おそらくわたしも
知らぬまま
呼応しているのだ

その時、彼女をとりまく全ては
一群のコロスとなって
音のない音楽を奏ではじめる

Aさんの口からは
けっして吐き出されることのない
内なる物語を
あるいは
もっと奥にある神話を


(ユリイカ掲載)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?