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”心愉しいエシカル”をスタンダードに。

2024年のはじまりは、心に深く刻まれる1日となりました。
みなさまご存知のように、1月1日に起きた能登半島地震と羽田の機体衝突事故。
新年の華やいだ気持ちも、すっかりとすっ飛ぶような画面の向こうの光景に
胸の痛くなるお正月を過ごした初めての経験でした。

それでも、時はめぐり、人生は続いてゆきます。
そろそろインスタも更新しなきゃと思いながら、
被災された方がいらっしゃるかも・・・。
大切な方が行方不明で、苦しい思いをしている方がいらっしゃるかも・・・。
夜も眠れない方がいらっしゃるかも・・・。
そんなことをつらつら考えていると、結局は10日ほどできませんでした。

自分の無力さに歯痒い年始でしたが、投稿を寄付対象にしたり、
実際に被災された方から「投稿楽しみにしています」とDMをいただいたり。
SNSといえども、人に支えられて、人に与えられて、生かされているのだなぁと、感謝が溢れた年始。

こんな風に、自分ではどうしようもないことに出会った時、一旦は落ち込みますが、ちゃんと落ち込んだそのあとで、私はこんな風に考えています。

「自分の力で何とかなることに注力しよう」

これって、どんな場面にでも応用が効くことだと思います。
例えば「エシカルな暮らしをしたい!」と思ったところで、家族の中で誰もそんなことに興味がない。
自分は家の中をスッキリさせて片付けたいのに、家族がすぐに散らかす(あるあるですね)。

どれもよく耳にする話だと思うのですが、それって実はスタートの時点ではどうしようもないこと。例えば私の場合、車の種類に興味を持ったことがありません。乗れれば良いと思っていますから、車を飾りつけたり、ずーっと磨いたりできる人がわからない(笑)。でも、好きなんだなぁということだけはわかります。

それは、エシカルな暮らしやプラスチックフリーやオーガニックやフェアトレードに興味がない人からすれば、全く同じ心境です。

「ここまで支持されていて、こんなに便利なプラスチックをなぜやめなきゃいけないの?」
「にんじんはどれも同じじゃないか?」
「フェアトレード?安い方が良いに決まっているでしょう?ただでさえ、先行き不透明な時代に、お金なんかかけてられない」
「結局、そんなことをするって暇なんでしょ?」

こんな言葉を並べてみると、「あぁ。わかり合うって難しい」なんて思いますよね。でもね、これはこれで仕方ないんです。

他人の考え方を変えようなんて、自分の力では到底無理なこと。
自分が変化する方が、結局はゴールへの最短距離。

コンポスト待ち

例えば13年前。
エシカルな暮らしを始めた当初、もちろん家族には白い目で見られました。

「なんでラップ使わへんの?めっちゃ不便やねんけど」
「風呂掃除の洗剤ないやん!」

その度に、言われた私はイライラ。
どうして理解できないんだろう?どうして環境のことを考えないんだろう?
けれど、結婚した時に掲げた目標(私が個人的に)の一つに「夫婦喧嘩はしない」とあったので、言い返すこともなくただ黙々とエシカルを遂行しました(いや、強行とも言うべきか・・・)。

まぁいわば、そこは徹底して無視をし続けたんですね。もちろん、話さないというわけではなく、「それは使いません!」という態度を緩めなかったのです。

そうすると、子どもたちが大きくなるごとに、我が家のスタンダードがエシカルになってくるわけです。我が家の子どもたちは、ラップが日常にないことも、ビニール袋を買わないことも、当たり前のこと。学校で必要だと言われた時「せんせー!うち、プラスチック買わへん家やから、家にないんやけど?それってどうしても必要なん?」なんて言うわけです(笑)。※もちろん、どうしても必要な場面では使いますよ!

13年もすると、流石に主人も慣れてきて、もう何とも思わなくなる。
だって、なくたって問題なく暮らせているわけですからね。

ここで大切なのは、「言う」ことではなく「やる」ことではないでしょうか?
それも、当人が楽しそうに。

『トム・ソーヤーの冒険』という物語に、主人公のトムがおばさんに言いつけられた「ペンキ塗り」の印象的なシーンがあります。トムは、本当は大っ嫌いな塀のペンキ塗りの仕事を「義務だと思わず、楽しくやっているフリをする」という機転で、他の子がペンキ塗りをやりたくなり、トムは正々堂々とそのペンキ塗りを他人に渡すことができたというエピソードなのですが、これって人の心理を突っついた、面白い出来事だと思いませんか?

トム・ソーヤーの冒険
大人にこそ読んで欲しい児童文学

そう、楽しそうにやっている人には、誰も叶わない。
ですから、初めは何でも「自分1人でやるつもり」ではじめてみませんか?

まずは、自分のテリトリーだけはじめてみるのが、一番平和です。
キッチンや、自分の持ち物、自分が動けば何とかなる部分だけをエシカルにしてゆく。そうすると、そこに心地よい空気が生まれるので、一緒に住んでいる人たちはその空気を何となく感じてくるのだと思います。

実際に、石油由来のものが目に入らない部屋の風景は、とっても心地よい。
それ自体が、呼吸をしているものたちというのでしょうか?

天然素材の眺めは空気が心地よい

さらに、それらが全て、本当に厳選して心から大好きなものたちを選んでいるから、それを使って暮らすまいにちが、本当に愉しくて幸せな日々になってくるのだと感じています。

苦しくて、義務的なエシカルは続かない。
どうせやるなら、心が踊り出すような、愉しくてエシカルなまいにちを送れたらと思うのです。

そして、私の夢は”心愉しいエシカル”を世の中のスタンダードにすることです。
あぁ、大きな夢だなぁ・・・。でも、それでみなさんが「愉しいなぁ、幸せだなぁ」と思えるまいにちを送ることだできたなら、こんなに嬉しいことはありません。

今日もゆるっとエシカルに。






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