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インドとインド人①

はじめに

インドに関する本を読もうと思って探してみると、国レベルの政治やガイドブック、歴史の本は見かけますが、インドの日常を書いた本は数冊くらいしか見当たりません。現状、筆者はたまにインドに行く機会があるので、その都度感じたこと見たこと、そしてインド人と接したり、働くことで気づいたことを書いてゆきたいと思います。

インド本を読んでみると

インドのターニングポイントは1990年ごろなんだそうです。社会主義経済が崩壊してIMFに頼らなければならなくなった結果、規制緩和や国営企業の廃止をせざるえなくなり、自由主義経済に転換しなければならなかったのが1990年だったようです。また時期を同じくしてダリットやOBC、トライブに大学入学と公務員の定員の50%をアロケートするリザベーションシステムも開始されています。そしてBJPによるヒンドゥーナショナリズムも同じく高まり、モディがGSTとアドハールの導入、さらには金融や補助金をはじめとするデジタライゼーション、デジタライゼーションに伴う汚職や不正の減少が平行して進んだ結果、いまではUKを超えて界5位のGDPになり、2024年とか25年にはわが国のGDPも抜く勢いです。
ところが最近旅行した人たちのユーチューブみると、2022年くらいにはムンバイのオートはメーターがあるので騙されないという状況が、2023年後半では途中でメーターを止めてぼったくるので注意という内容に変わっています。経済は発展しているのにぼったくりが増えるとは。

2024年1月、ムンバイでのオート

ムンバイは意外なほど普通でした。むしろ良くなっています。時間がかかっていた入国審査もスムーズだし、ウーバーもすぐにつかまりました。帰りの出国の際に空港に入るときのチケットと身分証明のチェックもはやく、保安検査にいたっては、おどろくべき速さで終了しました。飛行機は旅行会社から事前に便と座席のバーコードが送られてきて、そのチェックが格段にスムーズで、保安検査はおそらく機械が新しくなって、コードをだせとか、靴ぬげとかいって何度もやり直させることもなくなっていました。

オートはメーターを止めることはありませんでしたが、乗るときにメーターは使わない、なぜなら渋滞ひどすぎて戻ってくるのに1時間もかかるから、とかいってあらかじめメーターでの金額の3倍くらいの金額を提示し、これでいいならいってやるといった感じでした。それでもウーバーよりも安いのですが。
オートはいる場所といない場所がありました。規制なんでしょうかね。AndheliやSakinakaではたくさんオートがいました。

Sakinaka駅下

一方、CSMTやMumbai central、Mahalakshmi
にはまったくいません。いわゆる旧市街のほうには入れないのでしょうか。

オートがいない駅馬

さてその3倍ぼったくったオートに乗りました。Jio world convention centerからSakinaka
まで帰るのにウーバーを探したのですが、まったく引っかからず、やむなくちょっと離れたところのオートに声をかけたのでした。300ルピーと言われたので200でどうかと、そしたらじゃあ250ならいってやるというふうに決まりました。結局メーターだと120くらいだったので倍ですね。倍というとものすごくぼったくった感はありますが、せいぜい200円いかないくらい。その日の朝のったウーバーは350のところを勝手に上乗せして550ルピーもカードにチャージしやがったので、このオートのほうがまともです。

このオートの運転手、あんまり裏はなさそうで、乗ってすぐに渋滞にはまると、ほらこんなに混んでるだろうとか、this country? すなわちインドのひと? とか聞いてきてみたり、行き先を間違えたときに、ここ曲がるんじゃないというと長い渋滞の列を素直に戻ったり。そして隙間を狙って突進する割り込み運転とイメージ通りのインド人でした。そしてさらに自由なことに突然なにかの店の前で止まって、ちょっと待てと、筆者をまたせてなにか用事をこなしたりと、余計に払った100ルピー分、楽しめた乗車でした。

筆者をまたせて、おそらくなにかスナックを食べているオート運転手

オート運転手は英語も理解せず、収入も多くなく、社会保障も乏しいインドで、その日暮らしなんだと思います。正規料金よりも多く取られたのは腹立たしいですが、より高い料金をとっているウーバー運転手よりも正直な態度であったし、そしてインドで生活するはルールブレイカーにならないといけないんだなぁと感じた日でした。
(Jan/2024)









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