「寝ても覚めても」 大切なものはいつも

映画「寝ても覚めても」を観てきた。

ストーリーとしては、
大阪に住む朝子は麦と恋に落ちる。しかし、麦はある日姿を消してしまう。その後、東京で暮らすようになった朝子は、麦に顔がそっくりな亮平と出会い、仲を深めていく。しかし、朝子は麦がモデルとして活動していることを知りー
というかんじ。

この映画はなんだかずっと不穏だ。
常に今ある幸せが壊れてしまいそうに感じる。
登場人物たちの大阪弁が若干不自然で、これは単純に演技や演技指導の問題なのかもしれないけれど、その不自然さが不穏さに拍車をかけている気もする。

東京での朝子と亮平の暮らしは、一見おだやかなのに、その不穏さが隠しきれていない。そして、物語の終盤に不穏が形となってあらわれる。

そして、朝子は自分が本当に大切なものを手放してしまったことに気がつき、それを取り戻そうとする。

何年か前までわたしは、失ってから大切だったと気がつくものなんて、結局のところそんなに大切なものではないのだ、と思っていた。
ほんとうに大切なら、自分の手の内にあるときから、きちんと大切にしているはずだ、と。

だけど、今はそうじゃないのかもしれないと思う。
ひとというのは想像以上に愚かで、弱くて、失ってからでないと大切なものに気がつけないのだ。

失ってから気がつく、ということを繰り返すうちに、ひとはやっと学ぶのかもしれない。

映画館を出ると、雨が降っていた。
傘を持っていなかったので、小走りですぐそばの本屋に入る。
原作の「寝ても覚めても」を買ってみた。

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