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愛着障害を抱えた私の恋愛:初カレと歪んだ認知

こんばんは。
カウンセラーの幸村です。

親からの世話と愛着が得られなかった私の子ども時代の前編後編では、私の子ども時代に焦点を当て、生きづらさが形成されていった背景と、モラハラ被害者との共通点について解説しました。

ここからは、それが成人後の人生にどのように影響するか、引き続き、私の体験をもとに解説していこうと思います。

大人の女性のあり方と母親像


まず、私が目指した母親像や女性としての価値観について。

私の母は、否定・非難はするのに、正解は教えてくれませんでした。
だから成長過程で私は、分からないなりに、母のすること正解としました。

少なくとも、価値観を寄せることで、兄や弟のように、認められる側に行けると思っていました。

私の母はパートをしながら、料理も手を抜かず、何でも手作りで、いつも何かしら働いていました。毎日定時に上がって帰ってくる父は、家のことは全くしないのに、母は子どもの食事とは別に、父に晩酌のおつまみを作り、父が仕事のストレスを家族に向けると、お父さんは大変なのよ、と、養ってくれている父を敬うように諭しました。

いつも一生懸命頑張っていて、家族の調和のために父への敬意を教育する母は、母親という存在のあるべき姿なのだろうと思っていました。

そんな母が、酒癖の悪い親戚の叔父たちを見て、それに耐えて支える叔母たちをいつも「あの叔母さんたちはすごい人だよ」といつも言っていたため、具体的な正しい行動が分からなかった私にとって、そこだけは明確な指針になりました。

そして、女とは欲しがらず、酷い扱いにも黙って耐えていれば、必要とされる人間になれる、という価値観を持つようになりました。

めちゃくちゃ昭和ですね。

私自身、そういう価値観は嫌いでしたが、それを踏襲すれば、人として認められるような期待感がありました。

そして、ひどい扱いを受けても、そういうものだ、と納得して受け入れるようになりました。

歪んだ認知を加速した初カレのDV


元々が、愛されないことに慣れていたため、異性から言い寄られると、感謝に似た気持ちを感じました。

最初に付き合った人は、ルックスが好みのクラスメイトでした。

誘われて付き合えたのが嬉しかったけれど、彼は付き合ってからもずっと、自分の初恋の人の話する人でした。

すごく可愛い人で、特別な存在だったと言って、私の前で、彼女の似顔絵まで描いていました。

それだけでも私に対して十分失礼な態度ですが、当時の私はそうは思いませんでした。

そんなに好きな人がいたのに、私と付き合ってくれているのだから、これくらいのことで傷ついたり、不満を感じてはいけない、他の女性が出来ないような忍耐力で差をつけよう、と。

彼の態度が酷くなると、そんな彼の難しい部分を、私だけが分かってあげられる、受け入れてあげる、だから必要とされるはず、と自分に言い聞かせていました。

この付き合って「もらっている」関係には、私のニーズを出すものではなく、満たされない空虚感が常にありましたが、それは私には妙になじみ深く、しっくりくるものでした。

そのため、この切ないデフォルトの感情に立ち返るような関係が、ダラダラと続いてしました。

ある時、バイト先の飲み会で、バイト先の友達の家に皆で泊まったことを理由に、彼から殴られたことがありました。

それも、当時同居していた兄の前で。

身体が吹っ飛んで倒れましたが、彼はそれを教育だと言い、これでも手加減してやった方だと恩を着せ、付き合いを続けるかどうかを決めろと言いました。

私の兄の前でそんなことをして、兄が怒らないと確信するほど、私のしたことは悪いことだったのか?

なんだかいろいろ辛いから、このまま別れてもいいかも。

さすがにそんな風に考えました。

しかし、自分のために家族が怒ってくれるなんて幻想を描いて、もし兄が怒らなかったら?と考えると、期待が裏切られた時のダメージの方が怖かった。

だから兄が動く前に、私は彼に謝り、許しを請いました。

そして今まで通りの「大事にされる価値も資格もない自分」のポジションに戻る選択をしました。

その後に付き合った人もオレ様で、人前で蔑ろな扱いを受けては、自分の価値の低さを再確認させられました。

母を求めて何千里?

その後、一人だけ、本当に大切にしてくれる人と付き合いましたが、2~3年付き合った後、物足りなさを感じて別れてしまいました。

それもつまらない理由で、当時のバイト先の別の男性に憧れて、付き合っていた彼から気持ちが離れたせいでした。

当時は子どもだったから、分かってなかった、とずっと思っていました。

しかし今にしてみれば、自分のニーズが満たされること、関係性に困難がないことに、違和感がありました。

それは幸せを感じるものでしたが、自分にとって、あるべき環境ではない、しっくりこない、そんな感覚でした。

なぜなら、それは母との関係とは異なるものだったからです。

私にとって、親密な関係とは、期待すると傷つけられるものでした。
相手の気まぐれで、引き上げられることはあっても、その前にどん底に落とされたり。
何の努力もせずに受け入れられるなんて、期待することは許されませんでした。

だから私の恋愛には、そういった冷たさがつきまとい、彼らとの関係に母との関係を重ね合わせ(投影し)、同じことを繰り返していました。

しかも、母に対しては何が正解か分からなず、ただただ苦しかったのに対し、彼らは私に要求をつきつけ、それに満足すれば私を受け入れたので、私はそれが自分の価値だと思っていたし、そう思えることで報われていました。

大事にされることも、自分を大事にすることも、私は本当に分かっていませんでした。

そして、極限まで自分を追い込んだり耐えることで、「他の人には出せない価値」を出し、必要とされようともがいていました。

でもそれは、自分を傷つけていただけでした。


何かを欲しがったり、必要としても、それは絶対に叶わない。
叶ったところで、自分にはその資格がない気がしてしまったり、自分の中でなぜか「失う」ことが確定する。
それが耐えられないから、最初から求めない。
手に入っても、深く傷つく前に、手放したくなる。

本当に私を大切にしてくれる彼との関係は、そんな風にして終わりました。

悲しいほどにそんな価値観に縛られた結果、私は最悪の結婚をしてしまいました。
人生の一大イベントだけあって、結婚の対象となった元夫は、いろんな意味で別格でした。

愛着の不足は、人の人生を狂わせます。
大事な選択で大きな過ちをおかします。

その一例を、次回の記事でご紹介したいと思います。

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