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人にも動物にも、「そこにいていいよ」と言える社会だといいな

先日の航空機事故でペットが亡くなり、愛猫家として心を痛めています。残念ながら現状のルールや環境においてペットの優先度は低く、一方でリスクが高いことから、飼い主はそれらを理解した上で預けるのが大前提だと思っています。

実際に熱中症などの事故で死んでしまう事例は珍しくありません。パグやフレブルなどの短頭種は特にリスクが高いことから、そもそも乗せられないルールになっています。多くの飼い主はそれでもいろいろな「事情」があって乗せているはずです。

ですから、飼い主が「ペットも機内同伴できるようにしてほしい」と言うのは、「大好きな愛犬・愛猫と楽しく旅行がしたい」というより、「心配なので近くで見守りたい」という意図のほうが多いはずです。


飼っていない人の中には「動物が嫌い」「アレルギーがある」といった事情を持つ方も少なくありません。そういった方々は尊重されるべきだと思いますが、「だから動物を乗せてはいけない」と言ってしまうと、例えば補助犬を必要とする人が困ってしまいます。

現在、多くの航空会社が盲導犬など補助犬の機内同伴を認めています。「身体障害者補助犬法」という法律があるからです。ただ、今度は法律があるからといって動物が嫌いな人やアレルギーがある人に我慢を強いるのも違うと思います。


正義は一つではありませんので、二つの正義がぶつかれば争いになってしまいます。どちらかが諦めるまで戦う社会は、きっと幸せではありません。だからこそ「自分の我慢を最小限にする」のではなく、「相手の我慢を最小限にする」方法を考えたい。

そのために、「間違っていると決め付け、排除する、攻撃する、無視する」のではなく、「そこにいていいよ」と言える社会だったら良いなと思います。ここで注意したいのは、自分も言われる立場だということ。

よく「多様性社会」という言葉を使う時、「多様性の輪」が存在する前に「こちら側の輪」が存在する前提で話してないかと自問自答することがあります。「私が彼らを認めることが多様性社会であり、私には認めない権利もある」という驕りがないかと。


ペットを乗せるか乗せないか、機内同伴できるようにするかしないか、二つの正義がぶつかり合っているだけの現状は、見ていて悲しい気持ちになります。そこに明るい未来は見えてきません。

僕が尊敬する人の一人に、ペット法学を扱う弁護士の浅野明子先生という方がいます。浅野先生はペット法学に関わる理由として、「社会的弱者である犬猫に優しい社会は、人にも優しい社会だと思うから」と話されていたことがあり、とても感銘を受けました。

犬や猫は自分がどうしたいか人の言葉で伝えることができません。だからこそ、よく観察してどうしてほしいかを想像し、どうすべきかを考えなければいけません。

犬はこうだから、猫はこうだから、と簡単に決めつけられるものではありませんし、同じ動物でも1頭ずつ、1匹ずつ考えていることや感じ方は違います。動物は人に他者を想いやることの難しさと大切さを教えてくれます。


今回の「ペットの問題」が、ただ「飛行機に乗せるか否か」の話に終始してしまうのであれば、それは本当に残念なことです。もっと広い視野で、他者を理解し、より良い社会を作るきっかけになればいいなと思います。


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