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『なぜあの人と分かり合えないのかー分断を乗り越える公共哲学ー』より

人生のどの時期においても常につきまとう,他者との「分かり合えなさ」を検討し,その先の可能性を模索しようとする内容。

とくに,私的領域とその外側の領域における諸問題を扱う「公共哲学」の立場から,社会的分断を乗り越える道筋を検討している。

第Ⅰ部と第Ⅱ部は現実の具体的な問題に触れており,どこかで読んだことのある内容で目新しさはなかったが,第Ⅲ部の思想的な背景に関する部分は,リベラルとリベラリズムの違い,リベラリズムとコミュニタリアニズム双方の限界などが描かれ,学びがあった。

以下は,気になった部分の抜粋まとめです。

はじめに

■双方でレッテルつけ,ダメだし
自身の主張ばかりを唯一の正解とみなし,異なる意見の持ち主を敵視し,相手を排除したり,その意見を抑圧したりして,一向に議論が深まらない。

(例)
努力しない人が貧しいのは自業自得
稼ぎのよい仕事に就きたければ,まずは努力して高学歴になればいい
↑ 差別主義者,人権というものをわかっていない野蛮人
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↓ 世間知らず,現実を知らない理想主義者
努力によって成功できること自体,恵まれているだけでその人の実力とはいえない
学歴主義や成果主義は幸運な勝利者のロジックであり,それは非人道的

■議論のしかた
・自分の主張と相手の主張の細かいところを明らかにしたうえで,話し合いのテーブルにのせなければならない
①そもそもの問題はどのような事柄であるのか
②どんな基準でどの方針を採ろうとしているのか
③その方針はどのような条件(範囲や時期)において有効であるのか など

・権利の無条件性を主張する側も,そうでない側も,それぞれの言い分に該当する権利概念があって,まずは自分と相手が問題とする事柄をはっきりさせてその差異と共通部分を示す必要がある
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単に議論の場を増やすだけでなく,自身と異なる相手の言い分・主張をきちんと読み取り,その論理構造を把握するといったスタンスが広まる必要がある

序章「いやならお金を払えばいいのに」の論理ー断片化する公共圏ー

1商業主義のもっともらしさ

■サンデル『それをお金で買いますか』
…すべてに値段がつけられるような商業主義が広がるなかでの公共圏の希薄化・喪失への懸念

■商業主義のもとでの売買契約
・当事者双方の利得(WIN-WIN)
・判断能力のある当事者のいずれもが強制・強要・詐欺をうけないまま,自由意志に沿って売買契約を締結するということは,それぞれの当事者が「この取引は自分にとってプラスである」と判断しているわけなので,それが他者の権利を侵害しない限りは何人も介入できない(自由主義の大原則

2「やりたくないこと」「やってほしいこと」につけられる値札

■トレードオフの是非
時間とお金のトレードオフ関係など,その売買契約自体は善でも悪でもない。トレードオフによって得られる効用(満足度)がプラスであり,互いに条件が一致すればビジネスが成立するわけで,自由市場ににおいて当然のこと

3市民を分断するスカイボックス化

■スカイボックス化
商業社会における金持ちとそうでない者との分断

■サンデルの主張
すべての社会格差をなくすために商業主義を捨て,自由市場を閉ざすべきとまで言っていないが,共通体験や共生意識の欠落が招く,公共圏の希薄化を危惧している。公共圏それ自体は,個々人が努力し,自由に生きる社会であっても両立可能。大事なのは,ともに同じ社会で隣人として暮らし,文化やアイデンティティを包摂した公共の担い手として共生できるかどうかというところにある

■自由の保障
商業化の波を食い止めることは容易ではない。憲法でも,公共の福祉に反しない限り,営業の自由が保障されているし,できるだけ儲けようとする生き方は幸福追求権に該当する

第Ⅲ部 根本的な問題ー思想的背景から解決へ

第7章 そもそもリベラルとは何か

1「異なる他者」との共生は建前でしかないのか?

■一般にいうところの「リベラル」
①凝り固まった偏見からの解放を訴える
②それぞれが異なる他者に対して「寛容」である
③格差是正や差別解消のもとで他者との共存を推奨する

・社会的弱者や差別・偏見の対象であるような人々の意志や選択を尊重するという点で,基本的には異なる価値観の人々の思想・言論・選択の自由を認める「リベラリズム(自由主義)」の立場でもある

・ただし,超国家的連帯の理念を掲げる人が多いが,身近な公共圏における共生・交流を日頃から重視し,意見の異なる隣人の自由を尊重しているかといえば若干疑わしい

・現代のリベラルは,人々がグローバル化のもと,自国はもとより世界において自由に活動し,いつでも誰とでも自由に繋がれる「個人」であることを推奨しているように思われるし,だからこそ,そうした個人を束縛しようとするナショナリズムや集団意識に対しては批判的であることが多いように見受けられる

・「正しいことを主張する」側であるリベラル派は,伝統的思想を重視したり古典的な表現の自由を推奨したりする(自由主義的な)反リベラル派に対して集団的に攻撃したり排斥しようとしたりする場合,「彼ら(反リベラル派)は勉強不足だ」とか「古い考えに凝り固まっている」といって,自らの知的水準の高さや教養をもって異なる意見をやりこめようとすることがある

2リベラルとリベラリズムの違い

・リベラル派のある人たちは「この国は,海外の先進国に比べて遅れている」とか「大衆は流されやすく,思考することを放棄している」とか,「社会不安がそうした間違った集団心理となっている」といって,一方的な批評や,都合のよい精神分析などをもって,異なる意見をもつ大衆を揶揄することもある
・現代的な多文化共生を訴え,古い価値観を打破する自分たちリベラル派こそが真なる自由の担い手であると標榜してはいるが,その姿勢は,かつて少数者が多数者を支配していたときのような,エリート階級による抑圧的社会を彷彿とさせる

リベラル派が異なる意見を糾弾するような排撃的態度をとってしまう背景には,自由主義的な社会というものが望ましいものだけでなく,よろしくないものまでも包摂してしまい,その結果,「公共」の問題を自浄しきれなくなってしまっている,という事情があるからでもある


■思想史における「リベラリズム(自由主義)」と,その後に到来した「リベラル」のズレ

従来,政治的スタンスとしてのリベラリズムは,政治権力の抑圧から個人を守り,個人の身体・財産・思想・表現の自由の保障を求める近代市民社会の理念そのものだった(ロック,モンテスキュー,J.S.ミルなど)

しかし,そうしたリベラリズムが普及した社会は,必ずしも理想の社会というものではなかった。救済されるべき人をみようとせず,真なる自由に無頓着なまま,ただ「政治権力からのわかりやすい干渉が少なくなった」ということを喜んでいるだけの不完全な自由社会にすぎなかった
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社会的弱者は相も変わらず,差別や困窮といった鎖に縛られ,そうでない人たちはそれをよしとする冷淡さや,みせかけの自由という思考のくびきから逃れてはいない

こうした状況下,思考のくびきから人々を解き放つと同時に,抑圧的状況のもとで生活していた社会的弱者を解放する新時代の担い手として登場したのが「リベラル(派)」

・この「リベラル派」からすると,旧来のリベラリズムや,その後のネオリベラリズムは,不自由な自由主義でしかない(この文脈において,古典的なリベラリズムは右派である一方,現代的なリベラル派は左派として位置づけられる)

・古典的リベラリズムの延長線上において,それが取り組もうとしなかった課題に取り組もうとしたのがリベラル派であって,理念上「多様性」や「個人の自由」を推奨するという点では自由主義と同じであったはず

しかし,古典的リベラリズムが招いた弊害に対応しようとするリベラル派においては,どのような自由を強調するかについて古典的リベラリズムとのズレが生じ,それが公共圏におけるリベラル派VS反リベラル派の対立の構造をかたちづくっている

(例1)経済
リベラリズム…自由市場の結果としての格差は許容すべきもの


リベラル派…生まれつきの能力差や運のよしあしなどで生じた経済格差を放置することで社会的弱者が暮らしにくいのは許容できない

(例2)思想・表現の自由
リベラリズム…多少過激な性的表現であろうが異なる価値観に対する揶揄であろうが許容されるべきである


リベラル派…ある人たちの傷つきやすさに触れる形で痛みを与えたり,何かの揶揄が社会に蔓延することである種の人々が社会のなかで息苦しさを感じるのであればそれは規制されるべき(傷つきやすい人や息苦しさを感じる人たちを解放し自由にすべき)

3リベラルであることの難しさ

■キャンセルカルチャー
・個人・企業・団体の問題ある言動をとりあげてその反道徳性を指摘し,その活動に対してネガティブ・キャンペーンを張ったり,社会的地位を失わせることで相手の影響力を無効化したりするという手法もしくは傾向

・思想・表現の自由の擁護派であるリベラリズムに対し,ときにリベラル派が「思考停止」「ネオリベ」と罵倒し,従来守られるべきものとされてきた思想・表現の自由を抑圧しようとするキャンセルカルチャーとして表れ,2000年代以降とくに注目されてきた

・差別的言動とは無関係なところ(経済活動や日常生活)が破壊されてしまうとすれば,いかにポリティカル・コレクトネスを伴うキャンセルカルチャーであっても,刑法的な侮辱罪や名誉棄損罪,あるいは民法的には損害賠償や慰謝料をともなう不法行為となってしまう可能性がある

・キャンセルカルチャーを行使する側は,ネオリベ的な(格差社会やそこから生まれる差別や偏見を容認するモラルなき自由主義のような)社会には批判的な姿勢をとってはいるものの,対話と議論によってより良き社会をつくろうとするー異なる相手に対する寛容な姿勢をみせるーよりは,気に入らな相手を経済的に追い詰めたり,社会から排除することで自分たちの望む社会をつくろうとする「勝てばよかろう」といったネオリベ的なスタンスに近いようにもみえる

「言論の自由」を駆使して,相手の活動にダメージを与えることで,相手の言説の無効化を目指して言論市場・経済市場からも淘汰しようとするような,(本来リベラル派が批判するところの)悪しきリベラリズム的特徴をもっている

・一部の過激なリベラル派は,対立する相手方の思想・言論の自由を口汚く罵って否定しながらも,「間違った言説を批判する自分たちの表現の自由だけは抑圧の対象とはなりえない」とばかりにーエリートのしぐさのようにー自己中心的に振る舞うことがある

■コミュニケーション的合理性
ハーバーマスの説く,公共圏において理知的な議論を行うにあたって,異なる意見の他者に対してもある程度の敬意を言空き,大声や罵声をもって相手の発言を妨害することをしてはならないという態度

保守でもリベラルでも公共圏における議論の担い手としてふさわしい態度であるべき

■リベラルの苦悩
・より先進的で寛容で理知的であるはずのリベラル派が徳に欠けた態度を取ってしまうのは残念だが,社会的なバランスをとろうとするその営みそのものの難しさや,なかなか理解してもらえないことへの苦悩などもあるだろう

・ただし,多文化共生をよしとし,異なる他者との共存を訴え,他国の人々の価値観を大事にしようと普段から主張しているそうした人たちが,その一方で「隣人への寛容さ」を忘れて徳のない振る舞いをするのはチグハグ感がある
足元をおろそかにしていると言わざるを得ない
グローバリズムに染まったネオリベ信者が,身近な隣人の苦しみや格差に無頓着なまま,自由の素晴らしさを賛美するかのようなもの

公共の事柄を論じるにあたっては,自身のスタンスを理解し,他人とどの点で一致していながらどの点で異なり,どういった連帯がどこまで可能でるのかを,冷静に模索する必要がある

第8章 思想的な対立を乗り越えるー公共の再生

1ルソー以降の思想的課題

分断的状況のもとでは,話し合いでコンセンサスを形成するよりも,それぞれの党派的な政治力に頼りがちになるので,それぞれの政治的意見が拮抗したまま何も決まらないか,あるいは政治力が強い党派が強引になにかをやって,あちこちにしこりを残す

仮に求心力のあるリーダーが登場したとしても,人々の政治的ニーズが分断され,誰もが冷淡であるならば,結局そのリーダーは中身の薄いポピュリズム的政治を展開するだけ

人々がその問題を「自分たちのこと」としてとらえる必要
公共心を復活させ,共通善を実現するということ
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■ルソーの直接民主制指向,一般意志>特殊意志
・代議制で選出された議員は単なる代理人にすぎず,公共的意志よりも支援する利害関係者を重視してしまうが,直接民主制なら市民は代理人まかせにせず公共的意志にめざめ,直接的に政治参加するはず

・ルソーが念頭においていたのは,異なるけれども対等な市民であったが,ここに社会を管理するための「理性」が入り込み,ヘーゲル哲学のようなシステマティックに完成された国家論や,マルクス思想のような科学主義的な社会主義へとつながっていったという思想史的解釈もできる
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「みんなのため」の政治体制は,誰にとっても正解となる「理性」の導きのもと,合理的な知的エリートとしてのリベラル派による管理社会へと変形していったということでもある


多様な個々人のさまざまな関心や思想を肯定するリベラリズム思想もある
・J.S.ミルが提唱した思想・言論の自由
バーリンの消極的自由
→しかし,肝心の倫理性や公共性は置いてきぼりにされ,自由な経済的利益の追求が肯定されるなかで経済リベラリズムと資本主義が台頭し,「格差」「差別」が蔓延るようになったということもある

・資本主義における格差問題において,マルクス主義・共産主義はイデオロギー的闘争のなかで労働者側に立ち,資本家やそれを支援する政治家との対立を深めたが,次第にエリート主義的で全体主義的なものとなって求心力をなくし,冷戦後は力を失った

・冷戦後も生き残った資本主義やリベラリズムが格差問題や疎外への対応をうまくやれたかといえば,そんなことはない

・いかに正義を実現できるかというロールズ『正義論』(1971)が登場。先入観や文化的価値観を超越した理性的思考のもとで自由と平等のバランスがとられ,多くの人にとって公正な社会の実現を目指す社会契約が提唱された
・多種多様な個々人の生を許容すると同時に,経済リベラリズムが見過ごしがちな格差解消を実現しようとする公平な社会の構想

2サンデルのコミュニタリアニズム(共同体主義)

■サンデルの「共通善」
・中立的(ニュートラル)な正義に対して懸念
→ニュートラルな「正」のもとで社会を構想しようとしてもそれは実際にその社会に寄与するものとはなりえないから(ロールズ流の最底辺層への富の分配や社会保障などのメリットは認めるにしても,それが公共的意識を回復するとは限らない)

その足場をなくし,中立的な立場で結論をだすとしても,その場しのぎの妥協的な結論しかだせず,それは何かの拍子ですぐにひっくり返る
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「政治的空白」ともいえ,そこに商業主義を振りかざす経済リベラリズムであったり,派閥の権益を守ろうとする党派主義やそれと結びつくアイデンティティ・ポリティクスであったり,多数派の不満や怒りを請け負う形で成立しがちなポピュリズムが忍び込んできてしまう

これらの台頭は格差や対立を招くことはあっても,連帯して公共の問題に取り組みまでには至らない。当然,そこでは共通善が意識されることもなく,力を合わせれば解決できるはずの問題も放置されがちとなる

・共通善が意識されないところでは,自由主義や商業主義が入り込み,人々の価値観を支えているところの文化やアイデンティティが,相対化され弱体化していくため,脆弱性を抱える。

■商業主義での文化保護
「文化」という商品化されたもの,あるいは商品として相対化されたものを扱い,金銭的価値とは独立した文化そのもののユニークな価値を認めるものではない

経済が衰退していくとそれを担えなくなる

周囲の人間はその商品で利益をあげていたわけではないので,あくまで「他人事」にすぎず,自分たちのこととしては考えられない
その文化を担ってきた人たちはアイデンティティを失い無機質な経済市民となっていく=困窮して隣人にも共感しなくなる
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過剰な商業化は人々の公共心を失わせ,人々を分断し,文化を無機質化させてしまう
・中立的なスタンスをとる以上,個々の文化やアイデンティティは個々の問題であって,いちいち荷担することは忌避される
自己責任のもと,市民それぞれが断片化し,それぞれ結びつく政治権力も断片化する

■もう一度,自分の立場や利害に固執することなく「自分たちのこと」として考えるべきとき
トータルでみると,誰もがより幸福となり,その人生をよいものとできるような社会がつくあれればそれでよいわけで,俯瞰的に全体を見渡しながら,個々の人たちにも配慮するという仕方は,単純なアイデンティティ・ポリティクスや党派的政治,中立的なリベラリズムでも困難

3コミュニタリアニズムとリベラリズム

■共通善(common good)
・共通善あいまいでわかりにくいが,ない社会も考えにくい

「公共にとっての善」であり,自身という「個」には該当しなくとも,全体の「公」にとて重要な意味をもつもの

国や社会,共同体によって異なるものであるし,われわれがいつのまにかそこで生き,そこに拠って生きているような文化や価値観

多様であり,変化もする
→「合理的に考えればそれは決まっている」とするのは画一的な普遍主義でしかない
→ロールズの正義論も,どの社会においてもそうであるべき「正義」というものを想定しており,サンデルはあまりにもそうした普遍主義的な「正しさ」を規定することはコミュニタリアニズム的にはよしとされない
→みんなが豊かで幸福になるためには,単なる数字や指標だけでなく,道徳的な理念が必要であることに違いはないが,その在り方やバランスは時代とともに変化する

誰もが常に公共的な議論に参加したいわけではない。自身の代弁者である政党や代議士に想いを託すこともある
→だからといって,議論参加に消極的な個々人を見下したり,「公共性を自覚し,議論に参加できるように啓蒙してあげなければ」と押しつけがましい態度をとったりするのは,モラルハラスメントともいえる

■リベラリズムとコミュニタリアニズムの相互補完性

リベラリズム:他者介入的な風潮や全体杉的傾向をいさめ,個々人の能力や可能性の開花のための安全装置として機能するためのものであって,積極的であるが消極的であろうが,理知的であろうがあまり学がなかろうが,とにかくすべての個人を等しく尊重するという点で意義がある。
コミュニタリアニズムや公共的な議論のもとで苦しむであろう人の居場所を認める役割がある


コミュニタリアニズム:リベラリズムから生じた弊害をコミュニタリアニズム的な公共的議論によって解消できる

4嫌悪感や冷淡さを乗り越える

・ある属性をもつ者に対して嫌悪感をもつのはやむをえない。ただし,それを公共の場に持ち込むことで,その対象がいたたまれなくなる風潮を作り出すというのは,その対象を「公共の一員としては認めない」というメッセージとなる

・異なる人たちのライフプランや価値観を無視するかたちで人々のお金を徴収し,その意図にそわない配分をするとすれば,「公のためには,個は犠牲になっても構わない」と主張する全体主義とかわらない

・見下しや差別は日常のいたるところにあり,気づかれにくい。多数派は多数というその事実だけで,少数派を威圧してしまうようなケースもあり,ときに劣位にある少数者だけでなく,優位にあるとされる少数者に対してもプレッシャーを与え,苦しめさえする
(例)
美男美女などのような一般では優越的なポジションに位置するような人でも,多数派からの性的な視線をむやみに浴びせられて消耗していることがあったり,性的魅力のみを評価されてばかりでそれ以外の能力を認めてもらえることがなく,認めてほしいはずのその能力への評価が不当に下げられてしまっていたりすることもある

■共感とコンヴェンション

こうした社会的分断状況において,「共感」への回帰を訴える論者もいる
・ヒュームの「一般的観点」に基づく共感
・アダム・スミスの「公平な観察者」
・フランス・ドゥ・ヴァ―ルの「エンパシー(感情移入的共感)」などなど

一定の留保が必要
→共感は大事だし,共感しないよりもしたほうがいいが,結果として生じた共感が望ましくとも,人々がもっている共感能力が理解のためにきちんと機能するかといえば,そうとは限らない
→共感能力は個人差もあるし,身近な人や似たような属性の人たちとの間で作用しやすい
・仲間内において強く共感が機能すればするほど,その外側の仲間以外に対しては,対抗的・排除的な態度をとりがちになる

・限定的な共感の枠組みを乗り越えないと社会的協調はできない
・枠組みを乗り越えるには感受性に頼るだけでなく,さまざまな工夫や努力が必要
・どこまで相手と接し,どこまで対話や譲歩ができるのかを,手探りで模索すべき

ヒュームの「コンヴェンション」形成のプロセス
ボートのオールを漕ぐ二人のように,当事者が協力して責務を果たして当事者すべての利益になるような,「共通利益の一般的感覚」やそれが成立している状況
→互いに自身の欲求を押し付けあうのではなく,力を合わせようとする
→協調が互いにとっての共通の「よいこと」であるという意識を共有しながら,そこへと動機づけられている状態はそれぞれが自発的に「公」の一員となっていることを意味する
→よくわからない相手を拒絶することなく,ボートがうまく進めるよう,双方にとって納得できる漕ぎ方・リズムを模索しながら,それぞれが前向きにオールを漕ぐことで確立する

第9章 公共圏の可能性ー市民的連帯のもとでの取り組み

1シヴィック・ヒューマニズム

・たとえ実践ない理論や思弁が無力であるにしても,理論や思弁なしの実践が危ういこともまた事実

・公共哲学とは,わかりやすさや直接的な利便性を求めてばかりの社会が忘れがちなものを思い出させてくれる

・ただ,公共哲学は従来の思弁的哲学とは異なり,そもそもが市民的実践を前提としており,そしてそれは政治権力主導の統治とは異なる

■シヴィック・ヒューマニズムの起源と歴史

・ルネサンス期の思想家たちによって表明された,自由で徳をもった「人間」による政治をめざすムーブメント

・市民社会論としてイングランドにわたり,共和主義思想に組み込まれた
→ここでの共和主義は,中世的なキリスト教的抑圧からの解放という近代的側面と同時に,古代ギリシアのアテナイ,共和制ローマのように,王やそれに連なる貴族主導の政治を撤廃し,自由人による自発的な公共的参画を行うという回帰的側面

・はじめから市民参画型のものであったわけではない
→マキャベリの時代にも貴族的な寡頭制は幅を利かせていたし,王制を排しクロムウェルが護国卿となったイングランド共和国においても多く尾市民は結局,支配・管理される側であった
→議会制民主主義がいち早く発展したその後のイングランドにおいてさえ,名誉革命以降の議会政治はホイッグ主導のものであってもなお貴族的寡頭制の風潮を残すものであり,共和主義でもなければ,シヴィック・ヒューマニズムを体現したとはいいがたいものだった

・皮肉なことに,共和主義的理念はイギリスの植民地としての立場から独立を果たしたアメリカで具現化された=近代共和主義の最初の成功サンプル

・フランス革命などを通じてヨーロッパでも花開いていった

■現代では

・本来の共和主義とは,さまざまな階層や立場の人が抑圧されることなく,誰もが市民として政治に参加できることをよしとする思想

現代アメリカにおいては,人々はリベラリズムのもと「自由」は享受していても,同胞的市民としてのアイデンティティや徳を失い,商業主義に飲み込まれてしまっているようにもみえる
→市民的な徳を欠落したリベラリズムであったも,特定の価値を他者に押しつけることがないという点で魅力的ではあるのだが,他方それは「自分は自分,他人は他人」といった個人主義を人々に植え付け,市民は連帯感を欠落したまま,経済的自由のもとでコミュニティではなく自分自身の利益追求に励むようになってしまった

個人主義と商業主義の台頭のもと,かつて人々が熱望し達成したはずのシヴィック・ヒューマニズム的精神が失われている

コミュニティの再生と徳への再注目を説くサンデルの政治的スタンスが「共同体主義」と呼ばれ,価値中立的であることをよしとするリベラリズム(自由主義)に批判的な理由もここにある

・日本でも,第二次世界大戦以降,国民主権としてシヴィック・ヒューマニズム的理念が政治システムに組み込まれ,多くの市民が政治参加可能となったが,同時にアメリカ同様に資本主義や商業主義のロジックが蔓延り,相互扶助的な共同体の理念が失われつつある

「他人のことなんて知ったことか」という偏狭な個人主義,排他的な価値観が台頭

・一見,共同体を大事にしているようにみえるナショナリズムですら,「日本を大事にすべきだ」といいながらも,同胞である社会的弱者の救済を拒絶し,自己責任論を振りかざしたりする有様
・格差是正・弱者救済を掲げ,ナショナリズムを批判するリベラル派であっても,到底シヴィック・ヒューマニズムと呼び難いような排他的姿勢をみせることがある

結局,右派であろうが,左派であろうが,多様性を包摂しながらの社会的連帯意識が欠落していれば,狭いサークル・仲間内だけで完結するような党派的論理に執着するだけ

4公共圏の役割

・政治権力や経済権力から独立しながらーしかしかならずしもそれらと対立するわけではなく,ときに協力しつつー誰もが当事者として関わるところの領域

・自身と立場や利害が異なる他者の意見を圧殺することなく,そうした他者を公共メンバーの一員として尊重しながら,ベターな解決策へと向かうべき

・「どちらをとるか?」といった二択式に問題をとらえ,政治がいずれかの味方をするべきだ,という考えに陥ってしまうのは,公共の問題を取り扱うにふさわしい思考のしかたではない

・他者の異なる意向に耳を貸し,譲れるところは譲り,協力できるところは協力しようとする寛容で対話的な姿勢こそが,長期的には一致団結した社会問題への取り組みへと繋がる

あとがき

・ある種の議論に対し,「ということは,資本主義を否定し,社会主義や共産主義といった左派的思想のたつわけですね」とか,「それってナショナリズムを推奨するわけでしょ」と早合点をしてしまい,相手をそれ以上理解しようとしなくなるケースもある
→初学者よりも政治思想をある程度学んだ人に見られる傾向
→公共を論じることと,政治的スタンスのいずれかを推奨することとは似て非なるもの

・自由主義VS社会主義,個人主義VS国家主義,反功利主義VS功利主義といった二項対立図式はいたるところでみられるし,問題の整理としてときに必要なものではあるが,すべてのイシューをこうした対立図式に還元し,一方を勝者に,他方を敗者としたがるイデオロギー的姿勢は,むしろ,公共の問題や,対立・分断の背景をみえにくくしがち

・あるイシューについては,「どの程度自由に,しかし,どの程度規制するか」とか,「どの程度個人の権利を尊重し,どの程度公共の利益を求めるか」といったグラデーション的な捉え方も必要

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