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自分と違う誰かになろうとする必要はない〜ヨーガ心理学で知るわたし⑪

自分は人と比べて劣っている、そのままでは価値のない人間だ。
と自分の中で妄想が膨らみ、このままではいけない!となります。

そんなとき、私たちは他の誰かになろうとするのです。

本当はやりたいことがあるけれど、それをやってしまうと誰かが嫉妬するかもしれない、私を嫌うかもしれない。

親の示す範囲の中で生きてきて、はみだしたことがない。
そんな私が親に反抗してやりたいことがある、と言ったなら一体どんな反応をされるのだろう。

怒られるかもしれない、幻滅され、がっかりされるかもしれない。
悲しまれるかもしれない。

そんな事を考えているうちに、どんどんと時は過ぎていくのです。

先回もお伝えしたように人には個性があり得手不得手があります。

高いところが怖い人、得意な人
細かい作業が好きな人、嫌いな人
接客が得意な人、苦手な人

いずれにしても、どちらもいいとか悪いとかではありません。
ただ、自分が得意と苦手があるということです。

花として生まれるとして
「バラ」なのか
「かすみ草」なのかは
違います。

バラはそれだけで華があり、主役になれますが
かすみ草単体での花束はあまりありません、

それに対して、
かすみ草が
「私はどうしてかすみ草に生まれてきてしまったの?つらい!」
と恨み言をいったり
「かすみ草は可憐で、何にでも合うから、どんな花束にも入れてうらやましい!」
とバラが思ってみたり。

そんな感情が出て来てしまう可能性はあります。

親ならば、子供に向けて
「どうしてあなたはかすみ草なの?バラになりなさい!」
と、今の子供を否定して他の誰かに仕上げていこうとしたりします。

そうすると子供は自分を
他の人より劣っていると劣等感を感じるようになり、親に対してバラでない事の罪悪感を感じるようになります。

けれども、バラはバラであり、かすみ草にはなれないのです。

不完全と感じていても
今の自分を
そのまま受け入れられたなら、不足を感じる事も少なくなるでしょう。

人間は自分に無いものを欲しがり追い求めます。
ヨーガの教えに知足という考え方があります。
無いものを追いかけるのではなく、今あるものに目を向けて感謝するという教えです。

自分には当たり前過ぎて分からない、他の人にはないものがきっとあるはずです。

誰もがひとりひとり違う、オリジナルな人生を歩んでいます。

以前話したように、
他人と100パーセント
理解しあえるのは難しいです。

https://note.com/rita330/n/n60bb2c650bbc

自分の外側に何かを探してもその何かで本当に幸せになる事はないでしょう。

自分の内側にある
素晴らしい本当の自分
に気づいて、生き方、在り方を変えていく事が
真の幸せへの道です。

唯一無二の自分を受け入れて、自分に出来る事で唯一無二の「私」を生きていきたいものですね。


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