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映画メモ67「ある男」

なぜか妻夫木聡の演技が苦手で、
昔ちらっと観た何か以来、敬遠してた。

が、今回「観ようよーー」と言われたので
何となく渋々観た。

あれー、年取ったのか、いいじゃん妻夫木聡ぃ。
キャストが曲者揃いなのに
しっかり役者さんになっているじゃないか。
これからは敬遠せずに観ることにする。

好みの役者さんばっかりだったので
何度も観たいなー面白そうだなーと思いつつ
敬遠してきていた(妻夫木聡)。

そう、なんなのこの豪華キャスト。

小説が原作で、原作は平野啓一郎。
この人の本を読んだような読んでいないような。
読んでみようかな、これから何か。

「してほしかったことしてくれたから」
自験例で言えば、してほしかったことを
人にできるのは、半端ない苦しみを抜けた人だ。
大体の人が「叱られて嫌だった叱り方」を
我が子にしている(私もだ)。
世の中の殆どの人が本人が思ってるほど酷くなく
大したことない程度なんだよというのは
姑にいびられた人が、なぜか正しくいびる姑になったり
パイセンに挨拶無視される看護学生が無視する看護師になったり
枚挙に暇がない。

してほしくないことをせず、
してほしかったことを人にできるまでの苦しみを、
しかも正しく抜けた人。
そんな人がレアなのは、分かるでしょ。
だって人にされた嫌なことを人にしない、という世界なら
もっと優しいもんね。
人間そんなうまくできてない。

親が殺人犯だっつっても、
本人関係ないじゃん。
つかどうしょもないことじゃん?
ということを、在日と絡めてるのかな。

私は小さい頃から
「女だから」
「親が離婚してる」
「貧乏」
とよく囃し立てられたりしたんだけど
「それって私が何かできることじゃなくない?」
「私の責めに負わないことを囃し立てられてもなー」
と思っていたので、その辺のクリアは早かった。

「どうにもならないことで人を差別するような人間にはならない」

と心に決めたのは小学生の頃だし。
これは、そのまま「嫌な奴は嫌いでいい」でもある。
だって嫌な奴が嫌な奴である責任は本人以外にないんだから。

こんなこと考えてる小学生だったから
よく嫌われた。
大人からは特に。

家族。
私は与えられた家族が嫌だったから
自分で家族を作った。
私が作ったものだけが家族だ。
それは血縁だけでは当然ない。

誠は、安らぎを得たのだろう。
彼の晩年は、幸せだっただろう。
「彼の3年9カ月は幸せだった」
というのは、
死んでしまった恋人の妹さんが
同じような言葉を私にかけてくれたことがあるので
泣いてしまった。

図らずも晩年になってしまった同じくらいの月日が、
彼にとっての晩年となってしまった日々を
彼が幸せだと思ってくれたらいいなと思ってる。
彼のうれしそうな笑顔の写真を見ると、
きっと幸せだったんだろうと思う。

いろんなの詰め込んである割には
お話としてちゃんと形になってるし。
名前とか、家族とか、出自とか、幸せとか。

おしまい。


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