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一緒に、大人になろう【#シロクマ文芸部】

  愛は犬のようなものなのだと、自分に言い聞かせる。荒い呼吸、体を嘗め回す舌、口から滴る涎。私が売るのは若さで、大人たちはその行為の対価を支払う。これが、愛だ。

「かわいいね」「今、いくつ?」「アイドルの〇〇に似てるね」

 愛は犬だなんて思ったことに後悔する。人間よりも、犬たちの方が高潔な生き物なのかもしれない。少なくとも、リードにつながれ、道行く犬たちの目を見ると、どの目も優しい。人間の隣を誇らしげに歩いている。

 私はやっと十四歳になったばかりだけれど、「仕事」のときには、十六歳と偽ることにしている。十八じゃ売れないし、十五以下じゃ警戒される。経験則で、十六というのが一番売れることに気が付いた。

 大人たちの家を転々として、一か月が経つ。家を出たばかりのころは、すぐに警察の追手がかかって、捕まるのだと思っていた。だって、私のお父さんは、世間体を一番大事にする、「立派な大人」だから。必死になって探せばいい。自分が何をしたのかを顧みる人ではないから、反省なんてしないと思うけれど。

 そろそろ新しい寄生先を探そう。SNSで顔を晒すのにも、もう慣れた。仕事は、いつもすぐに見つかる。大人っぽすぎず、あどけなさすぎない、目元を強調したメイクをして、大人たちが買ってくれた服を纏う。厚底ブーツ、長いさらさらの黒髪、短いスカート。繁華街に繰り出すと、大人たちからの視線が、私に絡みつくのを感じる。待ち合わせ場所の、ディスカウントショップの真っ白なLEDライトが、やけに攻撃的に、私の目を刺す。リップが落ちていないか、鏡で確認する。煌々と照らされた繁華街の夜の片隅には、そこかしこで闇が蠢いていて、夏なのに、やけに寒かった。

「ミヨちゃん?」

 声をかけてきたのは、自称、三十五歳、会社員の男。黒髪はきちんと整えられ、黒縁の円い眼鏡をかけている。スーツにもシャツにも、ぱりっとアイロンがかかっていて、靴も綺麗。清潔感がある。腕には高そうな時計。一見真面目そうだが、よく見ると、目が据わっている。世間的ないい人を必死で演じながら、それでいて内面は暴力的なタイプ。やばいかな。まあいいや。

「行こうか」

 うん、と営業スマイルを作ってついて行こうとした。
 その時。

「すみませーん! この子って、今からどこ連れてこうとしてます? 何歳ですか?」

 後ろから声をかけられた。
 男は、チッと舌打ちをして、私の手を離す。

 しまった。ハメられた。まずい。

 全力で走って逃げようとしたけれど、腕を掴まれた。

「ねえ、まって! 違う違う!」

 後ろを振り返ると、そこには、ベージュのスーツを着た、少し背の高い女の人が立っていた。褐色のワンレンボブの髪が、夜風にさらさらと揺れる。濃いメイクだ。若い時はギャルだったのかな。

「突然ごめん! 私、坂本理央っていいます。困ってる若い人たちを支援するNPOやってるの。私はあなたをここで補導する立場じゃないから、そこはまずは安心して」

 安心なんてできるわけがない。そう思っていると、他の女性たちが、理央と名乗った女性の周りに集まって来た。

「理央さん、この子ですか?」
「そう。今日、事務所の寝室空いてたっけ?」
「はい、大丈夫です。空いてます」
「ミヨちゃん、だよね? 今、本名は名乗らなくていいから、まず私たちの事務所に来てほしい。ここにいると、危ないから」

 変な宗教か、詐欺団体か。流行りの闇バイトか。この大人は、安全なのか。ぐるぐると頭の中を考えが巡る。理央と呼ばれた女性の目を見る。理央は、真っすぐに私の目を見た。据わってもいない、騙そうともしていない、真っすぐな目。なぜか、私自身に見つめられているような。

 事務所に着くと、理央さんは、冷蔵庫から冷たいルイボスティーを出して、私の前に置かれたカップに注いでくれた。スタッフは全員、二十代から四十代の女性で、それぞれがデスクに着き、電話やチャットで、若者たちからの相談を受けていた。

「ここは、二十四時間、困っている若い子たちからの相談を受け付けているNPO団体なの。見てわかる通り、電話がかけられない場合は、チャットで相談を受けてる。最近はね、女の子だけじゃない。困ってる男の子も、たくさんいるの」

 理央さんは、俯く私が話し出すのを、黙ってずっと待っていてくれた。

「私、家を出ようと思って。家出して。ずっと転々として」

 声が震える。理央さんは、私を深い闇の中、淀みの底から掬いあげようとしてくれている。

「ミヨちゃん、本当は今幾つ?」
「十四」
「家出る前に、何があった?」
「お父さんが」

 それ以上、言葉が出なかった。理央さんは、私の手を温かい両手で包んでくれた。人の手が温かいということを、わたしはずいぶん長い間、忘れていた。

「ミヨちゃんにとって一番いい方法を考えよう。大丈夫。ここに繋がれたことって、実はとってもラッキーなんだよ? 世の中には、あなたのように家出をした子を捕まえて、何にも考えずに家に戻しちゃう人たちが、沢山いるんだから」

「もう、帰りたくない。あんなことされて……。もう、家には、帰れない」

 私の涙声を、理央さんは黙って聞きながら、私の背をさすってくれた。

「ミヨちゃん、もう大人の言うことは信じられないかもしれないけど、これだけは聞いて。大人になって、自分で稼いだお金を、食べ物だったり、服だったり、自分が生きるために使うことって、自立して生活できることって、とっても素晴らしいことなんだよ。だから、今辛くても、がんばって大人になろう。私も、昔はミヨちゃんだったの。ここにいるみんなもそう。どんなに時間がかかっても、私たちはずっと待ってるから、だから、一緒に、大人になろう」

 泣きじゃくる私を、理央さんはそっと抱きしめた。人に抱きしめられて、嬉しかったのは、これが初めてだった。

 あれから、十六年。私は、三十歳になった。結婚もしていないし、彼氏もいない。けれど、私は、大学の教員となり、私自身を食べさせ、着させ、安全な住居に住まわせることができた。

「美陽先生~! テレビ局のインタビューの方、見えました~!」
 
 私の愛するゼミ生の女の子が、ぱたぱたと走ってくる。
 ありがとね、と言って、私は部屋のドアを開ける。

「清澤美陽先生、この度はインタビューをご快諾頂き、ありがとうございます!」

 テレビ局員の若い男の子が、屈託のない笑顔を見せる。

「さて、早速、始めさせて頂きたいのですが、清澤先生が、現在のご研究を始められたきっかけを伺ってもよろしいでしょうか? 『少年・少女たちの生きづらさの原因解明と、少年・少女たちを守るための社会の役割』というご研究ですね」

 テレビ局員の青年は、メモを取る構えで、私をじっと見つめている。なんだか、体は大きいのに気は優しい秋田犬のように見えて、思わずふっと笑った。

 愛は犬。
 ずっと前、辛かった時の自分に言い聞かせた言葉が、頭の中に蘇る。

「きっかけ、ですね。実はね、私も家出少女だったんです」

 青年の目が、点になった。

「でも、私はとてもラッキーでした。私を濁った水の中から掬い上げてくれた、素晴らしい人たちに出会えたのですから」

 私は信じている。私の研究で、少しでもこの世の中を変えてみせる。


 さて、理央さんへの恩返しの始まりだ。


 

<終・もしくは始まり?>

この小説は、小牧幸助さまの下記企画に参加させていただいております。

小牧部長、今週も書けました!
小説を一つ書き始める度、ぶわっとその世界に没入して、脱稿すると、まるで長い旅から家に帰って来たような、なんともほっとした気持ちになります。

今回の「愛は犬」、かなりテーマ選びに難航しておりました。「愛」を名前にしてみるか、「犬」から始まる言葉とつなぐか。どちらも自分の中でしっくりくる答えを出せず、今回の書き出しとなりました。

毎度毎度、自分の中に溜まっている問題意識を扱う機会が増えました。重くなりがちなところは、反省しておりますが、小説の中だからこそ、「これって、どうなの?」という問いを自由にぶつけさせていただいております。発表の機会を頂けていることに、心より感謝いたします。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

#シロクマ文芸部

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