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『西部戦線異状なし』翻訳者・秦豊吉と黄金の20年代

 Netflix 制作のドイツ映画『西部戦線異状なし』が国際長編映画賞を含む計4部門のアカデミー賞を獲得しました。原作のレマルク自身の体験を基にした反戦小説『西部戦線異状なし』は、1928年にベルリンの新聞に連載されたのち、1929年1月に出版され、瞬く間に350万部を売り上げ、26カ国語に翻訳されました。日本では同年に秦豊吉氏の翻訳で中央公論社より刊行され、やはりベストセラーになっています。

 翻訳者の秦豊吉氏ですが、東京帝大の法科を卒業したのち三菱商事に入社、駐在員として1920年代にベルリンに滞在していたそうで、かなり破天荒な人物だったようです。ドイツのハイパーインフレがとりあえず終結した1924年から世界大恐慌が勃発する1929年までの間は、最も文化華やかなりし「黄金の20年代(Goldene Zwanziger Jahre)」と呼ばれた時代で、特にベルリンは芸術や科学の最盛期でした。演劇好きな秦氏も劇場に通い詰め、ドイツ自然主義演劇の中心的人物でノーベル賞作家のゲアハルト・ハウプトマンにファンレターを出すとパーティーに呼ばれ、ハウプトマンの別荘にまで招かれる仲になったそうです。その他にも医師で作家のアルトゥル・シュニッツラー、作家でジャーナリストのアルフレード・ケール、哲学者でノーベル文学賞受賞者のルドルフ・クリストフ・オイケンら当時の超一流の文化人に気に入られて交流があったというのですから、秦氏のドイツ語能力は相当なものであり、人間的にも魅力のある人物だったのだろうと想像します。ドイツ人もまた日本文化に興味津々で、秦氏は神道や日本の風俗習慣について質問攻めにあったそうですから、ワイマール共和制時代の知識人たちが、いかに知的でグローバルなサロン文化を楽しんでいたのかが伺えます。

 ところで秦氏の経歴を読みますと、『西部戦線異状なし』以外にも、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』など多くのドイツ文学を翻訳したかと思えば、『好色独逸女』なんてタイトルの著書を上梓していますから、かなりのインテリ酔狂人だったのではないでしょうか。三菱商事を退社した後、東宝の演劇部門に転身し、日劇ダンシングチームを育成、新宿帝都座での本邦初のストリップショーを上演し、丸木砂土のペンネームで異端文学を書いていたそうです。

 私はどうにもこの『好色独逸女』が気になって調べてみますと、なんと国立国会図書館デジタルコレクションでオンラインで読めるではありませんか。しかし、喜ぶのも束の間、彼の文芸論やドイツの暮らしついての所感を集めた随筆集『好色独逸女』の中の『好色独逸女』の章だけは、ゴッソリ削られているのです。嗚呼なんといふことでせう。隠されれば見たいのが人間の業。どなたか古本屋で見つけたら、こっそり教えてください。

 さて、その他の章、特に秦氏の目を通した「黄金の20年代」の退廃的なベルリン文化が描かれている箇所が実におもしろいのです。例えば、当時はベルリンに70店もの「美少年倶楽部」なるものが存在し、秦氏が好奇心にかられて、ひとつの店を訪れた時のことも書かれています。入店するとまず可愛らしい少年が帽子とコートを受け取ります。テーブルについて店内を見回すと、客は全て男性。紳士風な客もいれば、頬に傷のある怪しい男もいて、白粉をつけ紅をさした店の美青年と身体を密着させて踊っていたとか。この世界には身分の上下はなかったわけです。それにしても、社員がこのような本を出しても、とやかく言わなかった三菱商事も随分と寛容な企業だったのですね。

 この時代のベルリンの退廃的な雰囲気については、作家シュテファン・ツヴァイクも「カラフルな魔女の安息日」と表現し、回想録『昨日の世界』の中で、こう書いています。「クアフュルステンダム通りには、人工的にウェストを細く締め上げ、化粧をした少年たちが闊歩していた。プロの男たちだけではなく、ギムナジウムの生徒もいた。暗いバーでは、国務長官や大金持ちが酔った船員に恥じらいもなく優しく愛をささやく場面にも遭遇した」。

 ベルリンの有名な女装舞踏会では、男が女装し、女が男装して踊っていました。寛容なベルリン警察のおかげで、当時のベルリンにはヨーロッパのどこよりも多くのゲイやレズビアンのバーがあったことはよく知られています。気楽に入れる低価格な店から、富裕層向けの店まで、あらゆる価格帯の店がありました。 

 労働者の居住区であったショイネンフィアテルには、20世紀に入ってから、多くのゲイやレズビアンが住み着きました。ここは19世紀終わり頃、東欧のポグロムから逃れてきた貧しいユダヤ人も多く住んでいた地域でもあり、独特の雰囲気があったようです。

 第一次世界大戦が終わり、経済が落ち込み、ブルジョワの道徳的秩序が失われていたこの時代に、ベルリンの若者は自分自身を、人生を、性的自由を謳歌し、この光景を秦氏は見つめていたのです。

 しかし、それから10年も経たずにナチス政府が誕生し、同性愛者は迫害され、強制収容所に送られることになるとは、一体誰が想像できたでしょう。

1920年代ベルリンのキャバレー、エヘド・カリーナ女性バレエ団


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