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教室に居続けられなかった経験から

こんにちは😊

生活する施設でうまくいっていない律です。
(試行錯誤なのです!(#^.^#))

現在私は、大学生(通信制課程)です。
大学では社会福祉を専攻し、正確な知識と客観的な発信のノウハウを蓄えている最中です!

保育士試験と社労士(社会保険労務士)試験の勉強もしています。

(独学の孤独感は半端ないので、応援お願いします!(*´ω`*))


そんな私ですが、
中学3年生になっても学校の教室が苦手で、

よく保健室や校長室に行っていました。

先生に関わってもらえないと
校外へ出ようとする(いわゆる脱走)ことも
多々あり、落ち着かない生徒だったと思います。

教室はにぎやかで頭が痛くなるし、
机に向かう勉強は、やる意味がわからないし、
集団行動は窮屈なうえ、一斉指導は先生の言っている意味がわからないし、

学校へは何をしに行っていたんだろう?🤔


あっ、そうか!

今思えば、先生とよく遊んでました。

体育の授業がしんどくて、(体育会系の先生苦手 苦笑)
体育館から出てきた私に
声をかけてくださった先生がいまして。

「これ、よかったら手伝ってよ」と
おしゃべりしながら、運動会の準備を一緒にしてました。笑

素敵な先生だったなあ。

はたや、私が調子のよくなかった日には
担任の計らいで
相談室開放の昼休みでもなかった、
面接の予約したわけでもなかった状況で
スクールカウンセラー(以下、SC)の人と会う時間を作ってくださって。
私が、ここには書けない㊙危険な行動を目の前でしようとして
「先生たちに言わないといけなくなるから」とかなんとかSCさんに言われてハッと我に返りましたね、はい。

相談室出禁にならなかったのが奇跡ですね、はい。

別室登校をしていた時も
面識のない家庭科の先生がノックして、部屋に入ってきて
「よかったら、〇月〇日に調理実習をする予定なので来てね」とお声がけいただいていました。

小5~中2の時期は闇の時期でしたが
中3の時は、学校全体で私の心理的な遊びに付き合ってくださっていたのかもしれませんね(*^^)v

不安定で不健全な生活環境だった当時の私にとっては、
なんだかんだ型にはめないスタンスで
私を受け入れてくださったことが助けになりました。

こちら↓ Xでもポストした内容なのですが

“居る”ことはすごいことです。安定の基盤がなければ難しいことだと考えるためです。 そして、現在も私は”居続ける”ことに多大なエネルギーと努力と複数の専門家のサポートを必要とします。

居る、留まるってすごく難しいことだと思うんですね。

※難しいというのは、この場合
「できない」という意味ではなく
「高度な」というニュアンスで使用しています。

公立学校の中学校まではまだ守られていましたが、行動化・脱走癖のあった私はその後すごく苦労しました。

病院に何度入院したことか。
施設を何度出ていこうとしたことか。

個人的には、一時保護所(児童相談所)はパンチがありましたねー

トイレに行くのすら、ブザーで呼ばないと行けないというカオスな環境でした。
守られている感じをすごく感じました。


行動化・脱走癖の激しかった時は
「自分はここに居ていいの?いいの?ねえ、居ちゃダメだよね?」と不安感が高じて、¨その環境から出る¨しか選択肢が見えなくなっていました。

一方で、病院や一時保護所は
「どう頑張っても物理的に出られないなら、いいや」とあきらめましたし、
「ということは、ここにいてください、ここにいていいってことなのかも」
と受け取ってましたね、当時も今も。

ほっとするというか
嬉しかったです。


私の場合は、環境に恵まれていた側面もあったのかもしれませんが、
教室に居られなくなっても、案外なんとかなりました。

教室から飛び出して、初めて見えた景色もあります。
学校に戻ってみて、わかることもあると思います。


じぶん出発でいまを楽しんでみてくださいね~

お読みいただきありがとうございました。

また、お会いしましょう!!


2023-12-16(土) 律(りつ)

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