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『タルチュフ』モリエール 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

金満家のオルゴンは、自称零落貴族のタルチュフを信頼して家政全般をまかせ、娘と結婚させようとまでする。タルチュフはといえば敬虔な信心家をよそおってオルゴンをたぶらかし、財産横領を策し、妻にも言いよるという始末。ルイ十四世時代の社会を痛烈に諷刺したこの喜劇で、モリエールは偽善者の典型を創造した。

1643年にわずか五歳でルイ十四世は即位しました。母后アンヌ・ドートリッシュが摂政、枢機卿ジュール・マザランが実政を行い、王権の強化を図ります。既得権の弱体化を恐れた貴族、度重なる増税を苦にした庶民、それぞれが王権に反旗を翻したフロイドの乱も、マザランの手腕で鎮圧され、中央集権化が加速して絶対王政が強固なものとなりました。国力はヨーロッパ随一であり、侵略戦争で領土を拡大していきます。そしてこの国力を世に示すために、1661年にヴェルサイユ宮殿の建造を始めました。バロック美術の象徴として現在まで保持される宮殿で、政務や舞踏会が行われました。同年に宰相マザランが亡くなると、二十三歳のルイ十四世は王権神授説に基づいた絶対王政として、国務に携わっていた王族や貴族を排除して実力重視の官僚を据えた政治を取り仕切っていきます。しかし、国王の周囲には重臣として教会の影が常に付いてまわりました。


モリエール(1622-1673)は裕福な商人の家に生まれながらも、演劇好きの祖父の影響で役者の道へと憧れます。二十歳のとき、彼は家督を放棄して親から資金を手に入れると「盛名座」という劇団を立ち上げました。人気俳優や有力者たちの引き抜きに成功すると、ある程度の集客はできていましたが、当時の競合であるブルゴーニュ劇場に競り負けるように徐々に収入が減少していきます。この要因として、双方とも悲劇の上演を得意としていた特性があり、観客の取り合いが顕著になったことが挙げられます。また、多額の内装改修費が財政を逼迫したことで、二年間続いた劇団の活動は停止しました。その後、南フランスへ移りボルドーのエペルノン公爵という貴族に助けられ、デュフレーヌ劇団と合併して盛名座は解散に至りました。新たな出発は一からの修行の道でしたが、幾名かの王侯貴族の庇護のもとで進められる興行は巡業地などに困ることなく、今までモリエールが抱えていた憂いは取り除かれて上演に集中できる環境にありました。そして、劇団の座長となると、役者だけでなく責任者として外部との交渉や、金銭管理、舞台美術の手配、開催場所の策定、劇場責任者との折衝など、あらゆる方面での成長を見せて団員の信頼を得ていきます。同時に自ら戯曲の執筆を行い、それを上演するという劇作家としての才能も露わにすると、家を飛び出したときの夢を殆ど実現させることができました。


劇団を支え続けてくれた貴族の一人であるオービジュー伯爵が亡くなると、同じく庇護者の一人であったコンティ公がカトリックの秘密結社「聖体秘蹟協会」の一員となりました。これは1627年に対プロテスタント(聖書のみを唯一の信仰対象とするキリスト教派)として、フランスの信仰浄化を掲げて組織されたカトリック(聖書のみでなく諸聖人の正伝も信仰する教皇を頂にした教派)の団体です。ルイ十四世即位後に母后アンヌと宰相マザランを仲違いさせようとした法曹界や宗教界の重鎮たちも属していました。この協会は演劇を「罪深い娯楽」として見做して各劇団を弾圧していたため、コンティ公は庇護者から弾圧者へと変わり、今までの安定した興行収入を確保することができなくなりました。これを機会としてモリエールと元盛名座の団員たちはパリへの帰還を決意します。培った王侯貴族との交渉経験が役に立ち、フィリップ一世(ルイ十四世の弟)の庇護を得ることができ、彼らは「王弟殿下専属劇団」の名を冠してルイ十四世の御前で公演することが叶いました。彼らの公演は国王と延臣たちに認められ、プチ・ブルボン劇場(ブルボン王家のタウンハウスの大広間)の使用許可を与えられました。そして1658年にはパリの観客の前で上演して、大きな成功を収めています。1660年にはルーブル宮殿拡張工事に伴い、プチ・ブルボン劇場の解体が行われましたが、ルイ十四世の計らいにより、パレ・ロワイヤル(ルーブル宮殿併設の王宮)での使用を許可されました。

ルイ十四世とモリエール

1664年にヴェルサイユ宮殿にてルイ十四世が愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールのために(公には母后と王妃のために)、「魔法の島の楽しみ」と称した祝祭を一週間かけて開催しました。600人以上の王侯貴族たちの前で、モリエールたちは祝祭の催しとして上演します。ここで祝祭の五日目に上演された演目が本作『タルチュフ』の前三幕です。しかし、この演目は大きな波紋を生みました。当時のモリエールは国王に我が子の名付け親になってもらうなど、鉄壁の後ろ盾があったとともに、風刺を効かせた演目で世間の評価も堅固なものとしていました。それを良く思わない聖体秘蹟協会は、この祝祭が始まる前からモリエールの演劇を阻止しようと各方面へ上演中止の要請と協力を仰ぐほどでした。それでも上演されると、祝祭に参加していたパリの大司教アルドウアン・ド・ペレフィックスは、この劇を反宗教的であり禁欲的信仰の妨げになるという理由で上演禁止を国王に懇願しました。母后アンヌも同調したことで、国王自身はこの演目を大層気に入っていましたが、「彼ら(カトリック教派)を刺激しないために」という言葉でモリエールを宥めながら上演禁止を伝えました。


この上演禁止はあくまで公の場に関するものであり、私的に上演することには何ら罰則は無かったため、モリエールは過激な描写を修正して場所を変えて繰り広げ続けました。そして喜劇として結末を迎える形に二幕を追記して(本書に収められているものはこの全五幕)、観衆から大きな支持を受けました。さらに、ジェズイット(イエズス会)などのカトリック信者たちまでもが観劇に訪れて楽しみました。国王には上演解禁の要請を続けましたが、国王自身の初めてとなるスペインへの侵略戦争(フランドル戦争)で遠征中であったため、すぐに返答はもらえませんでした。並行して母后アンヌが亡くなり、聖体秘蹟協会の要人が離れていくと、宰相コルベール(マザランの後任)による協会弾圧策が力を強め、この協会は解散させられます。帰国した国王はこれらの事情を理解してすぐに上演解禁の命を下し、ようやく公の場で全五幕の『タルチュフ』を演じることが許されました。


法曹界や協会が強く批判した内容には、「信仰の信用性」が挙げられます。本作の登場人物であるペテン師タルチュフは、信仰を装った口先で自らの煩悩を貪り喰らう悪漢です。これに盲目的になっている貴族オルゴンは、家族の忠告も聞かず妄信的にタルチュフの欲望を満たし続けます。つまり批判は、信仰を悪用する者が存在することを示した諷刺と、それを強めるモリエールの名声力によって、教会の持つ信仰力が脅かされると考えたためでした。また上演禁止を後押しした要素として、当時、悲劇は王族がが立ち回るもの、或いはギリシャやローマの古典劇でしか認められていなかったため、モリエールが作り上げた初期の『タルチュフ』は結果的に上演禁止を言い渡され、法曹界や教会を敵に回すかたちとなりました。実際に、真の信仰によって天国への道を歩む人々と、自身の善行を誇示しながら悪しき行為を行う悪漢との間には、多くの類似点があること、そしてその普遍性をモリエールは説いています。


タルチュフは「自覚を持った偽善者」として描かれています。善行を悪用するという意思を持った悪漢です。当時の教会組織にも多くこのような人物が存在し、だからこそ教会の勢力を貶めようとする本作に批判の声を上げたと考えられます。『タルチュフ』上演禁止後に近しい演目『隠者の道化師』が行われた際、ルイ十四世はカトリック教派から何ら批判の声が上がらないことを取り上げ、貴族コンデ公に問い掛けました。彼はこう答えます。

この喜劇(隠者の道化師)はあの連中が気にもかけない天とキリスト教とを愚弄しているのに対して、モリエールの喜劇は彼ら自身を愚弄しているのです。


タルチュフは敬虔な信仰を持つふりをした悪党です。しかし、オルゴンは自身が敬虔な信仰を持っているという道徳的優位性を自覚してそれを権威に振り翳しているため、彼もまた偽善的であると言えます。また、オルゴンの母親であるペルネル夫人も、彼女自身の偏った思い込みによる正義感を信仰と重ね合わせているため、やはり偽善的であると言えます。彼らは偽善的信仰を盾にして家族の思いを蔑ろにしています。これは神に対する冒涜であり、信仰に対して背徳的な行為です。特にオルゴンとその母親は、自己妄想の域に達しており、それは自己陶酔に繋がって、信仰を持って神に守られているから自身の考えは神の思し召しだ、という乱暴な思考回路となっています。しかし、分別のある世俗的な二人の女性、妻のエルミールと小間使ドリーヌは、タルチュフから性的誘惑を受けていることもあり、タルチュフを悪漢であると看破したうえで、オルゴンを主人として守ろうとする健気な聖性を見せて接します。この対比は、オルゴンを貶めす策略においても貞淑さを忘れずに挑む姿となって、正義に溢れて輝かしく見えてきます。

お義兄さんは自分の間違いを悟り、偽の信仰に騙されていたことに気がつかれた。だからといって、それを改めるために、さらに大きな過ちを犯すことはないじゃありませんか。たったひとりのろくでなしの裏切者と、すべての聖人君子とをごっちゃにすることはないじゃありませんか。いったい、どうしたというんです。ひとりの悪党が、もったいぶった信仰ぶりを表看板に、ずうずうしくもあなたを騙したからって、世界じゅうの人間をそいつの同類だなどと思わないでください。きょうこのごろじゃ、正しい信者なんか、ひとりもいないなどと考えないでください。そんな愚かしい結論を出すのは、不信心者に任せておくんですな。美徳とその見せかけを識別し、あまりせっかちに尊敬の念を失わないようにしてください。そのためには中庸の道をえらばねばなりません。インチキな宗教に引っかからないよう、できるものなら用心してください。しかし、正しい信仰を罵倒してはいけません。

第五幕第一景


本作はブルジョワ劇(町民劇)の開祖とも言える作品です。王族たちではなく、観客同様のブルジョワジーが繰り広げる演目は、感情移入を強めて感動や悲嘆を敏感に感じ取ることができます。本作で言えばペテン師に盲となり、絶対的に尊重すべき家族の言を蔑ろにして全財産を贈与するという狂気は、観る者に激しい憤怒と絶望を与え、その後に訪れる救済に心から安堵して心が浄化されます。まさにブルジョワジーたちのために向けた芸術と言え、後の王立劇団コメディ・フランセーズ(Comédie-Française)の礎となった転換的変革でした。


モリエールと聖体秘蹟協会の長い対立を象徴付けるような本作『タルチュフ』。この劇が圧倒的な観衆の支持を得たということが、当時のカトリック教派内の腐敗を揺るがなく提示されていることからも見受けられます。喜劇に仕上がった第五幕でも、諷刺の力は緩んでいません。未読の方はこの辛辣な批判劇を楽しんでください。
では。


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