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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

第三次対戦後、放射能灰に汚された地球では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人工の電気羊しかもっていないリックは、本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた〈奴隷〉アンドロイド8人の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、決死の狩りをはじめた!現代SFの旗手ディックが、斬新な着想と華麗な筆致をもちいて描きあげためくるめく白昼夢の世界!

戦争に対する嫌悪を抱き、現実に潜む虚構を描き出すアメリカのサイエンス・フィクション作家フィリップ・キンドレッド・ディック(1928-1982)。突飛な世界で繰り広げられる劇中には、人間の本質を問う真剣な眼差しがあります。


放射能性粉塵が降り注ぎ続ける激しい世界大戦後の荒廃世界は、数多の動植物を絶滅に追い込み、残された生命も粉塵により途絶え続けています。無機物も同様に崩壊の一途を辿り、「キップル」(本質を失ったもの)化していき、そのキップルは他のものをキップル化させて増殖していきます。大多数の人間は地球を捨て火星などの植民惑星へ移住し、各国家も新たな土地で世界を築いていました。その新たな地の生活を豊かにするために労働力として開発された人造生命は、技術の躍進によって高度な知能を得て、一般人には区別ができないほどに進化しました。人造生命を区別するためには生物学的差異、生存維持期限の面前識別が困難なため、フォークト=カンプフ感情移入度検査法を駆使して識別しなければならないほど精巧です。しかし、利便性のための進化はやがて人間への脅威と変わります。奴隷的な扱いを拒む進化した人造生命は、知能の暴走により自分たちを扱う人間へ牙を剥き、火星から地球へ逃れてきます。この八体を処理するために、人造生命を対象とした賞金稼ぎのリック・デッカードは彼らと対峙します。


荒廃世界と化した地球に未だ住み続ける人間がいます。デッカードもこの一人で、妻イーランと共に過ごしています。地球では僅かに絶滅を逃れた動物が高値で売買され、地球に残る人間たちの資本的象徴として寵愛されています。本物の生命の世話をすることで、人類文化の残骸に囲まれた惑星に住むという実存的虚無を精神的に超越しようと試みています。この地球では、警察を含む国家機関、増殖を続けるキップルを処理する機関、そして人造生命の開発機関などが社会的に機能しています。今回の脱走した人造生命たちを開発したローゼン社もその一つです。人間との差異を埋めようと精巧な開発を続ける技術を探るためにデッカードは調査に向かいます。人造生命と人間の決定的感情差異は感情移入(エンパシー)ですが、例外的個体が確認されました。人造生命開発の元に存在する原型個体レイチェル・ローゼンは、フォークト=カンプフ感情移入検査法で見分けることが非常に困難でした。人造生命が「人間らしさ」を持つ、裏を返せば人間が人間らしくあるとは何かという主題が、本作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に含まれていると言えます。


荒廃世界は、あらゆるものが死と無に向かうことを示唆しています。これは生命にも同じことが言えます。そして生命を持つものが「生命が有限である」という自覚を持つからこそ、他の生命へ感情移入することができます。機械的な合理性や資本主義的思考では説明ができない思考や言動が「人間らしさ」へと繋がっていきます。レイチェルが取るデッカードの寵愛する黒山羊に対する行動は、非合理的で感情的であり、自己を持った行動として描かれています。突き動かす衝動の根源は不快感、嫉妬、尊厳などが綯い交ぜになった感情です。これは人造生命が持ち得ないとされていた感情であり、本作における人造生命を奴隷的存在から解放しようとする象徴的行動であると受け取ることができます。


本作で描かれる人造生命は、単調的で強制的、そして形式的で個性を欠いた実社会の人間を映し出しています。能動的感情や個性の欠落を見せる「形骸化した人間」は人造生命と変わらない、「人間らしさ」を失った人間であると訴えます。しかし、「人間らしさ」を失ってしまう理由が、社会や世間からの抑圧であり、鬱屈した感情のまま形式的な行動を取らざるを得ないという人々も多くあると思われます。人造生命の反乱はそれらの人々の感情爆発による行動と見ることができ、鬱屈した感情の爆発を控えている人間の危険性も感じ取ることができます。そこからの脱却は、感情移入(エンパシー)を他の人間から受け、理解されることが回復の道であると考えられます。


ものの本質を失うというキップル化は人間にも当て嵌められています。「人間らしさを保った人間」という考え方から、哲学者のエヴァン・セリンジャーは、逆チューリングテスト(Reverse Turing test)の実施を提唱しています。チューリングテストとは、人工知能が如何に人間的であるかを測るものであるのに対して、逆チューリングテストは人間が如何に機械的思考になっているかを測ることが目的のものです。

作中では放射性粉塵によって人間がキップル化するように描かれていますが、現実に置き換えると、受動的情報過多や過剰な規則制限の強制などで人間の精神がキップル化させられていると考えられます。これにより「人間らしさ」が消失され、個性、芸術性、能動的感情が薄らいでいき、機械的思考へと繋がっていいきます。人間らしさを持つ人造生命は人間ではないのか、言い換えるならば、人間を人間たらしめる要素は「人間らしさ」にあるのではないのか、フィリップ・K・ディックは投げ掛けます。

あんなにすばらしい歌手だったのにーー映話をすませて受話器をもどしながら、リックはそう考えた。おれにはわからない。あれだけの才能が、どうしてわれわれの社会の障害になるわけがある?

他者への共感と死の受容は「人間らしさ」の根源にあります。個の崩壊をただ待つ行為は「人間らしさ」に反していないのか、人間が真の人間であろうとする感情はどのように持つべきであるのか、人間だからこそできる行動は何か、人造生命が活動する世界からそのように問い掛けられているように感じました。1968年に描かれた作品ですが、現在でも充分に感情を揺さぶられる作品です。未読の方はぜひ読んでみてください。
では。


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