「食べられない」の先にある課題 〜食物アレルギー〜

こんにちは!上智大学4年の菅野吏紗です🌷

初めてのノート投稿。
卒業論文の息抜きにちょっと投稿します📝

「食物アレルギー」について

私がソフィアンズコンテスト2022にエントリーするきっかけとなったのは
大学2年次から行っているドキュメンタリー映像制作🎥

2年生の頃は、入管問題と外国人の仮放免をテーマに20分の作品を制作しました。
高校3年生からずっと深掘りしたいと思っていたテーマ。
1つのテーマでも、法律、人権、日本人の認識、加速する入管のブラックボックス化など
複雑な論点が山積しているという壁にぶつかりました。
真っ暗闇に放り込まれたような悶々とした気持ちで取材・制作をしていたことを思い出します。
先生に叱責を受けながらも、なんとか完成させ、「ふ~」と一息ついていたら
すぐに3年生に。

「え、もう目標達成しちゃった、、」と次のテーマ選びに苦戦していました。
社会に蔓延る問題に小さな当事者意識は抱いているものの
ゼミの集大成としては、心からのめり込める問題をテーマにしたいとわがままを言っていました。
そんな時、母に「アレルギーは?」と提案されたのです。

その時の私の返答は
「アレルギーなんて社会課題ではないでしょ。私の問題じゃん」

当時の私は、食物アレルギーに悩んでいる、向き合っている当事者や保護者、関係者の方がいらっしゃることなど考えてもいませんでした。
当事者がゆえに、食物アレルギーを「問題化」できていなかったのだと思います。

でも締め切りは迫っている、このままだと先生に何も報告できない…
切羽詰まった私は、とりあえず母の提案をのみ、食物アレルギーの活動をしている
「アレルギーっ子パパの会」理事長の今村慎太郎さんにアポを取り、取材することに。

その後、今村さんに紹介していただいた、アレルギーっ子のご家族を取材していくうちに、視界がパーっと開ける感覚を覚えたのです。

特に印象的だったのは、お母様が話してくださった学校行事での出来事。

「子どもがアレルギーだと心配でなかなか集まりに参加できない。でも、勇気を出して参加した
行事で子どもが友達からもらったポッキー(アレルギーで食べられない)を口にしてしまった
パニックになった私は、『帰ります!』慌てて息子を抱いて帰ってしまった。あの後、行事の雰囲気はすごく悪くなっただろうなって。もう参加しないでおこうと決めた」
と涙ながらに話してくださいました。

「全部私のせいだ」と抱え込み、自分を責め
頼ることができない保護者の方の存在に気づきました。

息子さんは、周囲から向けられる眼差しに対して
「アレルギーは可哀想じゃない!」と訴えいました。

「食物アレルギー」は「食べられないだけ」
ではない。

そして「食べられない」ことは、どのような問題を生じさせるのか。

私自身ももっと当事者や関係者の話を伺い、認識を広げたいと強く思いました。

「食べ残しはいけないこと」
「ゴミは分別しよう」
「妊婦の方やご高齢の方がいたら席を譲りましょう」

これらは学校で習う「当たり前」のことですが、食物アレルギーや食の多様性については
学校で触れる機会はとても少ないのです。
ですから、名前は知っていても、具体的に当事者は「何に困り」、「どのような対応をすればいいのか」、「何を望んでいるのか」知らない方は多いと感じます、
(もちろん学校教育だけで十分というわけではありません)

実際、コンテストのスピーチ練習の際にも
「食事制限がない私には関係のない話だから、もっと私たちにできることを提示してほしい」
と言われ、ショックを受けたりもしました(笑)
それくらい、まだまだ身近ではない問題だとも思います。

長くなりましたが、
当事者であるのに全く向き合ってこなかった食物アレルギーと真っ向から向き合い
ドキュメンタリーやコンテストに挑戦した私のお話でした🌸

これからもマイペースに更新していきます🤍

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