人を「魅る」力
今年やりたいことの一つが、もうすぐ達成しそう。
年始に掲げた10項目のうち、『宣材写真を作る』というもの。
先日、知り合いのフォトグラファーに依頼したところ、快く引き受けてくれた。
この撮影に関するやりとりの中で、非常に感心したことがある。
写真撮影とは、日時を調整し、あとは当日にパシャパシャやって「はい、おつかれっしたー」ってなるものだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「何用に使いたいですか?」
「どんなふうに見せたいですか?」
「室内? 屋外?」
なるほど、ある程度の方向性を事前に確認するのか。
確かに、イメージのすり合わせをしておかないと、「こういうのじゃなかった」みたいなことになりかねない。
ところが、やりとりを繰り返すにつれ、質問の内容はかなり深い部分にまで及んでいった。
「自分が感じたことを書くライター? それとも、取材者としてのライター?」
「目指したい姿は?」
「noteにどんなことを書いているか、見せてくれませんか?」
えええ、そこまで聞くの? いや、全然かまわないのだが。
これ、写真撮影の話をしてるんだよね? 合ってる? 僕、合ってる?
最終的に、後日zoomで打ち合わせすることになった。
zoomの打ち合わせは、1時間くらいかかった。
自分がなりたいイメージと、他者から見たイメージとは、必ずしも一致しないこと。
そしてそのイメージの差を少しでも近づけた方が良いこと。
イメージは色やシルエットによってガラッと変わること。
さまざまな観点から、彼女は僕をどう撮るか考えてくれている。
そうか、彼女は人を「魅ている」のだな。
「見る」ではなく「魅る」。
それは視覚情報を得るだけではない。相手の持っている(あるいは、相手に秘められている)魅力を、最大限に引き出そうとする。その「魅る」力を、フォトグラファーの仕事に活用しているのだろう。
「いやぁ~、こういうのが嫌な人もいるんですよね。『そういう感じならやめるわ』と断られたこともありますし」と彼女は言う。
しかし、これほどまで真摯に向き合ってくれるフォトグラファーは、とても素晴らしいではないか。
思ったことを率直にぶつけてくれるし(もちろん言い方もキツくない)、「良い仕事をしたい!」という熱意がひしひしと伝わってくる。
やっぱり、一生懸命な人は好感が持てるし、めちゃくちゃカッコいい。
まだ撮影していないのに、彼女に依頼して本当に良かったと思っている。
人を「魅る」力の重要性。これは、執筆業にも同じことが言えるのではないだろうか。
何かを書くにあたっては、対象の魅力を引き出し、その魅力が存分に伝わるように文章を構成する。
料理でたとえるなら、「売り場の中から新鮮な食材を選別し、その食材が美味しく食べられるような調理法で料理を作る」、そんなイメージだろうか。
この力がなければ、フォトグラファーだろうと物書きだろうと、良い仕事はできない気がする。
人を「魅る」力が自分にどれくらいあるのかわからないし、どうやったら鍛えられるのかも今一つピンとこない。
ただ、この撮影に関する一部始終が、何か大切なことを教えてくれていると、僕は確信している。
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