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「肩の力を抜く」ができない人へ

「難しく考えないで、肩の力を抜いてやればいいよ」


公務員時代、よく上司や先輩に言われた言葉だ。
どちらかというと僕は真面目なタイプなので、一生懸命やりすぎてしまうらしい。

しかし、この「肩の力を抜く」ができなくてつらかった。
肩の力を抜こうとすると、手を抜いてしまうのだ。


そもそも、この「肩の力を抜く」という表現自体、とてもあいまいなものでないだろうか。
物理的な意味では肩こり防止とかの効果があるんだろうが、僕の場合は精神的な意味合いが強い(慢性的な肩こりではあるが、ここでは一旦置いておく)。
困るのは、この言葉を受けて実際になにをどうしたらいいのかわからないことだ。結局のところ、具体的な肩の抜き方の伝授はなく、ただ励ましの常套句として用いられているだけなのだから。


真面目な人ほど、ペース配分などがうまくいかず頑張りすぎてしまう傾向がありそうなものだが、それは本人の気質の問題だろうか?
その人が自分でうまくやれてないからダメなのだろうか?


それは、ちょっと違うと思う。


日本人は、勤勉さを美徳としている傾向が強い。確かに、「真面目」や「勤勉」といった言葉は、誠実さを示すポジティブな意味で使われることが多い。そういう人の方が信用や信頼も厚いだろう。

しかし、限度というものがある。どんなに真面目さや勤勉さが評価される環境だったとしても、過酷な状況が続けば人はいずれ壊れる。

そうなってから上司や同僚に「もっと肩の力を抜いてやればよかったのに」とか言われても。いやいや、どの口が言ってんだと。そういう空気感にしているのは誰なんだと。


上司が部下に、あるいは先輩が後輩に仕事のやり方を教えるのは当然のこととして、その中に「適度な力の入れ方」みたいなものを組み込んでいる人はどれくらいいるのだろう。
仕事のペースや適性は人それぞれだから、一概にこうすればいいというものではない。それだけに、具体的な方法を指し示すことはものすごく難しいとは思う。
ものすごく難しいのだけれども、ここでつまずく人はたくさんいるはず。僕がそうだったように、「肩の力を抜く」という行為がうまくできずに潰れていった人はたくさんいるはず。

だから、そういう真面目な人たちのためにできることを探していく努力が、この世の中にもっと必要なのではないだろうか。

たとえばだが、定期的に仕事を可視化させる(どんな仕事をどれくらいしているかを箇条書きにするなど)だけでも、かなりの情報が整理できるし、他の人と共有しやすくなる。それを上司などが見て「これは多すぎるから一部を他の人に回そう」とか「もっと仕事を細分化して複数人で分担できるようにしよう」とか判断すれば、多少なり改善はしそうなものである。
まぁ、実際はこんなにうまくいかないのだろうけど。上司だって完璧じゃないし、優秀だったり器用だったりするとも限らないから。

そうなると、個人的には「肩の力を抜け」よりも「一旦ゆっくり休め」の方が、有効じゃないかと思う。
しんどかったら休めばいいし、つらかったら逃げていい。

これ、義務教育で教えてもらえないかなぁ。


最後に、仕事に追い込まれてパニック障害を患い、それが原因で退職した身から一つだけ。
実体験をもとに導き出された極論ではあるが、あながち的外れでもない真理だと思っていること。


「一人いなくなっても、大体なんとかなる」


この言葉があなたの「肩の力を抜く」ことができたら、これ以上の幸せはない。


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