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"専業主婦"が思う女性は何を選んでも後ろめたいの罠と育児の軽視

podcast「恥を抱きしめて」第19回「専業主婦が思う”女性は何を選んでも後ろめたい”の罠と育児の軽視」のあとがきです。

Spotifyからもapple podcastからも聴けます!

隠したくなるような心の内について、しっかり話していきたい、と思って臨んだ今回。
”専業主婦”という自分の肩書きに、後ろめたさや恥ずかしさを感じていたことについて話しました。

そもそも後ろめたさってなんだろう

”後ろめたさ”とは、
「こうであらなければならない」「こうであるべき」
と自分が想定していることが
できていない感覚、ズルをしてるような感覚なのかなと考えました。

”専業主婦”に後ろめたさを感じた私は、
育児や音楽活動だけなく、”働かなければならない”と強く思い、それができない自分は欠けているなあ、という感覚を抱いていました。

ではなぜそのような”ねばならない”を抱いたのかを、社会的な文脈と個人的な文脈で掘り下げてみました。

女性は何を選んでも後ろめたいの罠

子供を保育園にいれて働いている友達と遊んだ時、

「まりはすごいなあ。私は全然子供と過ごせてないから、子供と向き合えてない後ろめたさを感じる時があるよ。」

と言われ、衝撃を受けました。

私は働けてないことが後ろめたかったのに、働いたら働いたで違う後ろめたさを持ちうるのかと。

また聴いているポッドキャスト番組で、 

「子供を産まないという選択をしている自分は、身勝手で未熟なのではないか。育てることで得られる知見や価値観をもててないのではないか。」

といった葛藤が取り上げられていました。

子供を持たずに、のびのびと自分のキャリアを積んでいることに眩しさを感じていた私はまた衝撃を受けました。

様々なチョイスをする女性のそれぞれの葛藤を聞くうちに、

「あれ?これって、結婚・子供・キャリアについて、どれを選んでも選ばなくても責められてる感覚になる無理ゲーなのでは?!」
と気づいた私。

”結婚しろ!”
”子供を産め!”
”働け!”
”家事をしろ!”
”職場に穴を開けるな!”

どんな選択をしても何か欠けているかのように意見が湧き上がる。
選べるものばかりでもないのに。

ただそんな罠に気づいてみると、
「どうせ何をしても文句を言われるんだったら、そんなものは無視して、自分がしたいことし〜ちゃお!」
と思うのです。

自分はどうしたいのか。
今の現状でできることは何なのか。

折り合いをつけつつ、一度に叶えられなくても、長期的目線で行動していくしかない。

育児が軽視されている感覚

育児って密室で人知れず行われているものだし、
その子供の気質、子と親の相性、頼れる存在の有無、住んでいる自治体etc…
置かれた状況によって景色が違う。

だから一個人の育児の大変さはどこまでも共有しきれなくて孤独。
人知れずやっているものだから、いつの間にか当たり前かつ何でもないこと、価値がないことのように錯覚させられてしまう。

そんなんだから、「育児しかできてない・・・」
なんて思ってしまっていたようにも思う。

いやいや、育児を、できてるじゃないか!と自分を奮い立たせるために
「ここが大変だよ育児って!」、を私なりにまとめてみました。
 
①事故や事件から命を守るのが大変 
 ・子供は自分で死ににいく
 ・道を歩いてるととにかく変な奴に絡まれる
 ・第三者に預けるにも性犯罪や事故、手続きの面倒さや
  コストの高さからハードルが高い

②体力がひたすら削られて疲れる
 ・産後の身体はボロボロ
 ・夜泣きで寝られない 
 ・風邪の看病大変
 ・挙句自分も体調を崩す 

③育て方に悩む
 ・”他人に迷惑かけないように”と”その子が真っ直ぐに育つように”
  の狭間で悩む
 ・子育てに正解はなく自己責任を感じながら手探りで育てる
 ・どんな育て方でも文句は言われる

④自分の時間がない 
 ・目を離せない
 ・調べたり準備したり片付けたりご飯用意したり忙しい
 ・話しかけられ続けて常にマルチタスク

⑤見返りがない(見えにくい)
 ・当然お金もらえない
 ・ありがとうと言われにくい
 ・後々子供自身にも文句言われたりする 

大変な要素を分解したら、一つ一つ対策を練って対処対処!!
なんてできるわけでもない(それで解決しない)のが育児。

大半のことは、ただ時間が経つのを待つしかない、というのが実情。

実家における母親業の軽視

最後に自分が”専業主婦”であることに後ろめたさを抱いた個人的文脈の話。実家における母の位置付けがあったなと思いまとめました。

①父親に働くことを期待されていた
バリバリ働いていた父は、とにかく”お金を生み出すことこそが正義だ!”と言った柔らかく言えば働き者の頑張り屋さんでした。
そのため、私自身もバリバリ働くことを期待されていることを感じ取りながら成長しました。
(父がバリバリ働いてくれたおかげで、大学に入ったり音楽を始めたりできたので、その点感謝しかないです)

②母親の子育ては軽視されていた
その一方、母親の家事や育児は”当たり前のもの””当然勝手に済ませておくもの”かのようにひどく軽視されていたように思います。

子供を産んだ後、母がやってくれていたことの大変さやありがたさをそれまで以上に噛み締めながら、その足跡を追うように娘を必死で育てる私。

「お母さんも、あの時こういうこと思ってたのかなあ」
と思ったり
「私あの時、こういうのが嬉しかったなあ」
などと回想しながら自分の気持ちや母親の気持ちを再確認し、自分を育て直しながら娘を育てる。

そんな日々を尊く思う一方で、自分のそのような”育児”が、母親のそれがそうなされていたように、ひどく軽視されている感覚になるのでした。
(これはつい最近まで強く抱いていた感覚で、とても辛かったです)

自分がすごく価値を見出していることを、
日々葛藤しながらやっていることを、
全く価値がないと(主に父親に)思われている感覚。

それが、後ろめたさの根っこだったのかなと気づきました。

③とにかく自分がどうしたいかに集中する
クヨクヨしてても仕方ないと思い、一時期働こうと求職活動をした私。
しかし毎月娘が風邪をひき、自分も風邪をもらうということを繰り返すうちに、
「あ、今は無理だ(ニコニコ)」
とある種吹っ切れました。

自分は何を大事にしたいんだろう。何が幸せなんだろう。
しっかり向き合っていくと、それは私が今必死で向き合っていること。
生活の中で選んでいるものでした。

・自分が納得する音楽活動を思いきりやりたい
・娘としっかり向き合って、家族全員が居心地の良い場所にしたい


もちろん今思うようにいかないことも沢山あるけれど、大事にしたいことと優先順位を明確にして、先延ばしにしたり人に助けを求めたりして叶えていけば良いのだと思うのです。

自分が納得している感覚。
自分の近くの人たちがそれを分かってくれているという感覚。
それが大事。

肩書きも、自分が望んでいることを応援してくれない人の批判コメントも、気にしなくっていいのです。

さあ次回は、私の妊娠、出産、産後について話しています。
podcastはすでにアップされていますので、ぜひ聴いてみてくださいね!

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