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Men's 看護師としての生き様

こんにちは、池ちゃんです😋
コロナ禍によって、医療現場の可視化がメディアにもされてきましたね。それに伴って、医療職への興味関心をもつ方は多くなりました🙂

そのような中、僕自身も看護師人生について振り返ってみよう、と思い呟いていきます。お時間がある時に、拝読していただけたら嬉しいです。

1.看護師になろうと思ったきっかけ

それは、“”の存在が大きいです。
僕には、1つ下に発達障がいのある弟がいます。幼い頃から、ずっと弟と一緒にいました。
言語訓練や病院への通院、お山の保育園(当時ではそう言っており、身体障がいや知的障がいのある子は通う場所)に幼い頃から母親に連れて行ってました。
(→きょうだい支援#1へ)

初めは、医師になりたかったんです。なぜかと言うと、“弟の病気を治したかった“から。
けど、幼いながら感じていたんだと思います。“完治が難しい”ことを
いつしか、発達障がいを“病気”ではなく、“個性”として捉えていた自分がいました。
発達障がいの特有な症状“言葉の発達が遅い”“関心を示さない”“目があわない”“じっとしていられない”などあるけど、いつしかそれらを、“個性”であると。
それは、弟の“性格“なんだと。

それから、“病気”から“生活”へ視点が変わり、その2つを網羅している“看護師”になりたい‼︎と思ったんです。そして、弟のような子たちの役に立ちたいと感じたのがきっかけでした。

看護師は、医学モデル生活モデルを有してます😎
ここに関しては、「# 3つのLIFE」でやっていきましょ!(更新をお楽しみに!)

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2.Men’s Nurse池ちゃんの経験領域

現在、看護師10年選手として走り続けています。
これまでの足跡、
大学病院:脳卒中センター含む混合病棟に3年間
急性期病院:救急外来(ER)に5年間、災害支援Nurse
      救命救急センターに〜(現在)

慢性期から超急性期に異動している看護師が少ないようで、話をよく聞かれることがあります。
超急性期に異動したのも、初期対応を学びたかったのが大きいです。初期診療を学ぶことで、助かる命がたくさんある、と考えたからです。
ERに異動してから、コースをめちゃくちゃ沢山受けてきました🤫
初心に戻って、BLSから始まり、ICLS、ACLS、ACLS-EP、ISLS、MCLS、JPTEC、JNTEC、FCCS、PALS、災害支援ナース登録、JTASトリアージナース...🙃

今では、コロナ禍の影響(ということにしとく😏)もあり、更新ができずにそのままというものも・・・😗

バリバリの急性期よりの経験領域ですが、性格は超慢性期です🤫

3.看護師としてどう生きるか

10年選手以上になってくると、自身のキャリア(=自分の生涯プラン)を問われることがあります。
看護学生の頃は、“看護師になる”ことが目標でした。しかし、今は看護師として“どうありたいか”が自分自身に求められています

どの職業でもそうだと思いますが、どう“なる“のかは“手段“であり、人生の“目標ではないんです。
では、どうしたら?
そう!“どうありたいか”なのです😎

今の僕の立場から考えると、
“看護師”として池ちゃんは、この先の人生、“どうありたいんや!”ということです。

その、“どうありたいか”で、そこに目標があれば、それが叶う環境に移動することが“大切”であり、1番の近道でもあります。

その環境に居続ける意味(価値)はありますか?←自分にも問いかけております🤫

僕は、看護師として急性期領域に関わってきた“強み”を持っています。
そして、福祉の大学院で“きょうだい支援”について“当事者研究”を行ってきた背景もあり、自身が“きょうだい(当事者)“である“強み”を持っています。

看護学生の頃から、社会人となり、看護師としても“勉強していくこと“にとても苦労してきました。(今でもそうですが🤫笑)

臨床現場で生きる看護師としては“生涯学習”という言葉がピッタリで、日々の医療の進歩に並走していかなければなりません。

そ・こ・で
池ちゃんは2つ、ここで宣言いたします。
看護師として、
「臨床現場での“考え方”を主軸に、知見をoutputしていく看護師でありたい」


きょうだいとして
「“自分らしく生きる“ことに着目して、きょうだい支援の第一線で活躍するきょうだいでありたい」

こういうのって、先に宣言しちゃった方が後に引けないので気が引き締まりますね😀👍

皆さんの“宣言”も楽しみにしてます!
それでは、また🤝

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