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イット・ウドゥント・ハヴ・メイド・エニー・ディファレンス/トッド・ラングレン It Would'nt Have Made Any Defferrence / Todd Rundgren

音響の専門学校に通っていて授業で脚本を書く宿題が出た。
俺は当時凝っていたジョージ・オーウェルの「動物農場」の一部を簡単にした物語にザ・キンクスの「アニマル・ファーム」のBGMを付けるという結構マニアックな脚本を書いて提出した。
まったく理解されなかった。

優秀な作品は何人か発表することになったが、その中に仲良くなった友達の女の子でY子ちゃんの作品が選ばれた。
物語の内容は忘れてしまったが、BGMがトッド・ラングレンの「ハロー、イッツ・ミー」だった。
曲名を言った時に「トッドだってさ」
小さな声で数人が少しザワついた。
Y子ちゃんはそのザワつきを感じて「だって、曲がいいから・・・」とか動揺しながら言いつくろっていた。
俺は当時はまだトッドを聴いたことがなくて、そのザワつきと動揺が何を意味するのかよく分からなかった。
ノースリーブのローマ戦士みたいな恰好で知恵の輪のようなギターを弾く写真は雑誌でみたことがあってただのハードロックの人という認識だった。

Y子ちゃんと友達のS子ちゃん、俺とT橋君は専門学校時代4人でいつも仲良く過ごしていた。
Y子ちゃんは俺のことが好きなようだったが俺はS子ちゃんが好きだった。なぜならおっぱいが大きかったから。
ところがS子ちゃんはT橋君が好きだった。

世の中ってうまくいかないな。

学校を卒業後、数年経ってPAの仕事をしているときに会社の先輩でS戸さんという早稲田の文学部出身の人がいた。
S戸さんは膨大なレコードと本のコレクションを持っていて、押し入れの中がパンパンだった。
一度だけS戸さんの家に遊びに行ったときにトッドの「サムシング/エニシング」の日本盤を見せてくれた。
ジャケットの写真は目の上にクジャクの羽のようなものを付けてギンギラに化粧をし、上半身裸に近い衣装で遠くを見つめていた。
「サムシング/エニシング」の日本の初版は本来の2枚組を1枚にまとめたダイジェスト版で、レコード会社もリスクを最小限に抑えたであろう作りだった。

S戸さんがA面の1曲目に針を降ろした。
「アイ・ソー・ザ・ライト」
おおおおおおおお。
まさに俺にも光が見えた。
ちょっとおおげさか。

ハードロックの人だとばかり思っていたけど、とんだ勘違いで、なんとも美しいメロディだった。
何より自分一人で多重録音した曲と、ライブ風に一発録りの曲で構成されたアルバムだということにも驚いた。
Y子ちゃんが作品発表したあの時、教室の一部の人がザワついたのはこの美しいメロディを知っていたからなのか。

なかなかやるなY子ちゃん。

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