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「生きづらい」自分について、是非を問わずにただ振り返る
前回の記事に思ったより多くの反応があり、果たして何人が本当に読んだ方なのだろうかと無益に勘ぐりながら、本日もまた書きなぐります。
↓前回の記事↓
件の記事でお伝えしたように、私はすべての不幸を運の良さだけでねじ伏せてきたような男です。重めの聴覚過敏で幾度となく倒れ、学生らしい時間は雲散霧消したものの、今では友人がいて仕事もあり、愛し合える人さえいます。たったひとりであっても誰かの「愛する人
重めの「感覚過敏」を生まれ持ち、それでも運だけでどうにかなっている人の話
はじめまして。
名乗るほどの者ではないので名乗りませんが、本日は自己紹介をさせていただきます。
あっ、長いですちなみに。ごめんなさい。
発覚は小学六年生生後間もない私は好物のコロッケを前にしたコロ助もかくやと思われる愛らしさ、邪念のかけらもないその笑顔は西東京の周辺を愛の光で満たしたと言われ、愛らしさと笑顔については今でも定評があるものの、妙なところで足を挫きました。
小学二年生の秋頃でしょう