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どん底まで落ち込んだって、這い上がって前に進む。

先週の金曜日、神様から大目玉を食らいました。

それは、監理部署から送られてきたメールでした。


メールを読んで(感情的で嫌みなやり方だなぁ)とイラッとして内心毒づき、「聞いてくださいよ」と周りに言い出す始末…。(同じ穴のムジナ(-_-;))

それから、どうしてそのようなことが起きたのか、冷静に考えました。

すると、結局、自分が相手や仕事をなめてかかっていた、その結果が返ってきただけのことに気がつきました。

そして、これまでの自分の態度や心の在り方を目の前に突きつけられてショックを受けました。


(自分、痛い奴かも…。でも、次はどうしようか)と気持ちを切り替えて行動に移すだけでよかったのに、感情の濁流に飲み込まれてしまいました。

ちょうど他のことで、くすぶった気持ちを抱えていたときだったので、これがダムを決壊させるダイナマイトになったようです。



「人に教えるためにここに来たはずなのに、自分が一番のグズだった」

「自分がいない方が会社にとっていい。やめた方がいい。」

そんな思いばかりがぐるぐるまわり、見事に感情の泥沼にはまってしまいました。



土曜日の明け方は、「この痛い気持ちは神様のくれた宝物だ。私の刈るべきカルマを教えてもらえた。ありがとうございます。」という気持ちで目覚めました。

しかし、日常生活が始まると、自信喪失、自分いじめが始まり、意識も浮遊状態に…。

表情は暗く、病院で蚊のなくような声で答えるとドクターに「聞こえない」と言われ、2年かけて直してきた猫背も一気に復活しました。

気の持ち方がこんなにも、ダイレクトに声や表情、姿勢に現れることに驚きでした。



日曜日も起きると嫌な思考が再生されます。

しかし、「洞穴で暮らしていた動物人間は、進化のために洞穴を出た」という言葉を思い出し、

(感情の波に溺れそうになったら、先生のご著書「覚醒のヨーガ」を読んで意志の力でそれを乗り越えるぞ)とkindle版をあわててダウンロードし、

「よっこらしょ」と外に出たくない、引きこもりたい気持ちを何とか退けてヨガの個人指導を受けに家を出ました。



電車の中で「覚醒のヨーガ」を読んで心を落ち着け、先生に話を聞いて頂き、ヨーガで体を整えて頂いても、まだ、じくじくと心が痛みます。


今朝も「グズかもしれないけど」と思いましたが、「いけない、いけない」と姿勢を正し、呼吸をして体を意識する。

すると、「意志を強く、俯瞰の意識を持つぞ!」という気になり、「ダメな自分を変えればいいだけ」「早く大人になればいいだけ」と思えるから不思議です。




このような恥ずかしい経験を通して、嫌というほど骨身にしみました。

"人は痛みを通じてしか変われない"


そして、感情と同一化する自分、カルマを刈るということ、心と体は繋がっていて、姿勢と呼吸が意志の力や俯瞰しようという前向きな気持ちを生むことも体感しました。


こうして痛い経験を通して何かに気がつき、改めるべきことをひとつひとつ丁寧に改める。

めげずにこれを繰り返して行くと、少しずつ意識の進化が進んでいくのかもしれません。    



山の頂は遠くても。
はじめの30分はきつくても。
じわりじわりと歩を進めていけば、段々体が慣れて、頂上に近づいていけます。

意識の進化も「そういうものだ」と思って、転んでも起きて、忍耐強く、目指すところに進んでいけばよいのです。