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『しなやかな頑固者』


あ、風の音がする。


朝の通勤途中、毎日のように突っ切る公園があって、その公園の噴水のところでふと、そんなふうに思った。

思わず風の音のなる方を向いたのだけれど、もちろん風が目に見えるわけもなくて、ただ、確かに風の音がしたのだという事実だけがそこにあった。

小枝が揺れているのも、葉が落ちるのも、あんなにも暑かった35℃の日常がなくなることも、頬をかすめていく空気の冷たさも、全部、目には見えないけれど、確かにそこにある“風”の仕業だった。

風は、目には見えないのにそこにある。

目に見えないくせににおいがするし、音がするし、そこにあるということを感じることができる。こちらからは決して触れることが出来ないのに、向こうからは急に吹きつけてくる、ずいぶんと気まぐれなやつだ。


そんな風に乗って、20代最後の夏が終わり、秋がやってきた。


私はもう、夜のコンビニでアイスを買って2人で歩きながらそれを食べたり、公園のブランコで夜遅くまでくだらない話をしたり、ちょっとだけ遠くの海の見える方まで行ってみたくなったり、次の日の仕事とか終電の時刻とかを気にせずにただ夜の中を歩いてみたり、手を繋ぐとか繋がないとか、愛するとか愛さないとか、そういう自分たちだけが主人公の世界でフィルムを回すことから、一歩ずつ脱却して大人になっていけたのだと、そう思えるようになった。



最近の自分が書く文章に少しだけ“怒”や“哀”が含まれていたのは、いよいよ20代最後のロイター板を踏む為の、精一杯のエネルギーの掃き溜めの作業だったのかもしれない。


しなやかに、強くあれ。


確かに結婚がゴールではない。
むしろスタートであり、その先に乗り越えていかなければならないいくつもの人生が待っていて、しかもそれは、自分自身の身にふりかかったことが家族の悲劇にまで繋がってしまったり、家族の身にふりかかることが、自分自身をも蝕むものになるかもしれなくて、だけれど、そういう一つ一つに対して、共に手を取り合って“それでも生きていく”ってことが、結婚というものなのかもしれないな、と思う。


何があっても愛するって決めたから愛して、信じるって決めたから、信じていく。究極には、それしか出来ないのだろうから。


◇◇◇


幾人かの憧れの人がいる。

彼女らは強く、しなやかで優しい。時に憂いを帯びていて近付くことは容易くないけれど、皆、その生き方をお手本にしたいと思う女性ばかりだ。


その一人に女優の石田ゆり子さんがいる。

彼女が自身のInstagramで、こんなことを言っていた。

歳とったな〜と思うけど、50代ってたぶん人生を振り返った時1番、いろんなことと戦ってる年代なんじゃないだろうか。
自分の人生
親の人生
子供がいたら子供の人生
考えざるを得ない年頃です。
この年齢になると
若いことの素晴らしさもわかるし
傲慢さもわかる
そして年上の先輩たちの素敵さも彼らの抱える問題もわかる
なかなか面白い年代だと思うようになりました。
とりあえずご機嫌な
大人の女でいたいですねぇ本当に。

12:24
YURIYUR11003




ゆり子さんは様々なラジオ番組に出演しており、ご自身より20も30も年下の方々ともよくお話しをするのだが、そのたびによく「30歳になってしまうのですが、どうすればいいでしょう」だとか、「ゆり子さんが私の年齢の時はどんなふうに生きていらっしゃいましたか」などと聞かれている。印象的なのが、その度に「30代がいちばん楽しいと思いますよ。私からすれば30なんて相当若い。楽しいことがたくさん待っていますよ。」「歳を重ねるのは実に、面白いことなんです。」と言うことだ。

私の中で様々なことが、“30にもなってまだ”と変換されつつあるのを感じた時に、ゆり子さんの言葉に触れる事が出来て、するりとお説教をくらったような気がした。「いや、“まだ”30だよ」と。

「年を重ねるということは、自分の欠点や弱点が嫌でも浮きりになる。でも同時に、長く付き合ってきた自分自身との向き合い方や、自分の良いところもよくわかるようになっていくんです。」


彼女の言葉や生活や挑戦から、凛としたしなやかな頑固さを感じる時、私も彼女のようになりたいと思ってしまう。しかしいつだってそれは、彼女自身に否定されてしまう。

「私はこうなりたくて、こうなったわけではないからです。たまたま、ここまで独身で来ただけで、別にここを目指してたわけじゃないし、本当は20代で結婚すると思っていたし。
やっぱり、私はちゃんとパートナーを見つけて、結婚して、お子さんを産んでっていう人生を勧めますよ。動物を育てるの大変なんだよ。すごく強くないと......。私、こんなフニャフニャに見えますけど、実はものすごく強いですから。」

ー強いですから。

自分のことを、そう言い切れるのは、本当の意味での“強さ”がなければ難しい。

「自分は弱いから」
「自分は不器用だから」
「自分はそんなことできるタイプじゃないから」

そうやって自分を落としておいたほうが、気持ち楽に生きられるような気がしてしまう。

自分で自分の強さを認めて、だけどそれがすべての正解としての強さではないんだってことも含めて理解をしていて、それでも、そうやって生きていることを彼女自身が選択しているということが、本当の意味での、芯の強さなのだと思う。

It is much more difficult to judge oneself than to judge others.

サン=テグジュペリが言っていたんだ。私たちは、“他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい”って。


本当に、その通りだね。


◇◇◇


「行ってきます」と扉を開けて、まず目に飛び込んでくるのが右側を流れる隅田川の水面のきらめきで、私はこの部屋の、そういう景色が好きだった。

広さは無いけれど、それでも毎日小鳥のさえずりが聞こえて、まばゆい新緑の木漏れ日が降り注ぐ、そんな小さなベランダがこの部屋にはあった。電車で数十分の距離にある羽田空港を離着陸するのであろう飛行機のおなかを、ベランダから眺めるのにも、都合が良い場所だった。


船の汽笛の音を聞きながら、海のことを考えていた。

人は、行くべき時に行くべき場所に行って、住むべき場所に住んで、出会うべき人に出会う。人生はそうやって出来ているんじゃないかって、最近すごく、そう思う。

私が東京に来たことも、来るべきタイミングだったから。喪失を選んだ翌週には、20代最後の東京を大好きな友達と過ごせることが決まったことも、20代最後の贈り物だったから。そのまた翌週に10代の浮かばれなさの中に見つけたいくつもの光の答えに辿り着いたことも、数十年越しに本当の意味でそれぞれが過去と向き合ってその上で「家族だ」という同じ言葉を全員から言われたことも、奇跡のようだけれど、それを心から、有り難く思えたから。一部始終を見届け続けてくれていた海の向こうの大親友から「違うよ」と言われた瞬間に、あぁこれで私はちゃんと、前を向いて歩いていけると思えたことも。全部、私の人生において、必要で大切な“在るべき形”だった。


30年かけてやっと、人生の第一章がちゃんとまとまったような、今、そんな穏やかな気持ちの中に立っている。



セブンという映画でこんな台詞があった。


「ヘミングウェイが書いていた。『この世は素晴らしい。戦う価値がある』と。後半の部分は賛成だ」

何に対して戦うのかは人それぞれだと思う。けれど私は、前半の部分にも賛成だ。この世界でこれからも、希望を持って生きていきたい。

自分自身の視点で回し続けていたフィルムで次は、家族を映していきたい。


そんな第二章へと進んでいきたい。


心から今、そう、思えている。



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